435−1.現代青年犯罪の真相



 〜飢えた家畜に噛まれただけ ペット式教育の当然の結果〜
白鳥宙
青少年犯罪の多発化は、精神力を鍛えない教育の結果。
すなわち、「甘え」を助長してきた結果のつけ。

毎日エサを与えられることに馴れて家畜化した野獣は、一日エサが
与えられなければ容易に主人を襲う。自らが撒いた種と自覚するこ
とが大切。

自分の食いぶちは、自分で作るのだということを、早期の時期に教
え、自立を促すのが本来の教育。これが野生としての掟。
巣立ちは巣断ち、そして素立ち。

野生で生きる動物全てに生き残るための「武器」を私は与えた。
そして調和を乱さぬ本能も付与した。人類には野生の中で生き残る
ために「智恵」を与えた。それは「助け合って『種を守る』」とい
う本能に基づいた智恵だった。
しかし、あなた方は本能としての智恵を忘れてしまい、智恵の片面
である「理性」にのみ頼った社会を作り上げてしまった。そして頼
りにならない方手落ちの理性の強欲さを本能だと勘違いする愚を犯
している。あなた方が本能と呼んでいるものの多くは「理性の強欲
さ」なのだ。
野生の中で生き残るための「結束する智恵」をもう一度復活させる
ために、私は破壊をもたらす。

単なる知識を詰め込む教育を私がしろと言った覚えはない。知識よ
りも「智恵」を。
そして智恵よりもさらに偉大な智慧である『叡智』に私はあなた方
を誘いたいのだ。
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  邪悪な時代は「ことば」を欲する

愛が覚めた時代は「愛」という言葉が乱用され、思いやりがなくな
った時代は「思いやり」という言葉が多用される。倫理、道義、人道
etcまた然り。心のない者たちほどこれらの言葉を口にしたがる。
行動をもって示す者は多くを語らない。

 日本人は鰯の群れ
自然界の動物たちの中で、最も弱いのが人間。世界の中で最も弱い
人種が日本人。
戦いに敗れて逃れた者たちは、遠い極東の島に辿り着き、そこで子
孫を増やした。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」
日本人はまれに見る団結力で、物質的繁栄を勝ち得た。 東洋の奇跡!

しかし所詮日本人一人一人は鰯のようなもの。サメがやってくれば
たちまち食われてしまう。
食われないためには、分散して逃げるか、みなが一致団結してサメ
より大きく見せなければならない。ただし逃げ散れば多少の犠牲は
つきもの。

神は自然界で最も弱い人間が生き残るために「智恵」を与えた。
「助け合って生きる」という智恵を。
ところが、この智恵を、そのか弱さ故に最もふんだんに与えられた
日本人種は、人類という種族の繁栄のために使わず、己が享楽のた
めに、現在使っている。
これが神の逆鱗に触れていることに気付かねばならない。

地球上の全ての生物は、自然界の調和を保ちつつ、厳しい環境の中
で、生存をかけた競争を繰り返しながら、「種として生きる」こと
を宿命付けられた。
ところが困ったことに、人間だけがこの「掟」を破り、己が我欲を
満たさんがために、他の種族を絶滅に追いやり、大自然の調和を破
壊し、挙句の果ては、自分たちの種族同士の共食いまで始め、種族
絶滅の一歩手前まで自分たちを追いやっている。 
愚の骨頂!笑止千万!

いずれにせよ、人類総淘汰に向けたシナリオ作りは着々と進んでいる。
だが、神は人間に一塵の望みを託すべく、様々な警告を発している
ことに気付かねばならない。
「理性の強欲さ」に負けてはならない。
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 輝ける凡人を目指す

人間というのは愚かな者で、勇気もないのに高みに上りたがる。
これは自己の「不安」を克服したいという心の奥なる願望から生ま
れる行為である。
だが、真の勇気も力もないまま高みに登っても目がくらむばかりで
、しまいには降りられなくなるのが落ちだ。適当なところまで登っ
て止めておかないと大恥をかくことになる。
ところがバカに限って高いところに登りたがるものだ。彼は高いと
ころの恐さを知らないのである。

私の友人は私のこと「小心者」だと言った。そして「小心」は「知
性」だとも言った。理知に富む者は身の程をわきまえているものだ。
身の程をわきまえない者を「身のほど知らず」という。身のほど知
らずが多すぎる。大体が権力欲の強い者ほど身のほど知らずであり
、権力を笠に人を服従させることに快感を覚える人たちだ。こうい
うやからは結構多い。

最近どこかの知事がセクハラをやった。そのような人を当選させて
しまう住民もたいしたものだが、当の知事もよくぞそんな器で選挙
に出られたものだと思う。昔の芸能人の選挙出馬ムードは、大体が
、学歴コンプレックスである。議員といえば昔は地域の名士だった。
住民達の知的なレベルもそうたいして高くなく、今よりは容易に住民
をだますことができた。いまでは、テレビというありがたい文明の
利器のお蔭で、代議士の顔をクローズアップで見ることができる。
顔には、人徳というものが現れる。

今の代議士達に人徳があるかどうかは皆の判断にまかせるとして、
国がおかしくなっているのは事実である。人徳が力量と関係ないと
いえばそれまでだが、人徳のないものは人から尊敬を得ることはで
きない。尊敬で票を獲得できないのであれば、選挙民に別のものを
与えて票を入れてもらうしかない。それで選挙区に「お土産」を持
っていくということになる。選挙民の方も一度その味を覚えるとお
土産ねだりをすることとなる。言ってみれば麻薬みたいなものだ。
麻薬で国を治めてきたから国がおかしくなった。最近は不景気で代
議士さんたちも昔のようにお土産を沢山持って地元に帰ることはで
きなくなった。それで、禁断症状がゼネコンを始めとした業界の中
に出ているが、特効薬がないので、しばらくほおって置くしかない。
そのうちに諦めて、お土産を欲しいとは言わなくなる。まだもらえ
ると思ううちは、悪あがきをするものだ。

お土産を持って帰れなくなった代議士達は、今度は何を与えて票を
集めるかといえば、何も無いのである。それでみな困っているのだ。
選挙民も代議士もみな困っている。でも国民の方はそろそろ諦めム
ードで不景気にも慣れてきた。「俺たちで勝手にやらせてもらうわ
さ」という感じになっている。人間というのは賢い者で、こいつに
言っても無駄だと分かれば、さっさと見切りをつける。見切りをつ
けられないのは高みに登った代議士たちを始めとする議員さん方だ
けだ。はしごを外されてしまっているのを知っているのかいないの
か未だに茶番劇を繰り返している。今の議員達は国民に浅ましい魂
胆を見抜かれてしまっているのも知らず、厚顔を外そうとしない。
でも考えてみれば、大体が議員というのは昔からそういう人種がな
りたがる職業なのかもしれない。嘆かわしいことだ。


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