412−3.日本の文化とは何か



マッチョんさんへ        kenより

>アイデンティティーの喪失           まっちょん
>「文化」というものがわからなくなりました。例えば日本の文化を
>取りあげ、そこに産まれ育った者が日本人としてのアイデンティテ
>ィーを持つと単純に考えた場合、その文化とは歴史のことなのか。
>それともスシやスキヤキといった特有の物なのか。宗教や先達の積
>み上げてきた思想のことなのか。

ken→→ まっちょんさんからすれば祖父のような年齢のボクにも
「文化」とは何のことか、いまだに解りません。もともと「文明開
化」の略であったらしいけど、後々に「文化」という言葉が一人歩
きして、各人各様(かくよう)の思い入れを基とした「文化論」が
出来たようです。 
たしか司馬遼さんは、「世界的規模でみて普遍的なものが文化で、
反対に、地方限りで特異なものが文明」というような、文化と文明
の区分けをしていらっしゃたと記憶しています。 こうした分け方
では、オリンピック種目になった「柔道」は日本の文化ではなく、
かってアメリカの「文化」であったコカコラがいまや世界に広まっ
て「文明」と化したと同じく、柔道も日本文化ではなくなった、と
言えるかも知れません。
問題は「言葉の定義」です。 「神もほとけもあるものか!」や、
「あなたは神があるというがボクは無いと思う」といった議論のば
あい、その両人の間で「神とは何か、ほとけとは何か」について
相互共通の定義(definition)をつくっておかぬ限り、両者の議論は
成り立ちません。

フランス人はこの定義付けが厳しく、たとえばフランスのリセ(大
学予科)の教科書「哲学講義」では、「神とは何か」について延々
数十頁を費やしています。(だから、フランス哲学のことを「定義
付けの哲学」ともいいます。)
それが日本ではまことに曖昧で、「神(カミ}とは何か」や「ほとけ
とは何か」の説明にほとんど出くわしません。 神社(shrine)と
寺院(temple)の、英語による区別など知っている日本人は寥々たる
ものです。(アメリカにだってshrineがたくさんあるというと驚く
日本人は多いのです。なぜなら、shrineには神様が祭ってあり、
templeにはほとけさまが祭ってあると単純に考えていて、さてその
神が何かほとけが何か知らぬからです。)

「文化」とは何かについて共通の定義のないいま、自分一人だけで
「日本の文化」を考えるのは勝手だが、「日本の文化がどうのこう
の」と、他人と議論するのは考え物だと、ボクは思っています。 
←←Ken

> 他国ならばフロンティア精神なのかもしれませんし、中華思想か
>もしれません。また一神教や哲学なのかもしれません。それらは良
>くも悪くも長い時をかけて脈々と受け継がれてきた民族の誇りなの
>です。
> これが日本人だ。と、誇れるものがなんなのか、残念ながら周り
>を見渡してもわからなかった。宗教儀式は習慣化して日常実践する
>ものではなく、大和魂や武士道が残っている様子もない。かろうじ
>て、年表や系図、遺跡遺物の数々や、衣食住のなかに見受けられる
>物だけが、日本が続いてきたことを物語っている・・・。

Ken→→ たしか新渡戸稲造の「武士道」だったかに、たとえば「切
腹」という行為は日本独特のものではなく、西洋にも存在した、と
例を挙げて説明していました。 
日本人は何でもわりあい簡単に「これこそ日本の伝統だ」とか、「
これが日本の精神」だとか言って、自分たち固有の「民族の誇り」
として自慢する習慣があるようです。 この点についてはフランス
の知日派学者オーギュスタン・ベルクが先年、NHK12チャンネルでも
放送していましたが、「何でもすぐ<日本固有の伝統>と言う、そ
の思考様式こそ、まさに日本の伝統ではないか」(風土の日本・筑
摩書房)と論じていて、ボクもまさにその通りと思っています。 
←←Ken

> そんな自分がまだ知らないもののなかに、日本人としてのアイデ
>ンティティーを構成する材料が眠っているだけなのかも・・・。
>それが日本人だけでなく万民/万物に笑顔を与えるものであれば、
>21世紀の日本はより発展していくものと思います。

Ken→→ 「日本人のアイデンテイテイー」て、いったいどういう意
味なんでしょうね
? どうも、日本語であるようで無いようで・・・。
「日本で生まれ、日本で育って、日本の風俗習慣を身につけている
」ことを自分自身が認識していれば、それがすなわち日本人のアイ
デンテイテイではないんでしょうかね。 ボクは、「オレたちは日本
人としての誇りを持つんだ!」と、大いに力むことを慫慂する呪文
のようなものが「日本人のアイデンテテイー」という言葉になって
いるのではないかと、邪推しています。
そうした自己に対する過剰な思い入れが、かっての民族主義、国粋
主義を作り上げ、よその国の人たちに迷惑をかけた原因ともなった
のではないでしょうか。   
マッチョんさんが仰せの、「それが日本人だけでなく万民/万物に
笑顔を与えるものであれば、21世紀の日本はより発展していくも
のと思います。」
は、まことにいいお言葉です。 
あまりにも誇らず、だからといって卑下することもなく、幸せない
まの日本に生まれたことを喜び、万民・万物に笑顔を差し向けまし
ょう。 大して自慢するほどの日本でも無が、特別ケシカラヌとい
うほど悪い日本でもない、まぁ世界の中のほどほどの日本、という
のがjustifyなところではないでしょうか。  
ボクは、マッチョんさんの今回のご投稿を拝見し、その真っ正直な
モノの見方に感激し、その隠されたインテリジェンスに尊敬の念を
持つあまりに、この一文を投稿しました。 Fさんや、その他レギュ
ラー寄稿家の皆さん、マッチョんさんを立派な青年だとお思いにな
りませんか。
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(Fのコメント)
Kenさん、いつも投稿ありがとうございます。マッチョンさんは、
素直な議論ができる人であると、思います。このコラムは右から左
のいろいろな意見を真摯に議論できる場としたいですね。素直な心
で、今後もいろいろな議論ができるといいですね。Kenさんも非常に
ユニークな広い視野でモノが見える人だなあと感心しています。
今後も投稿お願いします。また、Kenさんのページを作ります。
お友達にご紹介ください。コラムページの最後にページへのリンク
があります。


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