473−2.歴史観と精神



              大地塾 白鳥宙

国際戦略コラムの古い記事を最初からいくつか読み返してみました。
Fさんの歴史分析は、なかなか穿ったものがあるように感じました。

歴史は繰り返すと言われていますが、わたしも、歴史というものが
、ただ何の意味もなく、棒のように伸びていくものだとは、昔から
どうしても思えませんでした。人類の歴史(その凝縮としての個人
の歴史)は、螺旋状に弧を描きながら発展してきたように思います。

わたしは昔から、社会の文明・文化の発展というものが、人間の意
識の発展、さらには、「こころ」の深みまで降りた部分での満足感
の増大というところに繋がらないとすれば、これらを追い求めるこ
とそのものが無意味ではないだろうかとずっと考えてきました。

興奮や熱狂というものは、人間のこころにある修羅的な欲望の開放
感にしか過ぎず、永続的な喜びとなるものではなく、逆にこころを
乱し、他に対して害悪さえも撒き散らす恐ろしいエネルギーでない
かと思います。仏教でも「有頂天」というものは、人間のこころの
状態を表す十界意識の中で、第6番目の意識として捉え、そこから
抜け出さない限り、悟り(平安)への道は始まらないと説いていま
す。興奮や熱狂という次元で意識が止まっていたんでは、人間はそ
こから先の意識の発展は望めず、したがって、人間が求める「幸福
」には、ついぞ至ることができないということだろうと思います。

ところが、近代以降、特に現代に入ってから、科学技術がめまぐる
しく発展し、人間はその驚異を目の当たりにし、人間の可能性につ
いて「有頂天」になってしまいました。「人間って、どこまででき
るんだろう」という興奮を伴った好奇心から、己自身の人間として
の存在の基盤を忘れ、どこまでも「発展」という名の梯子を上って
みようとしたのです。それは、「もっと見てみたい」というある意
味で子供じみた好奇心であり、しかし、それは実は、己自身をもっ
とよく知ろうとする意識であり、より深い「幸福感」を求める意識
に他なりません。ただ、いま現在、科学技術がここまで発展したの
にもかかわらず、多くの現代人のこころに虚無観が漂っており、
幸福感に満たされていないという状況を作っている原因は、その意
識を「外部」のものに求めすぎた結果だという風に私は思います。

幸福感(喜び)というものは「高まる」ものではなく、本来「深ま
る」ものなのではないでしょうか。自分の目が外部を向けば、「内
側」は見えなくなります。上を見れば「下」は見えなくなります。
自分の存在の基盤を忘れていくら努力をしても、人間は「幸せ」に
は至りえないと思います。
今まで現代人は、ただひたすら空を見上げ、梯子を上りつづけてき
ました。そして登ることに疲れ、ふと下を振り返った時、自分がと
んでもない高みまで登ってきてしまったことに気付いたのです。そ
して、はるか下の自分の家の方から「どこにいるの! ご飯ができた
わよ!」と夕餉の支度をして、自分のことを呼んでいるお母さんの
声が聞こえたのです。

歴史は繰り返すと言われています。現代は間違いなく、大ルネッサ
ンスの黎明期であり、「文明の質」が変わろうとしている時代であ
ることに、ほぼ間違いなかろうと私は思います。かつて五百年前、
「聖書の帰れ」とドイツの学者マルティン・ルターは叫びました。
彼の叫びは、一千年続いた中世ヨーロッパの支配者たちを震撼とさ
せました。今から、三百年前にはルソーが「自然に帰れ!」と説き
ました。わたしの遠縁にあたる中江兆民は、彼の「民約論」を日本
に紹介した日本の明治維新の立役者の一人です。

現代、「日本」という国の使命を何となく自覚し、古き日本を見直
そうという動きが全国津々浦々で起こっています。そして、世界で
も日本の様々な文化が今研究をされています。
わたしは、心霊学にも興味を持っていますが、今の日本の若者たち
の中には、明治を作った日本改革の熱い情熱に燃えた志士たちの魂
の「生まれ変わり」が数多く出現しているに違いないと私は思って
います。
私の友人は、若い頃チベットで、ある仙人に出会い、人間の肉体の
生命は200年と定められていると聞いたそうです。その寿命を全
うすることなく死んだ魂のいくつかは、自分の誕生からこの世で
二百年後にまた生まれてくるそうです。これがもし事実であるとす
るならば、明治の志士たちは、或いは、戦国大名たちの生まれ変わ
りなのかも知れません。
私は、現代の日本の小中学生の「はぐれ者」たちの中に、織田信長
や豊臣秀吉の生まれ変わりが発掘できるのではないかと楽しい期待
を抱きながら、不登校児童たちのための「大地塾」を作ったのです。
              PSIUの活動の紹介
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(Fのコメント)
当面、白鳥さんの原稿の内、宗教色の強いもの(他人が理解不能と
思われるもの)、多くの読者を誹謗しているもの、過激な政治を訴
えるものの掲載を中止します。

 投稿するということは、他人の理解可能な範囲で説得することで
すから、理解不能なことは投稿した価値がないことになります。
ここの読者は宗教性が低い人と考えられるので、宗教性が強いもの
は、宗教家を相手にしたサイトに投稿することをお勧めします。
政治についても現実に立脚した提案をしてください。空想的な皆が
理解不能な提案は、支持を得ることはできないと思います。また、
このコラムの読者は、読者の人格を攻撃されるために、このコラム
を読むのではないため、読者誹謗の原稿も掲載しません。

今までは原則的に投稿原稿全てを掲載するとしましたが、その原則
を変更します。内容的にここの読者の理解と支持を得られるものを
掲載するとします。勿論、白鳥さんの原稿の内、読者の支持を得る
可能性のあるものは掲載します。原稿のチェックお願いします。
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菅沢様へ

ご賛意を頂きありがとうございます。

私が、アメリカに実際に行ったのは、24年前学生の頃です。ヒッ
チハイクで一ヵ月半ほど西海岸を中心に回ってきました。(それま
で海外に行ったことはありませんでした)
非常に短い期間ではありましたが、行った時よりも、日本に帰って
きたときに、非常なカルチャーショックを覚えたことを昨日のよう
に思い起こします。そしてそのとき、日本はとっても「不思議な国
」だなあと感じました。
と同時に、自分も日本人なんだということを日本に帰ってきたとき
強く感じました。
それまで、多少離人症ぎみだった私でしたが、羽田から(当時は成
田空港がありませんでした)浜松町へ戻るモノレールの中の人々が
、みな兄弟のように思え、思わず皆に頬を摺り寄せたくなるような
親しみを感じたものです。墨田川のほとりに見える家々を見ても、
よくこんな狭いところで、みな喧嘩もせず仲良く暮らしているもの
だと感心することしきりでした。
日本人は、水と平和は、ただで手に入るもんだと思い込んでいます
が、いや「手に入る」という意識も無いくらい特に「平和」を当然
ごとのように思っています。それほど「あり難い国」なんです、日
本という国は。アメリカへ行くまで、唯物論を固く信奉していた私
が、帰途の飛行機の窓から初めて日本列島を見たとき、その緑のあ
まりの瑞々しさに、思わず「日本は神々に守られているにちがいな
い」と感じたのです。
そのときが、私が日本人としてのアイデンティティーに目覚めた瞬
間でした。

仰られるとおり、いまの日本人は、日本人としての本来的なこころ
の基盤を喪失しようとしている寸前的な状況下にあるように見えま
す。海外旅行に出かける人は多くいますが、現地の人々と溶け込め
る人が少ないようです。コスタリカにいる友人が、現地のボランテ
ィアに来る日本人が革靴を履いてきたので、現地の人から相手にさ
れなかったという話を聴くにつけ、つくづく「おめでたい国」なん
だと改めて実感させられた次第です。こういう話は往々にして聞き
ます。

私は、今度テレビ局をスポンサーにして、私が教える富山県の子供
達をソマリアか中米に連れて行こうと計画をしています。修学旅行
で文明都市国家に連れて行くよりも、この世の地獄地帯(ひょっと
したら天国地帯かも知れませんが)に連れて行く方が、自分たちが
いかに恵まれた生活をしているかということが実感でき、教育上効
果が大きいと思うからです。
現代日本人は、日本人の本来的美徳を忘れてしまっています。もし
、現代日本人が金を持っていなければ、おそらく今の世界の人々は
相手にしてくれないのではないかと私はとても心配です。子供たち
の目に輝きはなく、都市部のサラリーマンの背中にはどうしようも
ないような悲哀が漂っています。戦後ひたすら物質的豊かさを求め
て突き進んできました。しかし悲しいかな、豊かさを手に入れた後
、今度は「強欲さ」が頭をもたげ、バブルの悪夢を味わうハメにな
ってしまいました。「おごれる者は久しからず 云々」日本にはい
い古典が沢山あるのに、古きを温ね新しきを知ろうとしない人が多
すぎます。
今の不景気は「試されている」ことに気付くべきであって、いま仮
にまたバブルが到来しても、かっての失敗と同じ事を繰り返すだけ
でしょう。したがってもはや、僥倖はないと知るべきです。これか
ら日本も大混乱期に突入すると私は思います。カオスの中で、生き
ていくパワーは今の日本人にはないでしょう。そのパワーを知って
いる大人たちは、もうひ孫がいる世代になってしまいました。「子
孫に美田を残さず」と西郷隆盛は言いました。これを文字通り実践
している金持ちは一体どれほどいるでしょう。御曹司が多すぎます
。民も官も政界もおんなじ状況です。従って、気づいたものが、自
分の周りから意識変革を行っていくしかないでしょう。「星一徹教
育」「虎の穴教育」が求められています。

菅沢様、何か手伝いたいというお言葉、今の私にはそのお言葉だけ
で充分です。あなたは、あなたの今のコンサルタントの仕事を一生
懸命やって頂きたいと思います。そして、アメリカ人に「日本の『
こころ』」を伝えてあげてください。あなたなら、きっとできると
思います。かってエジソンが新渡戸稲造の「武士道」を愛読し、彼
のもとを訪れた日本人の若者に驚嘆したごとく、あなたもどうか「
尊敬される日本人」になって頂きたいと切に願うものです。がんば
ってください。
   白鳥 宙


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