425−2.「個人」と「公と私」



ほそかわ
 現代は、「個人」の時代です。「個人主義」が国や社会の原理と
されています。それによって「公」が後退し、「私」が横行してい
ます。いったいこうした「個人」の概念は、いつ発生し、どのよう
な影響を与えてきたのでしょうか。

 私の見当では、西欧近代的な「個人」の概念が入ってきたのは、
明治初期からでしょう。しかし、それが破壊的な影響力を振るった
のは、戦後のことだと思います。

◆わが国には固有の「個人」概念
 人間には、社会性と個人性の両面があります。一人一人に名前が
あり、言語には人称があります。ですから、「個人」の概念は、ご
く早く発生したものと思われます。

 当然、わが国においても、近代以前から「個人」の概念はありま
した。ただし、それは西欧近代の「個人」概念とは異なるものであ
り、独自の文化にもとづくものでした。

 伝統的な「個人」概念では、「個人」とは、親子、夫婦、兄弟、
君臣などの具体的な社会関係における「個人」でした。そして、社
会性が個人性より優先し、「個」より「全」、「私」より「公」が
上位とされました。これを価値体系とした思想が儒教であり、武士
道でした。

 私は、武士とは、こうした社会関係における自己の役割を認識し
、自己の判断・行動に責任をもった「個人」だっただろうと思いま
す。自己の行いを恥じ、名誉を守るために切腹することは、その責
任感の表れだと思います。

 幕末、欧米列強が押し寄せてきたとき、日本の社会には、「公と
私」の階層構造がありました。すなわち、個より家、家より藩、藩
より国という階層構造です。藩は藩内では「公」ですが、藩外では
「私」となります。幕府は「公儀」ですが、朝廷という上位の「公」
に対しては、徳川家の「私」となります。そして、民族の存亡の危
機において、武士たちは、より大きな「公」のために、「私」を捨
てて、行動しました。
そうした主体的な決意のできる「個人」が、武士だったと私は思い
ます。

◆西欧近代の「個人」概念の輸入
 幕末に洋行した武士たちは、欧米の近代文明、政治・社会制度を
見聞し、これを伝えました。そのうちの一人、福沢諭吉の書いた
「西洋事情」は、当時のあらゆる読書人に読まれたといいます。封
建的な身分のない社会があること、議会や選挙という制度があるこ
となど、驚天動地の新知識だったことでしょう。
 明治維新後、文明開化の世の中となると、福沢は「学問のすすめ
」「文明論之概略」を著し、空前のベストセラーとなりました。ま
た明六社などの啓蒙思想家によって、スマイルズ・ベンサム・ミル
・スペンサー等が、翻訳・刊行されました。それらは、17世紀の
ホッブズ・ロック以来、発達してきた社会思想であり、「社会契約
説」「天賦人権論」「自由主義」「デモクラシー」等が、わが国に
輸入されたわけです。

 浅学を顧みず、私の理解を述べると、「社会契約説」は、現実的
な社会関係を捨象した抽象的な個人を想定し、国家社会の成立は個
人の契約によるとする思想です。「天賦人権論」は、人間は神(キ
リスト教のGOD)によって創造され、生まれながらに平等の権利
を与えられているという思想です。「自由主義」は、国家権力から
個人の権利を守る思想です。「デモクラシー」は、民衆が国家権力
に参加する制度です。

 これらの思想の核心にあるのが、近代西欧的な「個人」の概念で
す。そして、「個人主義」とは、原子(アトム)的な個人を、集団
より先在する要素とし、個人を原理として、社会の構成を考える考
え方です。個人性を社会性より優先する思想です。これはホッブズ
・ロック以来の思想ですが、彼らはデカルトの影響を受けています。
すなわち、物心二元論と要素還元主義の影響です。

 こういうこれまでのわが国には無かった、全く異質な「個人」概
念が、知られるようになりました。その時期は、明治の初期からだ
ろうというのが、私のつけている見当です。

◆戦前までは「公と私」にバランス
 さて、この近代西欧思想の影響は、どのように表れてきたのでし
ょうか。
 影響が表面化してきた一つの例として、自由民権運動が挙げられ
ましょう。その主な担い手は、元の武士たちでした。
 注目すべきは、自由民権運動は、個人の権利の取得・拡張を主目
的とするものではなかったことです。それは国権の強化と民権の実
現をともに求める運動でした。また、皇室を尊重し、君民一体の国
家を建設しようとする運動でもありました。そして、藩閥政府が政
治を「私」しているのに対し、五か条のご誓文にある「公論」の実
現を求めることが主張されました。この運動を通して、帝国議会が
開設され、また憲法が制定されました。

 大日本帝国憲法は、天皇の恩賜という形で、国民(臣民としての
)に権利を与え、これを保障しました。また民法は、近代国家の市
民法として制定されました。そして、教育勅語は、伝統的な家族主
義と、近代的なナショナリズムを融合させたものでした。
勅語は、「公」を優先した家族道徳・国民道徳の実践を呼びかけて
います。こうしてわが国は、伝統と近代をバランスさせた「公と私
」のあり方を生み出したと、私は考えます。そこには、かつての武
士道の伝統が、生きていたと思います。

◆戦後の大変化で、破壊的影響
 戦前のわが国では、西欧近代思想を、模倣や追従の対象とはして
いませんでした。
採り入れはするが、自国の伝統・文化・国柄を踏まえて、摂取しよ
うとしたのでした。
むしろ、欧米流の個人主義・自由主義・デモクラシーは、超克すべ
き欠陥思想と認識されていました。

 これに大変化をもたらしたのは、大東亜戦争の敗戦です。アメリ
カの占領政策によって、わが国の伝統・文化は否定され、個人主義
・自由主義・デモクラシーこそ、信奉すべき価値として与えられま
した。マッカーサーは、ロックらの思想に基づく憲法を押し付け、
また伝統的な家制度を解体するために民法を改正しました。日本人
の民族的な団結力を弱めるために、あらゆる改革を強行しました。

 このとき、それまで保持されてきた「公と私」のバランスは、大
きく崩れました。
それによって、日本人の固有の価値観は破壊され、共同性や公共性
の意識は低下し、国家・国民の意識は衰退しました。最も強力な影
響を与えたのは、教育でしょう。そして、占領政策に迎合する「進
歩的文化人」によって、個人主義・自由主義・デモクラシーは、
人類普遍的な最高価値であるかのように崇められてきました。

 その結果、国家や国民社会のレベルだけでなく、地域社会のレベ
ルでも、「公」の意識が弱くなってきています。路上や電車や学校
などの「公」の場所で、「私」が剥き出しになり、公共道徳が失わ
れつつあります。市民社会が「私民社会」になり、個人の権利ばか
り主張され、「公共の福祉」(公益)が後退しています。

 上記のような意味で、西欧近代の「個人」概念が、破壊的な影響
力を振るったのは、戦後のことだと思います。
 今日、「公と私」のバランスを回復し、公共道徳を再建するため
には、わが国固有の価値観を取り戻すことが必要だと思います。そ
のことは、21世紀の国際社会で、日本人が生きていくためにも、
必要です。そのように考えるとき、武士道の中には、今日に生かす
べき豊かな伝統を見ることができると思います。

ほそかわ・かずひこの<オピニオン・プラザ>
http://www.simcommunity.com/sc/jog/khosokawa


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