446−2.白鳥コラム



ボス猿のいない猿山=現代日本国家
                          白鳥 宙

 人間の群れにも動物の群れにも必ずリーダーというものがいる。
 現代の日本にはリーダーがいない。それで皆てんでんばらばらで
纏まりがつかないという状態になっている。それで何も意思決定で
きず、外圧に頼るということになる。

 中曽根さんのころまでは、それなりに日本の顔というものが見え
た。いわゆるニューリーダーと呼ばれる人たちが登場してから日本
はおかしくなった。「ニュー」というのは「小粒」という意味とも
受け取れる。
 角栄さんのころは政策の是非はどうあれ国家に纏まりというもの
があった。小学校しか出ていない田舎者の土建屋が一国の総理大臣
になったのだから、マスコミも国民も「今太閤」と秀吉にあやかっ
たあだ名をつけもてはやした。彼は取り巻きをどんどん作り政界史
上最大の派閥を作った。この世の多くの社会的実力者たちが角栄の
目じりの片隅に自分を捕らえてもらおうとして寄り集まった。

しかし角栄さんも世界的な時代の大きな波は読み取れず、また自主
外交をしようとしたものだから、アメリカのメジャー企業の反発を
受け彼らの陰謀に倒されてしまった。それ以前にはルポライターの
立花さんに金脈人脈を暴かれ、マスコミと国民から手のひらを返し
たように叩かれるハメになってしまった。

マスコミも国民も勝手なもので、多数が流れる方向には容易に自分
の身も流す。世間様が日本人にとっては神様だから、世間が叩けば
自分も叩く。世間が誉めれば自分も誉める。自分だけが浮かび上が
って村八分になるのが皆怖い。みんなの中で穏便に生きていかない
といじめられて、仲間から付き合ってもらえなくなる。「白い目で
見られる」というのを一番怖れる。集団を離れては生きていけない。
そうやって日本民族は羊のよう「メーメー」と鳴きながら群れを作
って生きてきた。追われ追われて生き延びて、西から東へと逃げて
きた。そして東の端の島国にたどり着いた。それが我々の先祖たち
だ。それで「和をもって尊しとなす」という掟を守って生きてきた
。ところが追われ逃げ込んで日本列島にやってきた者の中には羊ば
かりでなく山羊もいた。
西の狼から逃れた人々だ。彼らには羊の気質もあるにはあったが、
狼の気質も併せ持っていたので、山羊たちを支配したくなった。
それでこの東洋の平和なはずの島国でも争い事は絶えなかった。
源氏は山羊で、平家は羊。私の郷里富山県の五山地区は平家の落人
たちが作った部落で、昔は陸の孤島と呼ばれていたのが、今では世界
文化遺産に指定され、多くの観光客でにぎわっている。平家の先祖
たちは喜んでいるのか悲しんでいるのか分からない。

歴史というものは凡人には予測できない展開を示すものだ。現代社
会において、狼の心に毒された山羊というのはいわゆる実力者たち
だ。この世の多くの政治家や財界のトップたち、また中間管理職や
平職員の中でも権力志向の者たちは狼の心をもった山羊たちだ。
それで上司や他人の批判をよくする割りには、自分が同じ立場に立
ったとき彼らと同じ事をして平然とした顔をしている。彼らの多く
は似非正義主義であり、煽動家たちだ。左翼革命の首謀者たちも現代
の多くのマスコミの方々もだいたいこの類だ。それが見抜けず、人
の良い日本の一般庶民はマスコミの流す情報に安易に流されてしま
う。かつての大東亜戦争を煽ったのも彼らだ。朝日新聞などは今は
正反対のことを書いているが、時代が変わればまた今とは別のこと
を書き出すかもしれない。
関東大震災の後、地震の原因が朝鮮人のせいだといって彼らを迫害
したのも皆彼らだ。全ての大きな社会的混乱の背後には、それを煽
動する者がおり、彼らはそこに乗じて金儲けを企むのだ。

大事件や社会的混乱が起こって一番喜ぶのはマスコミだ。平穏が続
けば新聞も週刊誌も売れなくなり、おまんまの食い上げになってし
まうというわけだ。今は、政界にボス猿がいないので、小混乱ばか
りで大激動がなく、従って政治ネタが売れず、政治担当の記者たち
は元気のない顔をしている。スポーツ担当の記者たちが一番元気が
いいようだ。それとて、イチローや松井やタイガーウッズがいなけ
れば、新聞も週刊誌も売れず、彼らの顔も曇ってしまうだろう。
そして次なる混乱を探し、見つからなければ自分たちでそのネタを
作り出してしまう。

 歴史というものは繰り返す。おごれる者は久しくない。「後の者
は先になり、先の者は後になる」(イエス キリスト) これから
は間違いなく女性の時代となる。21世紀という時代は聖書でいう
一千年王国となるのだろう。近代を覆っていた価値観、現代におい
て支配的な価値観はほとんどが跡形もなくなるだろう。現代我々の
ほとんどの者がよって立っているものの考え方は大きな音をたてて
崩れ去ってしまうだろう。パラダイムの大転換がもうすぐ起こる。
そこでは、多くの者が苦しむ、いや既にこの世の今までの実力者の
多くが今苦しんでいる。自分の知力や財力で弱き者から搾取をして
きた人たち、いままで甘い汁を吸ってきた大銀行やゼネコンその他
の企業のトップたち、またそのおこぼれに預かろうと自分の良心に
そむいて悪事を働いてきた者たちの多くが今苦しんでいる。そして
未だに懲りず甘い汁を吸おうと貪欲に生きている。彼らは救い難い
人々だ。

「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」
「無花果の葉が色づいたなら、終わりの時が近いことを知るがよい」
「人は見るには見るが決して悟らない。人は聞くには聞くが決して
聞こえない」
「私が笛を吹いたのに、あなた方は踊ってくれなかった」
「終わりの時には多くのものが私のところに助けを求めてくるだろ
う。『私はあなたの名によって予言をしたではありませんか』『私
はあなたの名によって人々の病気を癒したではありませんか』『私
はあなたの名によって祈ったではありませんか』と言うであろう。
しかしその時私は、はっきりこう言おう。『私はあなた方を全く知
らない。不法を働く者どもよ,行ってしまえ』と」
「私の弟子であるという理由で、これらの最も小さい者たちにコッ
プ一杯の水を与えた者は、はっきり言っておくが、決して救いから
漏れることはない。これらの最も小さい者にしたのは即ち私にした
のである」   (イエスキリスト)
                        
 「隗より始めよ」という言葉の意味を政治家たちは知らない。
賢者を自分の家に招きたければ、まず私のようにさほどにもない者
を優遇しなさい。そうすれば、あなたが付き合いたがっている賢者
たちは次々にあなたに会いにあなたの家へやって来るだろう、とい
う意味だ。それが転じて、遠大なことを成す時はまず卑近なことか
ら始めよ、となった。今の政治家たちは中国の古語を引き合いに出
す割りにはその意味を知らない。自分が言ったことを実践しないの
であればいかなる知識もそれは空しい。

 角栄さんはこれを実践した人だった。だから多くの人々が彼の回
りに集まったのだ。彼を利用しようとする人々(狼たち)も彼はそ
の心を見抜いて快く招き入れた。
誰かが田中角栄は最後の縄文人だと書いていた。今の日本人は縄文
人の心を取り戻さないといけないと思う。
 角栄は紛れもない獅子(ライオン)だった。それで日本政界とい
うサバンナにはそれなりの調和があったのだ。今はライオンがいな
い。ライオンのような勇気も力もないのにライオンになりたがる者
が角栄さん以後続出した。ハイエナ同士の群雄割拠の時代がしばら
く続いたが、今国家が倒産しようとしているこんな時代には誰も
総理をやりたがる者はいない。誰も最後のババは引きたくないだろ
うから。トランプでババ抜きをして総理大臣を決めるというのも
面白いかもしれない。

 いずれにしても今の日本には、縄文人の心をもった強いリーダー
が必要である。21世紀を担う子供たちの世界にも今ガキ大将がい
ないので統率が取れず、陰湿ないじめが大流行なのである。
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村文部科学大臣様

はっきり言って、今のあなたには大臣でいて欲しくない。
心の部分が最も大事な青少年問題を、データと言葉だけで乗り切れ
ると考える、頭デッカチの人間には、語って欲しくない次元の時言
です。
確かに、現代の若者の行いが、良くないと言われるのは解ります。
あなたの意見は、間違ってはいないと思います。が、解決の考え方
は明らかに、エリートの考える策でしかないと感じます。
「策士、策におぼれる」の言葉通り、あなた自身の考えの浅はかさ
を、露呈しているに過ぎません。

犯罪に染まる者、暴力に訴える者、いじめ・いじめられに属する者
は遠い昔から存在したのです。心を病んだ者、又、若さゆえの反逆、
そのすべての意識を、同レベルの問題として捉えている様に感じら
れます。
その者は、何かを訴えているのです。手段や方法は社会的に非難さ
れる事でしょうが、間違いなく、何かを伝える為にというより、何
かの意志によって、伝える役割を持たされた、被害者の一人ではな
いでしょうか。
人道的にはとうてい許されない事、被害者から見て許されない出来
事、多々あると思いますが、その全ての事件の背景に何があり、
それに至るまでのプロセスとして、何が引き金になったのか、また
その人間を作り出した原因があるのなら、それは一体、何であるの
かを微塵も考えないあなたが、信用できないと言っているのです。
その気持ちが、あなたの言う、未完成な、自己統制力を持たない
種族を、生み出している一端だと気付けないのでしょうか。

例えば、菓子売り場の前で大の字に寝て、手足をバタつかせながら
泣き叫ぶ子供を見たことはありませんか。その行為が、欲しい物を
手に入れる手段だと知っている子供なのです。
周囲の目が気になる親は、行為を止めさせる為に、買い与えてしま
う事を知っているのです。それが通らなければ、その子供は次は
異なる効果的な手段を、覚えるでしょう。そんな行為に、周囲は
嫌悪感を持ちます。が、誰もその子供を精神病院に連れて行くこと
はないでしょう。しかし、その手段を最良の方法だと記憶したまま
大人になった者は、欲しい物があるたびに、その手段を試みます。
周囲の迷惑を理解しながら、それを強行することで、成功すると、
インプットされているのだから、当然のことです。

つまるところ、間違ったデータをインプットされたコンピュータに、
正しい答えを求めてもそれは不可能なのです。さらに言うなら、
「三つ子の魂百まで」の例え通り、大人になってから、これが正し
い事だと押し付けても、コンピュータそのものを白紙のレベルに
リセットするか、壊すしかないのです。
そんな事を、任期を持つあなたが、できるのですか???

実際に社会の中で、リセットの方法で苦労している団体はたくさん
あり、その中で、必死に戦っている若者もいます。
しかし、社会そのものはその団体を認めていないのが現実です。
国民の大多数は、「対岸の火事」的意識でしかないからです。
自分や、自分の家族が、そのものに受ける危機の存在があるやもし
れないと話すと、「協力」より、「敬遠」を選んでしまうのが、
一般的なのです。

心を動かすのは、心でしかなく、難しい言葉や、文字を並べ、頭で
理解させても、心動かすことは出来ないのです。

心を理解することは、理屈ではないんだと、誰もが知っています。
結果を求める前に、心の痛みを探ってください。心の叫びを聞いて
ください。自己統制力は、自他に拘る痛みを自らが知ったときに
初めて生まれるものだと気付いて欲しいのです。

白鳥 空
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W先生への手紙

日頃のご活躍に敬意を表します。
先日上京致しました時に、ふと思いたって先生のご自宅にお伺いさ
せて頂きましたところ、インターフォンに男性の方が出られて、
先生は休暇で山形の郷里に帰っておられると聞き、残念な思いで富山
に帰ってきました。
私は二十四歳の時、悠久なる歴史における「現代という時代」の
意味について気づかされました。そして、現代世界における日本国
の使命について、またその中における私の住む富山県の使命、そし
てその中での私自身の使命ということに何となく気づかされました。
ただ、その使命を果たすというのは、とんでもないことで、その時
の私の精神状態からすれば、片足のない者がチョモランマのてっぺ
んに登れと言われているような気が致しました。
私自身は二十一歳の時まで、人間というのは物質的アトムの集合体
でしかないという考えを前提として、あらゆる物事を合理化してい
ましたが、アメリカ大陸をヒッチハ
イクで旅をした時、とんでもない体験を致しまして、自分自身の実
存的姿というものを見せつけられました。以来(それまでも科学的
見地からは、その方面の本を読んだりはしていましたが)、心理学
や宗教、聖書、仏典、論語、ドストエフスキー等の小説など精神世
界全般に渡る本を深く読むようになりました。そして、そこの登場
人物の心が全て私の中にあると感じるようになりました。何を見て
も何を読んでもその中の人物たちが、自分の分身のように思えるよ
うになったのです。イエスも孔子もヒットラーも全て私自身のよう
な気がしたのです。私は自分の半生の中で、世界の歴史上の人々が
抱いてきた思いというものを全部味わされてきたように感じるので
す。
先日、私の郷里である高岡の古城公園で越中夢幻たんの劇をはじめ
て見ました。今年は12回目だそうです。大伴家持が、現代今なお
この富山県高岡の地を見守っているという前提に立ち、地元住民
1100人が壮大な日本の歴史を演ずるのです。私は、それを見て
いて初めから終わりまで泣き続けました。美しい大和言葉に込めら
れた日本民族の心は今も尚、決して枯れることなく、悠久なる歴史
を経て、この高岡の地に脈々と息づいているのだと思いました。
私は20代の頃から、自分自身のアイデンティティ、そして日本人
としてのアイデンティティ、そして人間としてのアイデンティティ
を自分の思考の中で深く掘り下げてきました。同じことを夏目漱石
や新渡戸稲造たちも考えていたみたいですが、私はさらに深く掘り
下げようとしてきました。そして、フトイト・ユング・フロム等も
本自体は解説書しか読んでいませんが、彼らの立てた仮説はよく
理解できますし、また、何故そのような仮説を立てるに至ったかと
いうことも彼ら自身の人柄(性格)から来るものであろうというこ
とは分かりました。私自身は純粋理性というものはないと思ってお
ります。人間のあらゆる思考や行動を決定づけている要因は「愛」
と「不安」だと私は思っています。そういう目で見ますと全ては許
せると申しますか、穏やかな目で全ての事象を照覧することができ
るのです。それで私は最近、平安を感じております。
さて、日本文化の根底には仏教精神があるといわれているのが一般
的ではありますが、仏教と同時に、儒教の影響も多分にありますし
、一部の人々にはキリスト教の影響も受けています。でもそれを
さらに掘り下げてゆくと、やはり神道的なもの土台にはあるように
思えるのです。そして、その神道的なものをさらに深く掘り下げて
ゆくと、縄文神道、そしてさらに掘り下げてゆくとアニミズム的な
世界があり、万物自然と一体化して生きる人間の姿がそこにはある
のです。日本人の心も最も根底には風が吹いています。穏やかな温
かくもあり、涼しくもあり、ひんやりとした冷たさも伴った極めて
穏やかな風が吹いているのです。そしてそれは全人類の心の根底に
も吹いている風だと思います。
インド人が日本にやってきて、神道はヴェーダーそのものだと言っ
たそうです。現代でも、アフリカ原住民やアメリカインディアンの
ヒポ族やインドの土着宗教を信ずる人たちの心には同じ風が吹いて
いると私は思っています。
先生、私は今、自分の書いた原稿をホームページを作り、流す準備
をしているところです。白鳥宙という私のペンネームのホームペー
ジです。少しずつ流してゆきます。
それと私の活動の一つである有限会社宙和とPSIUというボラン
ティア団体のホームページが明日二十三日にアップします。ご覧下
さい。
最近書きました原稿をいくつか同封いたします。お目をお通し下さ
い。
私は全ての業界の中にプロ的な人というのはまあだいたい百人に一
人、天才的とも言える輝いているのは千人に一人だと私の経験から
見ています。
自分がいっちょ前のインテリゲンチャだと思い込んでいる人々は
ほとんどがにせ者です。W先生はまぎれもない評論家の中では百人
に一人、ひょっとしたら千人に一人の人かも知れません。そういう
ふうに私は見ています。
歴史上で偉人と言われる人は、何が偉いかと言えば、その能力もさ
ることながら、その「勇気」だと私は見ています。そして勇気は愛
に裏づけられています。私は先生の中に愛を感じます。
私は必ず日本を改革したいと思います。少数精鋭でやります。同志
を集めてやります。
これからの時代は、団体やヒエラルキーの組織の時代から個の時代
へと移ってゆくと思います。自己のアイデンティティを深く掘り下
げ、自分自身の使命に目覚めた者たちから順番に立ち上がって世界
を少しずつよい方向へと導いてゆくようになるでしょう。そのよう
な人々のネットワークづくりが私の仕事だと考えています。実際の
ところまだまだ協力者は少ないのが現状です。しかし、歴史は常に
無名の者が出発点となって古い時代を打ち砕き、新しい時代へと
移行させてきました。歴史は書斎で造られると誰かが書いていまし
たそういうものだろうと思います。
先生、今後とも長生きをなさって、さらに多くのファンの方々を得
られるようお祈り申し上げております。
乱文にて失礼をば致しました。
平成12年7月22日
白鳥 宙


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