445−2.白鳥さんからの回答



国際戦略コラム    NO.439−1
> 「431−1.資本主義の終焉について」に対するコメントです。
> TAKAHASHI
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ご質問されている内容がよく理解できないのですがーーー白鳥
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> 431-1資本主義の終焉について ヤムホイ   2001/02/05 15:08
>
>  白鳥宙様
> > 資本主義というものも、もうその時代的役割を終えつつあ
> >るというのが私の認識です
>
> 確かに資本主義が最良であるわけではないでしょう。いつか終わる
> 運命なのでしょう。資本主義の精神とは労働それ自身を目的とする
> 精神・目的合理的精神・利子利潤の正当化であると思いますが、
> では次の世界では、どういう精神が支配するのでしょうか。

(お答え)過度な「自己所有意識」を持たない精神の人々で構成さ
れる社会。「足る事を知る」社会になってくるでしょう。本当の意
味での共産社会と言ってもよいでしょう。

言葉による概念は、人により捉え方はまちまちです。以下はあくま
で私の考えです。
「資本主義」という言葉における「主義」という言葉は、「自由主
義」という言葉における「主義」という言葉と概念を異にします。
「自由主義」というのはあくまで「自由に生きよう」という人間の
意志としての主義です。でも「資本主義」というのは、社会の経済
の有様を広く捉えた場合の「形」につけた言葉です。「自由主義」
という意識があって、「資本主義」と呼ばれる一つの経済の形態が
出来上がってしまいました。だから「私は自由主義者です」とは言
っても「私は資本主義者です」とは普段は言いません。私は経済体
制における一つの呼び名である資本主義がいいとも悪いとも言いま
せん。一番問題なのは、その社会を形成している人々の意識の有様
なのです。資本主義経済体制の中で、「経済」という言葉の本来的
意味である「経世済民」という動機にしっかりと立脚して仕事をし
ている立派な人々もおられれば、私腹を肥やすことに一生懸命な
人々もおられます。
現在は一応大まかには自由な経済活動が保証されており、その中で
、それぞれの思惑を持ちながら皆が働いています。

資本主義という社会は近代に入って生まれました。しかし、その
前提に一千年続いた中世暗黒と呼ばれる時代の反動としての「自由」
を求める意識の芽生えがあったのです。もちろん、中世時代にも
人々の意識は皆が皆「暗黒」と感じていたわけではありません。た
だ全体的意識としては、多くの、特に意識的に進んでいたインテリ
層の間に「抑圧感情」が生まれたのです。それで彼らが中心となっ
て新しい時代を切り開いて行ったということです。
ところが、いつの時代にもそうですが、人々の意識を逆手にとって
、それに便乗し、さも自分がその時代の先駆者のように振舞いたが
る人々がいます。その人々は、自分の本当の動機を隠し、自分の行
動を合理化するための「言葉」をつけます。それが「何々主義」と
呼ばれるものです。近代以降この「主義」という言葉が流行りまし
た。ところが、この主義というのはあくまで理性が生み出した一つ
の思惟概念でしかないのです。主義というのは、何を「主」な「義」
とするかを「意識的に」決めたものです。そして何を「義」とする
にせよ、この「義」というものは守るべきものだという前提がみな
の中にはあるわけです。従って本能の思惑を封じて行動することも
或いはできるでしょう。でもそれをやってしまうと無理があり「ス
トレス」を溜め込んでしまいます。
このような「主義」の全盛時代が近代以降の社会でした。もちろん
前述したように、社会の構造としては、この「主義」によって作ら
れてはいても、その中で生活をする人々一人一人の意識の有様は、
その主義を別段意識しないで、また逆にそれと正反対の意識で生き
ている人も沢山いたでしょう。
それでも、幸せを感じている人もいれば、その時代の主義に自分の
感情を無理やり閉じ込めて不幸感を抱いている人も沢山いたでしょ
う。
そして、この状況は現代でもそのまま当てはまっています。資本主
義で形作られた世の中の体制に不満を募らせている人は、かつてそ
れを謳歌した人の中にも大変多いのではないかということです。
「自由主義」という言葉にしても同じです。本当に意識の自由な人
は、あえて自分の生き方を「自由主義」だなどと声高には言いませ
んし、そもそも「主義」という意識すら持たないでしょう。

抑圧から解放される事を切実に望んだ人々によって新しい時代は確
かに始まったのですが、それに「主義」という名を附してその時代
の大衆の意識に便乗した似非の自由「主義者」もいたから、段々と
「出発点の『こころ』」が全体として希薄になって、総じて「我欲
(理性の強欲さ)」を容認する社会構造が出来上がってしまったの
です。

今多くの人は何かをしたい、また、やらなければと感じながら、
具体的に自分がどういう「行動」を起こしたらいいのか分からず、
暗中模索している現状なのではないでしょうか。あなたも自分のも
っとも「身近」なところからぜひ「何か」を始めてください。
以上のご返答で宜しいでしょうか。
>
> >人心腐敗、環境破壊、南北問題、その他諸々の問題が噴出
> >しているのが現代社会です。そして全ては人心道徳の荒廃
> >から引き起こったことなのです。
>
> 利子利潤の正当化の負の側面ですね。物質的な豊かさが心の貧困を
> 招く。資本主義社会では、常に頑張らないと取り残される不安があ
> ります。今日1日家で怠慢な日を過ごすと、外で働けば得られたか
> もしれないお金を失っていることと同じです。今500円余分に使
> えば、そのお金を運用して得られたかもしれない利子分まで捨てて
> しまうことと同じです。このような社会のなかでは、誰もがどうす
> れば豊かになれるかを考え、金にならない助け合いは後回しになっ
> てしまう。しかし、
> >現代における資本主義というのは、人間の欲望是認、更に
> >言えば、欲望を煽り立てることによって、資本を増殖させ
> >ようという考え方に立脚している
>
> 以上、避けられないとです。
>
> >資本の増殖を最重要価値とする社会が、資本主義社会である
>
> からです。社会全体としては、技術が進歩し莫大な富がうまれまし
> た。ここからどういう未来を築くかが資本主義がその負の側面を
> 最大限に発揮している現在に生きる私たちの課題ではないでしょう
> か。ただ、こんなえらそうなことを言っておきながら、具体的には
> どうすればいいのかいいアイデアはもちあわせていません。やはり
> 、「人心道徳」や「人間の原点」を見直すという教育なのでしょう
> か。

(お答え)大体あなたの認識で合っていると思います。
全ての問題の根源を考えてみる時最終的には「人生観」というもの
に突き当たるのではないでしょうか。
前述したように、社会的には資本主義体制でも、一人一人の意識は
皆がみな「資本の増殖」を思考しているわけではありません。
でも、一部には金を溜め込むことが生き甲斐だと思っている人もい
るでしょう。でも、多くの人は、金は手段だと認識しています。
金は何かを買うためにあるわけです。金はあくまで手段なわけです
から、金自体を自分の動機目的にしてしまう人が多くなれば世の中
が全体としておかしくなってくるのは当然です。
一人一人が、自分がどういうライフスタイルを望むのか、そのため
に一体いくらのお金が必要なのか考えないまま、ただ漠然と体制の
流れに身をまかせてあくせくし続ければ、決して心が満たされるこ
とはないだろうし、従って人生の目的である「幸福」に至ることも
ないと思います。
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> 白宙宇さんへ
> caosより
>
> 最近、この方のメールがとみに多いようなので、言論の自由に反し
> ないかぎりにおいて、意見したいと思います。
> 端的に言いますと、ちょっと、行き過ぎ。日本人でちょっと、行き
> 過ぎというのは、「かなり行き過ぎ」ということを意味します。
> 私も、自分の大学の卒業論文に、タオやダルマの思想を経済学的に
> 分析し、「よき社会」の一つの方向性として、見いだそうと理想に
> 燃えました。今でも、燃えてますが、それは、結論として、世界は
> 、科学と倫理の調和によって段階的に進歩していくものだというこ
> とでした。

(お答え)あなたの「言葉(文字)」に無意味に後頭部の痛みを覚
えました。
語られている内容全てが貴方の傲慢さを証明していると理解しまし
た。
白鳥的にわぁー、地球さんがぁー「もう死にたい」って言われたら
ー、アタイもーいっしょにー死んじゃしーみたいなー、それって困
るしー、何ていうの、がんばってほしいジャン!
KAOSUさんもぉー、地球さんがー死んじゃったらー、宇宙へい
くなんて超ムリーみたいなー、かわいそーーーて、感じ。
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最近のご意見・ご批判について

(私の立場)
私の言うことを「極論」だと言う人がいます。
私はそれを認めます。
私は「極」にもっとも関心があり、極に生きることに憧れを抱いて
います。
でも「極」と「極」があってはじめて中間もあるのです。
そして、極論だと批判的に言う人は、極を恐れる人であり、臆病者
であり、お相手する気も暇もありません。食べてみようともしない
人に味を教えてあげることは不可能です。
私には、自分なりの理想についてのアイデアがあります。
理想がなければ物事は前進しません。
私は極を言う使命を自覚してそれを行っているだけなのです。

最近何人かの方々からメールや直接電話を頂きます。直接訪ねて来
られる方もおられます。励ましも批判も探り入れもあります。その
どれも私は大歓迎です。そういう効果をねらってやっていることで
すから。ただ「正直さ」がない人は困ります。その人の言葉にお付
き合いすればいいのか、その人の動機にお付き合いすればいいのか
分からないからです。女性なら「いやよ、いやよ」は好きのうちと
いうことで手馴れてはいるのですが。大の大人の男性の方が、私が
足を上げないかと様々な策略を練っていらっしゃるのをみていると
何となくかわいそうで、足を上げてあげてもいいのかなとも思いま
すが、でもそれに味をしめて、他の人にも迷惑を掛けられると困る
のでやっぱり足を上げるわけにはいかないのです。

(日本が沈む)ということについて
沈むかどうか分かりません。ただ私は地球の心が感じ取れる友人か
ら38年後に日本は沈むと聞いたので、沈んでもいいように準備を
しているだけなのです。だから沈むことを証明しろと言われても困
ります。沈まないことにこしたことはないでしょう
が、今のままでは難しいだろうと私も思うのです。私は科学者では
ないので、何事につけ証明を求められても困るのです。証明と言う
こと自体に興味を覚えない人間なのです。私は飛行機に乗るのに飛
ぶ原理をいちいち証明されなくても乗れる部類の人間ですから。
でも多くの科学者も、いくら理論的に証明されても、「感覚的に」
受け入れがたいものは信じられないのではないでしょうか。コペル
ニクスの時もそうだし、サイババの物質化現象にしても見ても信じ
ない科学者は大勢います。アメリカでは「地球たいら協会」という
のがあって、1700名の会員がいるそうです。
死後の世界にしても、証明しろと言われても困るのです。「死んだ
らあなたも分かるでしょう」と申し上げるしかありません。日本沈
没についても、沈没してもいいように私たちはやっているだけで、
まあ言ってみれば保険屋みたいなものです。ただ沈没した時、慌て
ふためいて「白鳥さ−ん、助けて!」と言われても困ります。

それと、皆様に申し上げたいのは、今本気で何か「行動」を起こさ
ないとダメなのではないかと言うことです。国際戦略コラムの中に
は確かに示唆に富むものあります
が、言葉の概念遊びをやっているだけのように見受けられるものも
多々あります。単なる興味本位で国際戦略を論じよりも、自分の身
近なところで責任の持てる「行動」を起こすことの方が大事だと思
います。色々な知識は皆さまお持ちのようですから充分だと思いま
す。後はとにかく「行動」です。


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