461−1.読者の声(白鳥氏関連)



kishizuka
no.454-2白鳥コラムについてのコメントです。

あなたの観念論とか精神論から国際戦略を考えようとするのは
その国や人の文化の未熟さを示すようなものに
見えてしょうがありません。

日本の近代史を振り返っても、現実に基づいていない下級武士の
尊皇攘夷とか戦争中のヤマト魂とか大東亜共栄圏とか八紘一宇、
五族協和、王道楽土、神風とか観念、スローガンだけで実質の伴っ
ていない政策のなれの果てで大失敗してきた事実を連想させるせい
かも知れません。

歴史哲学を持っていない人は政治家になる資格がないと欧米で言わ
れます。
政党結成を目指しているのなら、観念論でなくて、自国の歴史から
抽出した社会学とか国益に基づいた打算とか高い見識を感じさせる
ような政策論を持っていないと国家を歴史的に前進させることは出
来ないのではないでしょうか。
自国の歴史を縦軸に国際理解を横軸にして、政策を決めるというの
が私は正しい政治家の資質であるような気がします。

数字と現実に基づいた政策を言わないとなんだか、大東亜戦争当時
の未熟な大本営風の観念論、精神論だけの政策レベルから進歩して
いないように感じてしまいますよ。

弱肉強食とか適者生存論も拡大しすぎれば、民族的優越とかナチス
のアーリア人がスラブやユダヤ人より・・・とか行き過ぎになる
可能性もあります。
競争が激烈になって、血で血を洗うようなことになってはだれもが
被害者になってしまいます。
棲み分け論とか共栄共存主義が本質的だと思いますが・・・
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「国際戦略コラム」に「白鳥氏のコラム」は不要だと思います。
理由は、「国際戦略」とは何の関係もないからです。
「米国の政治・経済・軍事」などは、タイトルの趣旨に沿った
内容で興味深く拝見しておりますが、上記の通り「白鳥氏のコラム」
が何故、時たま掲載されるのか理由が分かりません。
より彼の品位と教養にふさわしい場所で掲載した方がいいと思います。

from Tony M .
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(Fのコメント)
このコラムの原則は、今までは送っていただいた原稿は、なるべく
乗せることを原則としていました。ご理解をお願いします。
また、少し読者投稿ルールを変更します。
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>     国際戦略コラム    NO.451−2      ???
>TAKAHASHI
> 白鳥氏の議論は、浅い横軸があるのみで、縦軸は感じられない。
> 例えば、縦軸の解釈には、
>
> 1.歴史的流れの中での現代の解釈
> 2.過去から見た現代の解釈(過去を現代と見たときの未来の解釈
>   に相当)
> の2つは最低欲しいものである。
>
> 白鳥氏にお願いするのは、この2軸踏まえての議論をして頂けない
> であろうか。つまり、資本主義の歴史と構造に対する氏の論説であ
> る。
(お答え)  白鳥 宙

あなたの仰りたいことは良くわかります。私も、常日頃から、あな
たと同様の事を考えています。人間の物の見方は、あくまで「見方
」ですから、どこかに、基軸を据えて見ているわけです。常に、
視野点というものがあり、その視野点が同じ方向性から、対象物を
捉えなければ論議がかみ合わないということは良く分かります。

そこで、私は、現代一般的に社会の構造が資本主義経済体制と捉え
られている(日本だけかどうかは知りません)観点に立脚して、
論議を展開しているだけなのです。
対象物を捉える方向性は同じでも、その視野点の位置がより深けれ
ば、対象物をより広く、より深く認識する事が出来ます。(あなた
の言葉では、より「広い視野」と「狭い視野」)
だから、私は人と論議をするときは、「あなたと同じ次元(見る立
場の方向性が同じということ)でお話しましょう」と言うのです。

確かに、社会というものを捉える時、また経済というものを捉える
時「資本主義」という現代的一般概念だけでは捉えきれないものが
あることは確かです。
しかし、あなたが言うように、教養のレベルが違うものに、すぐに
新しい概念を理解させようとすることは、なかなか骨の折れること
で、実際には難しいでしょう。

私も、あなたのいうように、現代の世界観、社会観、歴史観、時代
観、人間観、経済観、教育観、人生観、(科学でさえも「科学観」
でしかないと私は思っています)
等々、現代の学術体系をすべて見直し、これからの新しい時代(こ
れさえも「観」ですが)に向けた総合的な哲学体系というものを
構築しないといけないと思っています。

それで、私は実際に、それに向けた私なりの一つの指針を提案、提
起しており、それは、まだ完全には学術体系化してはおりませんが
、その私なりの哲学に立脚した、実行動も起こしているのです。
この新しい(といっても、実際には太古の昔から、その基幹部分は
厳然と存在しているのですが)学術体系を確立する上で、現代の
先端的な心理学(例えば、トランスパーソナル学会の活動など)は
、大いに参考にすべきものがあると思います。

私自身も、私の本http://www1.odn.ne.jp/chuuwa
第一巻「あがき」アイデンティティー確立の記録」)の中で、書い
たように、昔から色々なことが疑問で、学校で教わる勉強そのもの
に面白さを感じませんでした。アメリカ大陸がコロンブスによって
発見されたと言っても、あんなどでかい大陸に人間がそれまで住ん
でいなかったとはとても思えませんでしたし、政治や経済、或いは
社会という言葉の意味すら、大学を中退した後、初めて分かったよ
うな、私は人間なのです。

だから、あなたの私の言説に対する疑問の意味は良くわかります。
ですが、私の一つの言説だけをご覧になって、意見されるのではな
く、今まで、このコラムの中で、述べたものや、私の本をよくご覧
になって、私の視野点というものをご認識頂きたいと思うわけです
。その方が、私としては、言葉は悪いかもしれませんが、質問に
お答えする手間が省けるわけです。

あなたが私に尋ねられる「縦軸の捉え方」もそうすればよくご理解
いただけるのではないかと思います。
あなた自身も相当に勉強されてこられたようでから、この新しい
学術体系を作り上げるのにお力をお貸しいただければ幸いと思うわ
けです。

最後に、私のPSIUの正式名称は「PSIU設立準備委員会」で
す。この趣意書を以下に記しますので、宜しくご協力のほどお願い
申し上げます。設立期日目標は12年後です。

P.S.I.U(プレマサティア国際大学)設立準備委員会 ご案内
 現代日本において国際的に通用するリーダーは人口の割に少ない
のが現状です。
 アメリカ主導の今までの時代は、徐々に終わりに近づきつつある
との認識を私共は持っております。これからは、アジアの時代、
その中でも環日本海を中心とした世界文明が21世紀から形成され
てゆくと思います。そのアジアの中にあって我が国日本は、国際社
会でのリーダー的立場をいやが応でも世界から求められると思われ
ます。
 一方日本国内においても様々な領域において、現代ほど強力なリ
ーダーシップが求められている時代はそう多くはないと思います。
今は、万人認める時代の変革期です。時代の変革期においては、
数多くのリーダーが輩出しなければなりません。そして、そのリー
ダーとは、民衆一人一人の「心」を己が心として、また、森羅万象
に至る万物全ての「心」を己が心として理解する真の意味での「地
球人」でなくてはなりません。

 またここ富山県においても、経済、教育、行政、等あらゆる分野
で変革が迫られています。旧態依然たる発想を抜け出て、新しい
発想に立脚した様々な運動が展開されるようになるのが望ましいと
考えます。
 私共は、ここ富山県に、国の内外に通用するリーダーたるべき
人材を発掘し、教育するための国際総合大学の設立を提唱致します。
 これからは、すべての学部学科を統合する学際化という流れの中
に、それぞれの学問を位置づけた研究がなされなければならないと
考えます。
 この新しい大学の設立に皆様方のご協力を慎んでお願い申し上げ
ます。
P.S.I.U 設立準備委員会
代表    白鳥 宙
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「原点」を忘れた文明は滅びる

 道路を作っているのは、額に汗して働く人夫たちであり、役所の
役人たちではない。従って、役人たちに高い給与を支払う必要はな
い。
 人間は、モノを作るか、モノを売るかして、社会貢献をしながら
報酬を得る。これが原点だ。モノを貰って生活をしようという者が
多くなれば当然社会はおかしくなる。
 現在は、作ろうとせず、売ろうとせず、貰って生活しようとする
者が、多く現れ過ぎたので、経済がうまく回らなくなっただけなの
である。おこぼれにあずかろうとする連中が多くなり過ぎたのだ。
管理するものは、所詮は世話役であり、彼らに高い給与を支払う
論理的合理性は何もないのである。その辺のところを皆がはきちが
えたまま、世の中をまわそうといくらアクセク知恵をしぼったとこ
ろで、原点が間違っていたのでは、うまくいかなくなるのは当然の
ことなのだ。
 搾取の意識を持つ経営者も、税金をいかにうまく巻き上げるか
ばかりを考えている役人も、公共事業に蟻のようにむらがる建設業
者も、楽な仕事で高い給与を望む一般社会のサラリーマン達も、
全てこの類の人たちだ。また、責任を取る気概もなく、やたらテレ
ビに出たがる物書き連中の口先八寸のたわごとを重く見過ぎ、彼ら
が高報酬を得られるような社会のシステムを作ってしまっているの
が問題なのだ。

 今、我々がこのまま「人間の生きる原点」を忘れたままの生活シ
ステムを良しとして、誤った「成長神話」にすがり続けるならば、
早晩に現在の経済システムは完全崩壊してしまうだろう。
 学歴や資格がクソにもならない世の中に、これからはなっていく
のに、未だに逆の方向に皆が努力している。
 額に汗して働くことの尊さを教えないで、逆にその者を蔑むよう
な教育を子供たちにしているから、大人になって、できるやつは
威張り出し、できないやつはキレだすのである。

「もの」が「物」になってしまった日本
 昔の日本人は、精神と物質を分けて考えてこなかった。
 全ての「もの」の中に心を感じて生きてきた。
 万物の中に「思い」が込められていると感じて、米粒一つ残さな
いでご飯を食べる習慣もあった。
 「ものを大切にせよ」と昔は親たちからよく言われた。
 現代では、「もの」が文字通りの「物」になってしまった。
 極めてドライな発想の中で、「これは何ぼのもんや」とその物に
込められた「思い」を解することもできず、単なる労働価値説や人
気で物の価値を金銭的に割り切る合理的な考え方を「文明化」と勘
違いするようになった。
 「文明」の中の文化をおろそかにし、文明の片面にしか過ぎない
「物質」の方にばかりに目が行くような教育をし続けてきた結果、
子供たちの心にも虚無感が漂っている。
 伝統としての文化をおろそかにして、文明は成り立たない。従っ
て現代の物質偏重主義文明は、早晩のうちに崩壊し去るだろう。
 物質はいつか崩壊するが「思い」は永遠に残る。強い「思い」が
あれば、それは別の形をとってまた現れてくる。
 戦後は、心(思い)を忘れ、物質的華やかさだけ追い求めて、
狂人のように突き進んできた。
 しかし、今現代日本人の心は大きく傷ついており、ストレスの
蔓延する社会の中で、段々と「本もの」を求める機運が、微弱では
あるが、出始めてきている。
 恐らく、今まで戦後、自分たちが足場としてきたものの考え方を
、大転換しなければならないような状況の中に、みなが立たされる
だろう。そして発想転換を出来ない者たちは、この新しい波の中で
溺れ死んでしまうだろう。
 これから始まる21世紀新文明は、「心の文明」であり、目醒め
た者たちが、破壊の中から、「本もの」の新しい文明を徐々に築き
上げていくだろう。

偏見に凝り固まった日本人
国際交流には、国際結婚を奨励することが一番手っ取り早い方法だ
と考えて、営業に回っていると、日本人(ここは富山県)がいかに
了見の狭い見方に凝り固まっているかということがよく分かる。
「あいつは、外国人しか嫁に貰えなかったのか」と言われるのを皆
が恐れているのである。本人も家族もである。
みんな一体日本人を何様だと思っているのかと言いたくなる。逆に
「お前は、日本人しか貰えないのか」と言ってやりたい。
現在の日本に「おしん」のような心を持った若い女性はほとんどい
ない。「大和なでし」こという言葉も死語になりつつある。

先日も中国の大連にいってきたが、街を行く女性はみな美人で、
心根がやさしい人たちだ。田舎の方にいけば、さらに宝石のような
心を持った人たちが数多くいる。そんな中国の女性たちと、日本の
ミーハ族のキャンキャン娘と、どっちを嫁に貰った方が自分は幸せ
になれるのかと考えてみる想像力すらないのだろうか。
そのような狭い了見を、本人も家族も持っているから、その家には
嫁が来ないのである。

日本人も、遠く先祖を辿れば、何処の馬の骨とも分からない人種な
のだ。北方の国から流れ着いた者もいれば、南方の方から、追われ
て逃げ込んできた人達もいる。それが我々日本人の先祖たちだ。
戦後、自分たちが少しばかりの金を持ったのをいいことに、経済的
に貧しい国々の人々を蔑んで見ている。だから、観光旅行だ、視察
旅行だと名目打って、売春ツアーに出かけ、金の力に物を言わせて
、高値で女を買って、アホみたいな顔をして喜んでいる。所詮、
自分たちは成金なのだ。
成金が、浮かれて、金を享楽三昧に使っている姿ほど醜いものはな
い。そういうことの自覚が足りない。
日本人は、自分の顔を鏡でよく見てみないといけない。所詮、金を
たくさん持っているので、世界の国々の人々は付き合ってくれてい
るだけであり、現在の日本人の教養や道徳心を彼らは評価している
のではない。

自分が純血日本人(そういう者がいるかどうかは知らない)だと思
っているなら死ぬまで純血の相手を待っていればいい。さすがに
最近は「バージンじゃなきゃ嫌だ」とは、日本の男たちも言わなく
なった。


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