417−1.ひとり立ちをする鷹揚の会



●得丸(143) 
夕べは東京・鷹揚の会の最終回だった。

鷹揚の会は、1992年にパリのユネスコ勤務時代に、若手邦人職
員の勉強会として始め、1993年にロンドンに移りすむとロンド
ンの友人たちと続けた。1997年末に東京に戻ってからは、月例
読書会と年に一回の合宿を続けてきた。

とりあげた本は宗教や思想が中心だった。芹沢光治良「神の微笑」
、松居桃婁「微笑む禅」、加地伸之「沈黙の宗教 儒教」、石田一良
「カミと日本文化」、渡辺京二「逝きし世の面影」、福田宏年「時
が紡ぐ幻」、中川剛「日本人の法感覚」、桶谷秀昭「昭和精神史」
、「石原吉郎 昭和の旅」、「地獄は一定 すみかぞかし 小説暁烏敏
」、吉田松陰、宮崎市定、荒川修作、西郷南洲、岡倉天心、
内村鑑三、中村元、杉田敦、田中康夫、浅田彰、福田和也、中島義道
、M・ポランニー、、、 結構いろいろとたくさん読んできた。

丁度丸3年たって、僕の富山生活も1年たってのを契機に、ここで
一旦打ち切ることにした。僕も「心のBBS」や富山でやっている
論語の勉強会が面白くなってきて、東京の会の負担を減らしたいと
思ったのだ。

で、昨日の会が終って、これからのことを話し合った結果、「得丸
さんが『心のBBS』に打ち込んでいるのはわかる。だけど僕たち
も続けたい。」という意見が大勢を占めて、結局東京の会は自主運
営になったのだ。つまり、これまでは僕が日程を決め、本を決め、
場所を取り、連絡していたのだが、それらをすべて会員が自主的に
してくれることになった。僕はなるべく都合をつけて参加するだけ
でよくなった。
自分の子供が成人したみたいで、うれしかった。

この鷹揚の会には「珍々論々」というモデルがある。僕が大学4年
のとき、たまたま学生の忘年会で今はなき戸田徹という男に出会っ
た。彼は収容所群島の現実に失望して、マルクス葬送派になったと
いう。当時まだマルクスの言葉に酔っていたらしい左翼の学生がし
きりに彼に議論を挑んでいた光景を思い出す。

戸田は「労働組合の勉強会で、聖書やコーランや親鸞を読んでいる
んだ」という。ふーん、それは面白いと思って、その読書会を探し
て見つけて参加した。思えばそれからわずか2年の付き合いだった。

戸田は1984年の初夏に再発したガンのために亡くなるが、「こ
ういった勉強会が全国各地にできるといい」と言っていた。鷹揚の
会が、僕抜きで行われるということは、戸田の願いが、ひとつ実現
したことになる。それもうれしい。

 僕の思想にオリジナリティーがないという批判を受けたことがあ
るけど、僕の思想はまさに「述べて作らず」、過去の思想や実践の
中から現代が必要とするものだけを探し出して実践してみようとい
うもの。こんなのつまらないですか?
 投稿日 : 2001年1月20日<土>13時41分
==============================
●得丸(152) 題名:ブラジルの印象、、、その後
昨年10月2日に掲載しせていただいた記事「ブラジルの印象」につい
ては、Tさんからも誉めていただき、ペルーの記事の中で引用してい
ただくという光栄に預かりました。

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210021.htm

実は昨日、ブラジル建築都市ワークショップのまとめのシンポジウ
ムと展示会があって、そこにきておられたブラジルに非常に通じて
おられる建築家南條洋雄さんからも、「得丸が書いたことに非常に
共感を覚える」というお言葉をいただいたんです。うれしかった!

僕はできるだけ自分の感情を殺して、先入観を排除して、ひたすら
あるがままの現実を自分の五官に取り込んで、そこから生まれ出る
意識や感情を言葉にすることによって、対象を描き出そうと思って
きました。

その手法は、南アフリカの「ワヤワヤ、南アフリカ」でもいっしょ
です。でも南アフリカの場合には、現地に通じた方からまだ何の意
見もいただいていない。共感の言葉も、支持する言葉も、批判の言
葉も、いただいていない。だから、ブラジルの記事を、ブラジル滞
在歴が長く、かつ日本とブラジルの間を行き来しながら仕事をされ
ておられる建築家が評価してくださったことが、ことのほかうれし
いです。とりあえずご報告まで
投稿日 : 2001年1月21日<日>15時05分


コラム目次に戻る
トップページに戻る