439−1.白鳥さんへの質問



「431−1.資本主義の終焉について」に対するコメントです。
 
ここで議論されている「資本主義論」を見る限り、大事な「要素」
が欠落しています。この議論が、「世界観」や「現代社会」を議論
しているのならば、明らかに、この議論は「独り善がりなもの」で
す。

1. 欠落している要素についての説明
「資本主義」とは、ある地域もしくは分野の人々の、「ある枠組」
を通しての「解釈」にすぎません。ここで言う「枠組」とは、対象
物を解釈する上での「背景」のことです。
この様な背景は、教育、時代、文化、等を基盤に、形成されます。
つまり、「資本主義」は、特定の教育、特定の時代、特定の文化、
等に依存する人々によって、「定義」、「認識」、「体験」された
ものにすぎません。
従って、上述の教育、時代、文化、等によらない社会もしくは人々
にとって、「資本主義」という「考え方」すら存在しない場合もあ
ります。
結論としては、『「資本主義」で世界や時代を語ることは出来ない
』です。「資本主義」とは一部の人々の思い込みです。
つまり、「思い込み」では「社会現象」を説明することは出来ませ
ん。もし語ろうとするならば、それは「創世記」、「暗黒時代」、
「アメリカ大陸発見」のような一方の文化・文明圏から垣間見た世
界観になってしまいます。「社会科学」の限界です。
 
「社会科学」の限界に対する補足:
特に「社会科学」に限ったことではありません。
「人文科学」、「自然科学」等にも、同じことが言えるでしょう。
つまり、「対象物に対する学術(科学)的な解釈」といったもの自
体が、今の時代には合わない哲学なのかもしれません。
科学革命と言われた時期のように、今の学術体系を捨て去り、もし
くは新生するような新しい哲学が期待されているのかもしれません。
 
2. 所見
431−1の「資本主義論」は、余りにも「日本人的」、「独り善
がり的」議論になっています。
最近、「偏ったものの見方」が、横行しているのはなぜでしょうか?
私には分かりませんが、骨の折れることです。
色々なものの「考え方」が存在すること自体は、大変素晴らしいこ
とです。ある対象において「同じ考え方」を持った人でも「狭い視
野を持った人」と「広い視野を持った人」では全然違います。
「教養」が、「広い視野を持つ人」を育てる為の十分条件に成らな
いまでも、必要条件のキーポイントになるような気がします。
どうでしょうか?つまり「教育」です。
 
以上です。
TAKAHASHI
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431-1資本主義の終焉について ヤムホイ   2001/02/05 15:08 
   
 白鳥宙様 
> 資本主義というものも、もうその時代的役割を終えつつあ 
>るというのが私の認識です 

確かに資本主義が最良であるわけではないでしょう。いつか終わる
運命なのでしょう。資本主義の精神とは労働それ自身を目的とする
精神・目的合理的精神・利子利潤の正当化であると思いますが、
では次の世界では、どういう精神が支配するのでしょうか。 

>人心腐敗、環境破壊、南北問題、その他諸々の問題が噴出 
>しているのが現代社会です。そして全ては人心道徳の荒廃 
>から引き起こったことなのです。 

利子利潤の正当化の負の側面ですね。物質的な豊かさが心の貧困を
招く。資本主義社会では、常に頑張らないと取り残される不安があ
ります。今日1日家で怠慢な日を過ごすと、外で働けば得られたか
もしれないお金を失っていることと同じです。今500円余分に使
えば、そのお金を運用して得られたかもしれない利子分まで捨てて
しまうことと同じです。このような社会のなかでは、誰もがどうす
れば豊かになれるかを考え、金にならない助け合いは後回しになっ
てしまう。しかし、
>現代における資本主義というのは、人間の欲望是認、更に 
>言えば、欲望を煽り立てることによって、資本を増殖させ 
>ようという考え方に立脚している 

以上、避けられないとです。 

>資本の増殖を最重要価値とする社会が、資本主義社会である 

からです。社会全体としては、技術が進歩し莫大な富がうまれまし
た。ここからどういう未来を築くかが資本主義がその負の側面を
最大限に発揮している現在に生きる私たちの課題ではないでしょう
か。ただ、こんなえらそうなことを言っておきながら、具体的には
どうすればいいのかいいアイデアはもちあわせていません。やはり
、「人心道徳」や「人間の原点」を見直すという教育なのでしょう
か。 
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白宙宇さんへ
caosより

最近、この方のメールがとみに多いようなので、言論の自由に反し
ないかぎりにおいて、意見したいと思います。
端的に言いますと、ちょっと、行き過ぎ。日本人でちょっと、行き
過ぎというのは、「かなり行き過ぎ」ということを意味します。
私も、自分の大学の卒業論文に、タオやダルマの思想を経済学的に
分析し、「よき社会」の一つの方向性として、見いだそうと理想に
燃えました。今でも、燃えてますが、それは、結論として、世界は
、科学と倫理の調和によって段階的に進歩していくものだというこ
とでした。

 私の結論は、近いうちに人類は宇宙にでるということ。その先も
私は理解していますが、それは今ここではなすことはないでしょう。
これは、地球の生態系を創る牛や草との違いを見れば、自然と気が
つくことです。もしかしたら、恐竜が滅びたとき、さらには、生命
が地球に誕生したときから、定められたことであったかもしれません。
ただ、それが現実という「点」において、どのように進行している
のかを常に見てゆくべきだということです。
たとえば、今、長谷工の株価が安いです。情報操作による「相場の
時代」という前提がありながらも、(Fさんや YSさんはわかると思
うのですが、)おそらく、あの会社は、潰れないでしょう。なぜな
ら、彼らはいずれ宇宙や月にコロニーを建設する企業であるからです。
 白宙宇さん、我々は、永遠ではない。空虚な生命としての延命思想
におぼれるべきではない。あたかも、「永遠」を見たかのような
錯覚に陥るべきではない。なぜ、キリストや仏陀の理念が、「宗教」
という枠に閉じこめられたかを理解しなければならない。
この限られた一人の一生が100年なら100年という時間の中で
、過去からの現実の「流れ」というものを感じ取り、未来への一つ
の望ましいベクトルを社会というカオスの中から、組織化していか
なければなりません。

このサイトは、私の主観で申し訳ないが、それだけの使命をもてる
存在です。我々は、常に半永久的に人がどうあるべきかという問い
に対する答えを時代時代に即した形で見つけながら、なぜ、今、
米大統領がブッシュなのか?為替はなぜ、今115円なのか?なぜ
、2004年に、アテネでオリンピックが行われるのか?なぜ、加
藤はあのとき茶番劇を起こしたのか?
ということも考えていかなければならいのです。なぜなら、人の
すべてが、万象の真理にふれたとき、すなわち、最終解を出したと
き、その後には、もうなにもすることがない、すなわち、滅びる
しかなのですから。
 このサイトは、多くの高校生や大学生など、また、私を含めた
若い希望ある日本の社会人が見ている。
彼らを将来、あるべき日本のため、よりよく育てていかなければ
ならいのです。私もここまで来ると、無関心をとれませんので、
申し訳ないのですが、白宙宇さん、あなたは、もう少し、現実を
しっかり分析された方がよいでしょう。
あなたのこのサイトへの掲載は、それからの方がよいかもしれま
せん。なぜなら、基本的なところは間違っていませんから。
私でよければ、見た方がよいホームページなどを紹介しますが。
とにかく、人間誰しもが持つ、「自分を一人でも多くの人にわか
ってもらいたい」という弱さを絶つべきです。
以上。

あと、宗教臭すぎる「聖水のセルフサービス」はやめましょう。
よい子はまねしないでね。と釘をさしたくなってしまいます。


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