432−2.得丸コラム



得丸です。久々に富山にいます。
以下は親のない子のための「論語」の前に書いた文章です。
このところ、「親がいない」というのと、「勇気」という言葉が、
妙に目にとまります。21世紀は、親なし子と勇気の時代なのでしょ
うか。
******************************
意気地なしの親たちから遠ざかれ、そしてひとりで立ち上がれ

1.人間の本性は善なり
 孟子が説くように人間の本性はそもそも善である。そのうまれつ
き備わっている良心の核を、いかにしてすくすくと伸ばすかが、
教育の本来果たすべき機能である。

 人間の本性は善だというものの、実際に多くの犯罪や犯罪まがい
の非道が行われている現実を見ると、本当に善なのだろうかと疑う
向きもおられよう。

 しかしながら、現実に行われている犯罪の多くは、他人の見てい
ないところでこっそりと行われている。これは犯罪を犯している
人間が、その行為を悪いことだと知っているということを意味する。

 もしいいことをしていると考えているのであれば、もっと正々堂
々とやるだろう。このことだけ見ても、人間には善悪の分別をつけ
る心、すなわち良心が備わっていることがわかる。

2.子供の心は、社会や環境によって傷つけられ、ねじ曲げられて
  いく
 本来善なる存在として生まれた子供が、問題を起こしたり、素直
にのびのびと行動できなくなるとしたら、それは生まれた後で経験
した事件や生活した環境のなせる技である。

 心は目には見えないけれど、確かに存在する。私は、心はやわら
かな粘土のようなものではないかと思う。それを愛し、丁寧に揉み
こねると柔らかくなり、自由自在な造型が可能となる。それを愛す
ことなく放置したり手を抜くと、それは固くなり、ひびが入り、傷
が発生する。

 おそらく今自らが社会問題化している子供の多くは、親や社会
(地域社会・共同体というものの存在がこれほどまでに希薄になる
とは!)からの愛が足りなくて、心のどこかに傷を負ってしまった
のではないだろうか。

3.子供たちよ、自力で奈落から這い上がれ。その責任を君たちの
 親に求めても仕方ない、彼らも不能者なのだから

 子供たちの問題が、社会や家庭の愛の不足に起因するとしよう。
そうだとして、子供たちは一生親を恨んで生きていけばいいのだろ
うか。

 甘えるな、と言いたい。親たちだって、精神的な不具者なのだ。
彼らの精神は空っぽなのだ。そんな彼らの責任を追求して何になる
のだろう。仮に親が心を入れ換えて、子供を助けようと思っても、
何ひとつできないだろう。

 子供たちに求められているのは、誰かの責任とすることではなく
、むしろ誰の責任も問わずに、誰にも期待することなく、自分ひと
りの力で自己意識を形成することなのだ。

 誰のせいにもできない、孤立無援な状態に自分を追い込んでみよ
う。そしてそこで自分は決定的にひとりであるということを味わっ
てみよう。

 そのひとりきりの孤独な感覚を大切にしよう。すべての経験の根
底には、自分は恐ろしく孤独なのだという諦めがなければならない。
すると自分の手や足は、自然と動くようになるのではないだろうか。

 天は自ら助くる者をのみ助ける、のだ。
 養老天命反転地をさまようのもいいかもしれない。
(2000.11.24)
==============================
各位、
いっしょに勉強している29歳の地方公務員の方からのメールです、
なんだかうれしくて勝手に送らせていただきます。

次回は2月27日(火曜日)、富山市元町 そば処 大庵で、述而
の途中(述而の中で10番目の章句)から行います。
では、また
得丸久文(鷹揚の会、立山止観の会)
******************************

昨日はありがとうございました。
昨日は、一章が全部終わるのかと思っていましたので、一応次の章
の準備をしていましたが、論語は文章が短くても内容がとても豊富
なので話が様々に展開して、改めてそのおもしろさを再認識しまし
た。

考えてみれば、我々は論語を一つの種にしていろんな花を咲かせて
いるんだなと思います。ただ、私自身は花だけにとどめず、実をつ
ける(実践する)

ことも常に心がけていきたいと思います。次回まで少し時間がある
ので、今朝からもう一度最初に戻って読み直しています。やはり読
めば読むほど味わい深いです。できれば、自分の好きなところは読
み下し文を暗記して、自分の行動の指針にしていきたいと思います。

少し長くなりますが、とある講演から気に入った文章がありました
ので、ご紹介します。

「続群書類集に収められている「世鏡章」という教育論があり、
その中に家の主人たる者はどういうことをすべきかということを教
える箇所があり、主人は訪ねてくる人と「何事も実ありて花ある語
らい互にせよ」という教えがあります。
(中略)
「花ある」とはよい言葉を身につけることだと思います。ではよい
言葉とは何か。これは単に表面が美しいしゃべり方をするというこ
とではなく、魅力のある、他の人を励ます勇気を与える言葉だろう
と思います。そういう魅力のある言葉を持つことも花です。多くの
ことを知っているということも花だと思います。しかし、ただ花だ
けでなく、実があるということが重要なのです。「実ありて」の実
とは、何を意味するのでしょうか。花が、つまり技術技能、力ある
言葉などが大きな意味のある行動に向かう実行力に結びつくときに
本当の教養教育となっていくのです。…」

今後ともよろしくお願いします。
==============================
僕の原稿のファンである人から、東さんの感想へのコメントをもら
いました。
僕もまったく同感です。読ませる文章でしたね。
それにたしかに夕刊フジは言いすぎでした。

でも、消滅してしまった文化をどう思うか、ということは大きな
問題です。
文化は生き物、現在進行形ですから、常に新たに生産されなければ
ならない、再生産を繰り返さなければならない。

だから、過去のすばらしいものをなつかしんだり、研究することも
大切ですが、同時に、今の自分の心が何を生み出しているか、どの
ようにビートを打っているか、ということに最大限の注意をふり向
けるべきではないかと思うのです。

得丸久文
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
友人からのメッセージ QUOTE:
見た?
読者の声の得丸さんのコラムへの意見 by 東 知世子さん。
すっごくいい!
ひさびさに読んで清涼感が味わえた!
この人の文には浮世絵に対する澄みきった愛がある。大好き!
大好き!大好き!

得丸さん、ぜひともこれは見習うべきだわ。
あなたが書く対象にはあなたの愛が必要だ!!!

ああ、ぜひとも心のBBSにお越しいただきたい!
そして、今のなんだか沈んだBBSの雰囲気を一変させたい!
私、得丸さんから東さんに鞍替えしたくなってきた、、、
UNQUOTE:


コラム目次に戻る
トップページに戻る