459−2.「般若心経」の現代語訳



得丸
各位、
昨年末の「空=デルタt」を読んでいただきまして、ありがとうご
ざいました。
あの解釈に基づいて、「般若心経」を現代語訳してみました。
以下の文章は、引きこもりの子供たちのための雑誌「コロボックル
」3月号のために書いたものです。
ご意見ご指導お待ち申し上げております。

得丸久文
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時間旅行者の君たちへ、今この一瞬だけを見つめて生きよ!

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子川のほとりにありて曰く、逝くものは斯くのごときかな、昼夜を
おかず。(論語,221)

孔子が大きな川のほとりに立って、川を指し示しながら、弟子たち
に言った。
「この川の流れのように時間はとうとうと流れていく。昼も夜も、
一瞬として休むことなく。けっしてあと戻りしないで、上流から下
流へと、過去から未来へと一方向に流れる。この流れにさからって
みても無駄だ。いいかい、君たちは皆この時間の流れの中を生きて
いるんだ。だからこの時間の流れとどう付き合うかが重要なのだよ」

時間は誰にも平等に与えられる。でも、時間の使い方のうまい人も
いれば、下手な人もいる。「少年老いやすく学なりがたし」という
言葉もある。人生を楽しく有意義に過ごすためには、時間とどう付
き合うかを極めることが大切なのだ。

「色即是空、空即是色」という般若心経の文句は有名だ。だけど、
この「空」の意味はわからない、難しいと言われつづけてきた。
「空っぽ」と訳すと意味が通じないのだ。「色」とは「現象世界」
のことだから、そのまま訳すと「世界は空っぽであり、空っぽが
世界なのだ」ということになる。空を「空しい」、「実体がない」
と訳しても同じだ。明確な意味をなさない。

実は昨年秋に、勉強会仲間との対話の中で僕は「空とは、時間の変
化量、デルタtだ」と思い至った。空とは、限りなく短い時間の変化
量。時間だから、けっしてとどまってはおらず、一方向に向かって
進んでいるのだけど、あまりに短い時間だから大きな動きはなく、
あたかも止まっているかのように見える。それが空だ。

以来、いろいろな人に、この解釈の当否を聞いているけど、これが
明確な誤りであるという人はいない。理解してもらえない人も数多
くいるが、それは彼らが空は空間概念であるとかたくなに信じてい
るからだ。空が時間概念であることがそもそも受け入れられない、
耐えられないようなのだ。

この解釈に基づいて、「般若心経」を読み解くと、このお経は、
時間旅行をしている僕たちのために、なかなか意味あるアドバイス
をしていることがわかる。ちょっと読んでみよう。(識は、宇宙の
法則として訳出した)

現代語訳般若心経
観自在菩薩が深淵なる般若波羅密多の修行をしていたとき、五蘊(
すなわち現象世界と、人間の感じることと、人間の思考することと
、人間の行動と、それらすべてを包みこむ宇宙の原理・法則)は、
すべて限りなく短い一瞬のことにほかならないということに気付き
、それによって衆生を一切の苦しみから救ってくださった。

舎利子よ、現象世界は、すべて限りなく短い一瞬にすぎない。限り
なく短いこの一瞬が、現象世界そのものなのだ。

色即是空、空即是色。現象世界は、限りなく短い一瞬が集まって
出来上がっており、限りなく短い一瞬が、積もり積もって現象世界
を形づくる。

人間の感じること、人間の考えること、人間のとる行動、宇宙の法
則も同じだ。
それらは限りなく短い一瞬であり、限りなく短い一瞬一瞬の積み重
ねが感覚、思考、行動、宇宙の法則を形づくる。

舎利子よ、限りなく短いこの一瞬の中に全てのものが存在するのだ。

その状態では、生まれることも亡ぶこともなく、汚れてもおらず
きれいでもなく、増えもせず減りもしない。

だからこの限りなく短い一瞬には、現象世界も、感覚も、思考も、
行動も、宇宙の法則も、何も作用しない。目も耳も鼻も舌も体も心
もなく、現象も音も匂いも味も触感も法もなく、視覚によって認識
される世界も、心のイメイジする世界もない。

だからそこには、愚かさも、愚かさがなくなることもない。老いと
死もないし、老いと死がなくなることもない。苦があること、苦の
原因は何か、苦をなくすこと、苦をなくすための方法、といったこ
とも考える必要ない。悟りを得るための知恵もいらないし、悟るこ
ともない。なぜならそこは限りなく短い一瞬なので、その僅かな時
間の中では、何も得ることがないからだ。

こうして菩薩はこの般若の知恵によって、心がとらわれなくなる。
心にとらわれないから、恐怖がない。一切の本末転倒した妄想から
離れることができ、絶対的なやすらぎの境地に至るのだ。過去、
現在、未来の三世の諸仏もみんな般若の知恵によったがために、
完璧な悟りを得られた。

だから次のことを知るべきである。般若波羅密多は大いなる真言で
あり、私たちの灯明となる真言である。この上ない真言であり、比
べるもののない真言である。全ての苦を除くことを可能にしてくれ
る。真実であって、虚偽ではない。

それでは般若波羅密多の真言を説こう。その真言とは次の通り。
「行った行った、彼岸に行った、悟ったぜ、目出度いぞ」
(得丸久文、2001.02.27)


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