417−3.親のない子のための「論語」



得丸
 前に「ろくでなしの大人たちに見切りをつけて、自力で立ちあが
れ」てなことを書いたけど、人間はなかなか自力で立ちあがれない
ものだ。人間という言葉は、そもそも読んで字のごとく、人と人と
の間を生きるものだから、人と人との関係性の中に存在するものだ
から仕方ないと言ってしまえばそれまでだけど、これは表面的な説
明でしかない。

 むしろこう言うべきではないか。人間が自立するというのは、
社会的・文化的行為であって、動物的・本能的行為ではない。そも
そも我々のDNAなりゲノムなり本能の中には、どのように社会人とし
て振舞うのがいいか、礼儀や仁義や道義の内容、一人前の人間のあ
るべき姿などというプログラムは含まれていないのだと思う。

 狼といっしょに育ったニンゲンの子供が、狼と同じように振舞っ
たという例を聞いたことがある。狼といっしょに育つと、たとえヒ
トとして生まれても、自動的に人間には育つことはないのだ。

 「論語」の中で、孔子もいっている。「我は生まれながらに之を
知るものにあらず。」(自分は生まれながらにして仁や礼や道義を
知っていたわけではない)

 君たちがもだえているのは、わかる。だらだらと生きたくない。
きちんとした一人前の人間になりたい。でもどうしていいのかわか
らない。親も学校の先生も、ちっとも頼りにならない、大人として
の生き方を教えてくれない。政治家もジャーナリストも口先だけで
心のこもっていないキレイゴトを言っているだけだ。どうせ陰では
悪いことばかりしているのだろう。

 要するにどこを探してもお手本がないのだ、と君たちはいうだろ
う。
 そんなことはないんだ、と僕は言いたい。お手本はちゃんとある。
本屋で売っている。それが「論語」だ。(できれば岩波現代文庫の
宮崎市定現代語訳「論語」1200円を買うことをお勧めする。)

 論語を声に出して読んでごらん。はじめのうちは、現代語訳のと
ころだけ、自分で理解できるところだけでいい。わかるところだけ
、丁寧に読み、わからないところは、とりあえず読み飛ばすか、
あるいは意味を気にしないで声に出して読むだけでいい。

 論語は、今から約2500年前の中国に生まれたものだが、人間
の本質はわずか2,3000年で変わるものではない。今でも十分
通用する人生哲学であり、人間修養のための参考書である。

 論語に書いてあることを読んで、できるだけその通りに振舞って
みてごらん。
何度も何度も読んでいると、だんだんだんだん意味がわかってくる。
そして、君たちは少しずつ立派な人間に近づくのだ。
(2000.01.17)

この原稿は引きこもりの子供たちのための小冊子「コロボックル」
のために書いたものです。


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