461−2.歴史とは何か



岡田先生の「歴史とは何か」文春新書を読んで、感じたことを述べ
る。この本は多くの示唆を与えてくれる。Fより

歴史は、時間をどう認識するかの問題。時間の観念は、文化だから
文明によって違う。歴史の成立には、事件と事件の間には因果関係
があるという感覚が必要。それと、歴史を書く止める文字が必要で
、時間を管理する技術も必要になる。この時間の観念、時間の管理
、文字、因果関係の思想の4つが必要になる。

日本の歴史は、7世紀唐が中国を統一し、黄海を渡って韓半島南部
に上陸させ倭と古くからの同盟関係にあった百済を滅ぼしたことか
ら、始まったのです。これにより、倭人たちは、アジア大陸から追
い出され、海のなかに孤立した。当時の情勢は、今にも唐軍が日本
に上陸して、制圧される危険があった。このため、倭国は結集して
日本として、それまで王を天皇と名乗り、中国の皇帝の臣下ではな
く、中国皇帝と同格だと主張したのです。こうして中国文明からの
独立を宣言した。われわれの祖先は、日本は中国とは違うのだとい
う、日本独自の文明を作り出す努力を始めたのでした。

中国の資料では「倭国」は670年で消え、「日本国」が701年
に現れている。この間に日本建国があったことになる。
中国文明は歴史ある文明だから、それに対抗して、独自性を確保し
ようと歴史を日本も作ったのです。それが「日本書紀」でしょうね。

この日本ができた時点の事情で、日本は中国の影響はなかったと主張
したため、その後1300年以上日本の国際的な立場と行動は、鎖国
的になっている。建国の当初から鎖国が国是だったのです。

しかし、韓国は中国の外臣として、皇帝の臣下に準ずる扱いを受け
ていたため、韓国と日本は対等では付き合っていないのです。日本
の天皇は中国の皇帝と同格ですから、その臣下とは対等な関係がで
きなかったのです。江戸幕府は朝鮮王からの通信使の祝賀を受けた
が、征夷大将軍はやはり日本の元首ではないのですから、正式な
国交ではないのです。

1871年(明治4年)清国との間で日清修好条約が最初です。
閉鎖的な日本の性格は、中国の侵略に対し自衛するという建国をめ
ぐる国際情勢が生み出したもので、反中国が日本のアイデンティテ
ィなのであり、そのアイデンティティに根拠を与えたのが「日本書
紀」が創り出した日本文明の歴史観だったと言える。


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