426−2.読者の声



418−3.文化のはく製標本 ー くそくらえ、文化遺産に対して
今回の得丸氏の意見にほとんど賛成ですが、ちょっと以下の発言に
は、大きな疑問を感じました。

 >しかし、浮世絵は、現代でいうならば夕刊フジや日刊ゲンダイの
>ヌード写真と同様に、使い捨てられるべきものとして存在していた
>のではなかったか。だとすれば、それを後生大事に保管して、「あ
>りがたや、ありがたや」と拝めばよかったとは決して思えないので
>ある。

でも、もし浮世絵がすべて捨てられていたとしたら、ヨーロッパの
印象派をはじめとして、多くのその後の芸術的な影響がとだえてし
まったのではないでしょうか?
ヌード写真と一緒というのは、あまりにも暴言です。
使い捨てといっても、レベルが違い過ぎる、あまりにも言語道断。

浮世絵の芸術性自体は、疑う余地もなく、どんな国に持っていって
も恥ずかしくないものですが、私は現代の週刊誌に掲載されるよう
な写真などのレベルは一部例外はあるとしても、ほとんどそれほど
の芸術性はないと思いますし、第一、男性でなければ、ああいうも
のを部屋に飾ろうとは、思いもしないでしょう。
浮世絵は日常的に愛好されるものであって、それが美しい、よいと
評価したから、包んで送ったのかもしれないと思うのです。
それとも、西洋人にはきっと珍しがられるということを見越してか。

浮世絵が、西洋絵画とどうちがうかと言えば、浮世絵師が職人とし
て、自分の職業を自覚をしていて、日本には、芸術家という概念が
あまりなかっただけで、その作品自体のすばらしさは、日常的なも
のであったとしても、今の低俗な一過性の風俗写真のようなものと
、一緒にされる類ではまったくありません。
もちろん、使い捨てという意味で同じとおっしゃったとしても、
次元としては、まったく違うでしょう。
週刊誌のあの写真を家族と一緒に壁に貼って、楽しめるような、健
康的なものなら別ですが。

浮世絵の美を発見するのに、新たな視点が必要だったことは、日本
が当時文化的にいかに豊かだったか、それを芸術と格付けする必要
すらなかったという、幸せなことでしょう。
しかし、そういう新しい視点で、西洋人が日本のよさを認めたこと
は、正直に評価すべきではないでしょうか。

もちろん、浮世絵にも枕絵のようなものがあるのは知っています。
でも、週刊誌のような安い紙で、しかも男性読者の好奇心をあおる
目的を中心に撮影されている写真と、浮世絵のたとえば、北斎、歌麿
が同じような意味で大衆的というのは、疑問を感じます。
たとえば、「富岳百景」であれば、男女の受け取り方に差はなく、
個人的な感性によって、どう受け取るかでしょうが、あんな小さい
紙にあれだけの集約された技術、センスをこともなげに描き出し、
刷り上げた江戸の職人には西洋人もおそらく脱帽するしかなかった
のでしょう。
(その後、それを模倣したり、応用したりする人が現れるものの)

やはり、その手作業の細やかで繊細な線、色、そして、デザイン、
構図などのセンスから言っても、日本の誇るべきものを、よくぞ残
してくれたと、私はいつ見ても、先祖の手仕事の跡を辿っている気
がするのです。
おがむのではなく、同じ日本人の仕事として、大変誇らしいし、
うれしい。
また、ロシアのような国でさえ、エイゼンシュタインのような映画
の巨匠でも、浮世絵の影響を受けた構図で撮影しているという、
その文化の伝播はすごいものがあると思います。
その相互的な文化的影響から見ても、残っていて感謝すべきもの。
他の文化財、仏像だって、あやうく行方不明になってしまうか、
戦災で焼ける運命だった小さい像まで、ギュメのような目利きが持
って帰って、フランスに渡って立派に保存されているケースもある
わけで、もちろん、生活的なものを廃止状態にする保存はよくない
にしろ、失われてしまう運命だったものを、救う目的で保存するの
ではまったく話が違うのではないかと思うのです。

浮世絵については、うるさいので、今回は意見せずにおれませんで
した。
東 知世子
==============================
久保教授への質問です。

以前私は、「皇室」と「天皇家」の違いを質問しました。その回答
は、わが国では「皇室」という言葉が伝統的に使われています。
「天皇家」という言葉は左翼の使い出した言葉です。とくに朝日新
聞などが好んで使っています。その理由は皇室を日本の古い家系・
家族の単なる一つにしてしまおうという彼らのもくろみがあるので
はないかと思われます。
というものでした。全くもって理解できますが、ここで重大なる
疑義があります。それは、「天皇家」ということばを保守派も用い
ていることです。
つまり、左翼が使う時の意図は十二分に理解できますが、保守が使
う時の意図、意義が理解できません。保守が使っているということ
は、その用語自体が誤りではないということになるのではないでし
ょうか。しかし、私は、保守が使っていようと、誤りだと思います
。
ということは、使っている保守は、知らず知らずの内に左翼に手を
貸していたことになるのですか。

では以下、保守の「天皇家」使用事例を紹介する。
■加地伸行 産経新聞「正論」最下段 平成十二年十一月二十七日付
■西尾幹二 『国民の歴史』 二七四頁九行目
■加瀬英明 『天皇家の戦い』一九八五年新潮社 絶版
■産経新聞社説 「年頭の主張」 平成十三年一月一日 四段目
久保教授に是非、回答願いたい。

図越


コラム目次に戻る
トップページに戻る