442−1.ユダヤ人への偏見、華僑という名の幻影



ken
 
学者でもなければジャーナリストでもない、ただの一商人の、45
年間に渉る取引関係から見たユダヤ人と華僑についての、ボクの、
いわばデイファクト・アンスタンダードである。  断定出来るほ
どの経験でもなく、偏見かも知れない。 反論を歓迎する。
 
その1 [ユダヤ人への偏見] 
古い話だが昭和18年、横浜警察の特高課長と名乗る人の、「世界
制覇の野望―ユダヤ人」という講義を聞いたことがある。 まん前
第一列に座って、目を輝かして聞いていたボクは当時17才、聴講
者中唯一の未成年だった。
おどろおどろした旗やバナ−などを示しながら、特高課長は延々2
時間に渉って「いかにユダヤが世界を制覇しようとしてその爪を研
ぎ、策略を弄しているか」を述べ、「その魔手は、フリーメーソン
なる秘密結社としてすでに日本に及んでいる」と説明し、押収した
証拠物件を壇上に並べ立てた。 ボクは慄然とし、その余波はいっ
ぱし実業家気取りになった戦後に至るまで続いた。
 
戦後の西欧市場、とくにアメリカに関する限り、取扱商品の関係か
らかボクの客先はほとんどがユダヤ人だった。
ボクが彼らをユダヤ人と認識する根拠は薄弱で、日本へ来たとき神
戸のシナゴーグ(ユダヤ教寺院)へ付合いしたり、イスラエルに親
戚が居るという話を聞いて、「それならユダヤ人か」と思うにとど
まる。 彼らがとりたてて、自らがユダヤ人だと宣言したり、こち
らから「貴方はユダヤ人か」と聞くのも億劫な話だし、まあ言わず
語らずのうちに相互理解したわけである。 
 
人相や風体は同じユダヤ人といっても激しく異なり、一目してユダ
ヤ人と分る鉤鼻の人もいれば、日本人などと比べ物にならぬくらい
濃褐色の人も多く、これが果して同一人種かと疑った。 眉目秀麗
白人中の白人らしい人も多かったが、これはおそらくアシュケナー
ジと呼ばれる種類のユダヤ人だろう。新聞写真によれば、イスラエ
ルの新首相シャロン氏はなかなか男まえの白人で、ロシア系移民の
息子とのことだから、カスピ海北岸を原郷に擬するアシュケナージ
の典型ではなかろうか。
褐色のユダヤ人バイヤーたちは、概してあくの濃い顔立ちで、マン
ハッタン五番街に店を張る著名な商人たちに多く、義理にも白人と
は思えなかった。スペイン系ユダヤとか、セファルデックとかいわ
れるアラブ系の人々ではないだろうか。
 
われわれ黄色人よりなお濃色の、どちらかといえば醜い人々と、白
人以上に白皙で鼻筋の通った紳士たちが、同じユダヤ人としての連
帯意識で結合するには無理がありそうだ、というのがボクの40年
来の見解であり、それはいまなお変らない。
今回のイスラエル首相選挙で、アラブ系イスラエル人居住区の投票
率が20%に過ぎなかったという新聞記事は、そうした疑問にいく
らか答えているのではないか、とも思う。
 
取引先のうち、神戸の異人館に住む資産家エズラ・シュエケ氏や、
アメリカへ帰ったアメレックスのシュベッツ氏などは、ユダヤ人社
会の大物として、国際的にも名が高かった。
日本赤軍がテルアベブ空港で事件を起こしたとき、マスコミは大挙
してエズラ邸へ押しかけ、ユダヤ人代表としてのコメントを求めた。
しかしエズラ氏は、「私は政治家でもないただの一市民、言うこと
はありません」として、コメントを拒否した。 この話を聞いたと
き、ボクはハテナ?と思った。「故郷を追われて秘密に団結するユ
ダヤ人たち」という、ボクのユダヤ人観に対する揺らぎの一齣であ
った。
 
百人近くもいたボクのユダヤ系取引先は、例外なく率直で話の判り
が速く、係数には論理的だった。 その反面、概して謂えば御幣担
ぎが多く、有利に商談を進めようとすれば早朝に会いにゆくのを得
策とした。
「今日はお日柄がよく、是非いい商売を貴方に差し上げようと思い、
朝一番にやってきた」と言えば、相好を崩して喜び、少々高値でも
買ってくれた。
商品の宿命から品質クレームがしょっちゅう発生する。 その交渉
のときは、朝にっこりと握手、ときとして抱擁までしてから話を始
め、夕方にはそれがうまく纏まらず喧嘩のまま別れ、また明朝には
10年の親友として抱擁と共に「おはよう」を言う。 そして午後
には喧嘩になり、仕切りなおしでまた明日の交渉に続く。 そんな
のが数日続いても、なんてことはない。 なぜなら、彼らユダヤ人
は決して怒ったままで話を終わりにすることがないのだ。 
何とかして折れ合いを見つけようと、接点をさがして倦むことがな
い。大喧嘩してもあくる日の朝は必ず、にこにこしたよき友人に戻
っている。
 
理屈っぽく値切りはするが、ほんとうはつねに彼等の理屈の方が正
しく、我ら日本人のムード的な交渉条件など苦もなく言い負かされ、
「ユダヤ人の狡猾さには負ける」と裏でボヤくのがオチであった。
 
彼らは契約も比較的よく守った。 じつを言えば、少なくともボク
ら日本人よりよく守る。
もっともこういうこともあった。 あるユダヤ人(ハーバート出身
の彼は共和党のスチーブンソンを担ぎ、自らは駐日大使を夢見たが
アイゼンハウアーに敗れて実業界に転じていた)が、ボクの目前で
大きな契約書にサインするとき、ウインクしながら「品物が要ると
きはこの契約を履行するが、要らないときはキャンセルするからそ
のつもりで」と言う。「そんな馬鹿な!」というと、「契約とはそ
れが得になる場合だけ履行し、損なときは履行しないものだ。いず
この商人も、どこの政府も同じだ。オレは正直だから、今後のため
に教えておいてやる。将来のために覚えておけ」。 
トドのつまりこの契約はすべて履行された。 ユダヤ人にもこうし
た豪快な男がいた。
 
彼らユダヤ人は扱い商品について変わり身が速かった。 戦後ユダ
ヤ人の、バイヤー・ビザ第一号による日本商品最初の大量買付は6
0ダブルの高級綿手袋の委託加工で、そのお陰で1梱の綿花すら持
たなかった日本の紡績が息を吹き返した(これは、まだ証人の紡績
人が存命中)。 おなじユダヤ系がギンガム・ダマスクの買付で繊
維産地にガチャ万景気をもたらし、ついでワンダラーブラウスから
始まる一連の繊維1.2次製品の輸出洪水が引き金となって、戦後
の日米交渉最大の山場といわれる「対米綿製品交渉」に、河野大臣
は年俸100萬ドルで元ニューヨーク州知事デユーイを雇い、業界
はマイク正岡・サム石川事務所を顧問にし、沖縄返還との交換条件
でついにわが方が折れるまで熾烈な外交戦争を繰り広げたが、その
後ろにあって日米両政府を操つり続けたのは彼らユダヤ人バイヤー
たちであった。
 
ペーパー帽子の異常な輸出ブームを作って備前の畳表メーカーに空
前のゴールドラッシュを享受させたのも彼らなら、数100万台の
縫製ミシンを買いつけたのも、携帯ラジオやオーデイオの輸出ブー
ムを起こさせたのも、みなユダヤ系バイヤーである。 彼らには取
扱い商品の見境いはいっさい無く、クリスマス玩具と、女性靴下と
トランジスターラジオを同じショウウインドーに並べて商売する無
神経さで、次々と新商品を手掛け、戦後日本復興の原動力になった
のである。
 
戦前上海で毛皮を扱って巨利を博したと聞くアメレックスは、戦後
まもなく大阪へ移って膨大な量の皮革手袋をアメリカ市場へ送り(
そのころ東京有楽町に進出するそごう百貨店に数億円融資したとの
噂が新聞に載った)、次いで香港で世界最大の革衣料工場を経営し
たかと思うと、同じ地に電子部品の大工場をも併せ創業した。 
そのころ、ニューヨークから彼らの共同経営者であるレクター氏が
ボクに面会を求めてやってきた。「正式に、そして極秘に聞くが、
わが社の誰かがリベートを要求していないか」との質問に対して、
「いや、そのような事実は無い」と答えたものの、じつはその頃、
ボクの会社は彼らの香港工場のマネージャー(もちろんユダヤ人)に
継続して相当高額なリベートを支払っていた。 リベートを取るの
もユダヤ人、リベートを取っていないかと警戒するボスもユダヤ人
で、このような話には人種、洋の東西を問わない。
 
英文インターネットで覗くかぎり、いま同社は防火器機の工場や販
売網を全世界市場に展開しているらしく、さらには近年東京で不動
産業のかたわら石油関係の事業も始めたようである。  新大統領
ブッシュのカネ蔓が石油産業で、その石油メージャーがほぼユダヤ
人によって支配されているというから、ユダヤ系のアメレックスが
日本で石油開発ブローカーを華々しく開業したからといっても驚く
に足らない。
 
ニューヨーク五番街に小さなビルを持つ商人たち。一流の実業家で
もないが、まあ富豪の部類に入るユダヤ人の数人と取引があった。
二部上場の社長といった人々である。 折に触れて聞いてみるに、
彼らは不思議にそのビジネスの隣人であるべきユダヤ人と付合いが
少ない。 「同郷会もないし、シナゴーグ(ユダヤ教会)へもご無
沙汰している。顔は知っているが話すチャンスなど殆どない。いわ
ばまあ商売仇みたいな間柄だから、会うほどのこともない」という
のが、彼らユダヤ人実業家同士の関係らしい。 ならば、彼らユダ
ヤ人たちはいったいどんな会合でお互いの紐帯を深め、そして他の
人種から危険視されるのであろうか。 不思議といえば不思議であ
る。
 
同一ユダヤ資本が、雑貨にはじまって石油産業に至るまで、時宜に
応じて何でも手掛け、変幻自在に変身してゆく。 そのあたりが「
ユダヤの陰謀」説の、巷説となった心理的要因かも知れない。 
戦時中に限っていえば、資本論のマルクスやソ連国防相のカガノヴ
イチ、それに米国のルーズベルトまでがユダヤ系と伝えられたから
わが政府の意識的なPRとしての「ユダヤ謀略説」が巷に及んだこ
とも理解できる。
 
ぼくの45年に渉る、多くのユダヤ人との取引で騙された経験は一
度もない。 彼らはみな率直で意志決定も速く、手練手管の多い日
本人間の取引よりずっとしやすかった。嬉しいときに喜び、哀しい
ときに泣く。ボクらと同じ、なにも変わらぬユダヤ人たちである。 
それがなぜ、「油断ならぬ、陰謀を巧しうするユダヤ人」と、わが
国人が思い、世界もまたそう思うのか。 その解説はインターネッ
トのウエブサイトの中にもたくさん見かけるが、いまひとつボクに
は理解でき難い。
 
話の発端に戻って、フリーメーソンとは何か、そのユダヤとの関係
は?? などについて、最近インターネットを覗いて見る機会があ
った。
するとあるわあるわ、いまなお変らぬ「ユダヤの陰謀説」から、フ
リーメーソンの本部自身による正式広報まで、ゴマンとウエブサイ
トがある。 それによると、ボクが昭和18年に、横浜特高警察に
見せられたオドロオドロした「世界制覇の魔の手」の証拠品は、ど
うやらフリーメーソンリーという国際団体のエンブレム、バナ−等
を押収してきたものだったようだ。
 
日本のフリーメーソンリーは、東京タワーのすぐ隣りの丘にある旧
海軍水交社のビルを買い取って日本本部にし、現在までのところ配
下に18ロッジ(団)を持っているらしい。米駐留軍関係者等が主
体のようだが、日本人、フィリッピン人もいくらか参加している。  
「秘密結社」などと恐ろしげによばれたのは、この団体が内部のこ
とについていっさい公開しなかったからで、もし公開されていたな
らば、その辺にたくさんあるロータリークラブやライオンズクラブ
などと類似の社会奉仕と友愛を目的とした親睦団体であったか、あ
るいは少なくとも現在ではそうであることが解っていたはずだ。
 
とはいえ、全世界600万人のフリーメーソン総本部と見なされる
「United Grand Lodge of England」の公式ウェブサイトによれば、
「ほんとうに公開されたのは第二次大戦後40年過ぎた1984年か
ら」とのことである。 それには、
Despite what many people claim, Frremasonry is not in any way
a secret society. Freemasonrys so-called secrets are solely 
used as a ceremonial way of demonstrating….
の釈明が記されている。
 
また、在日フリーメイソンリーのウエブサイトに次ぎのような説明
が出ている、
「この団体は兄弟愛、困窮者の救済、及び真実という幅広い基盤の
上に構成された団体で・・、フリーメイスンリーは宗教的教義や僧
職組織を持っておらず、また独自の救いの道を説くこともしており
ません。またメイスンリーはキリスト教会、ユダヤ教団、その他新
旧いかなる宗教団体から派生したものでもありません・・」。
 
さらに、1999年3月13日付けの、日本におけるフリーメーソ
ンリーの総督と考えられるGM(グランドマスター) の日本語によ
る「就任演説」なるものもウェブサイト上に公開されていて、それ
には最近の会員減少問題を愁うると共に、「・・自分たちの力と汗
で慈善活動資金を捻出して地域社会に貢献しなければならない・・
」と説いている。
 
こうしたウエブサイトの記事を率直に見る限り、昭和18年春にボ
クが聞いた「フリーメーソン・ユダヤの陰謀説」は見当違いも甚だ
しかった、と言わなければならない。
現にいま、わが国にもフリーメーソンリーの支部(ロッジ)が18
か所もあり、ユダヤ教徒でない日本人がメンバーとして参加して
いるそうだ。 
ボクがフィリピン在住中には、ボクの工場の女性総支配人の亭主
(フィリピン政府公務員)がフリ−メーソンに参加してい、理由を
聞くと、「このごろのフィリピンの流行りだから」とのことであっ
た。
 
フリーメーソンへの理解と同時に、ユダヤ人一般に対するわれわれ
の警戒心もすこし緩める必要があるのではなかろうか。 
世界の石油資本が、あるいは欧米の金融資本がユダヤ人によって、
あたかも秘密シンジケートのごとくに謀略を逞しうしている、とい
う見方は、商才に突出するユダヤ人富豪が、少々多すぎるとはいえ
偶然そのトップにいるゆえの、単なる誤解ではないかと考えたりも
する。 
このMLに参加していらっしゃる諸兄のご意見を受けたまわりたい。
 
(次回は華僑相手の経験を書いてみます。)


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