410−3.日本人の自覚



広隆  
>どうして外国で暮らすと日本人として目覚めるのか、ということ
を考えてみましょう。

 現上智大学のトーマス・インモース教授という方が以下のような
事を述べています。「日本というのは深いいづみの国である」と。
いづみ(泉)とは、どこからともなく湧出する泉によって、現実の
我々の乾きは癒され、それは現代のわれわれの内面的生活が遙か太
古に連なる精神的基盤に支え裏付けされているということの比喩で
す。つまり、太古からの精神的伝統が日々の生活に脈々として生き
続ける国ということです。
 家に入れば靴を脱ぎ、ご飯を食べる時にはお箸を使い、本を読め
ば平仮名、片仮名、漢字が入り交じった文字が書いてある。正月に
なれば門松を立て、元旦を祝う。
私たちが意識などする必要もない程に、太古の文化が湧き出ている
のです。 
 文化を通して私たちは自分自身が日本人であるという事を認識し
、自らのアイデンティティを保っています。海外に行けばそこの国
の、正月の過ごし方、食べ方、家への入り方があります。そこで初
めて自分の「国」とは違うと気づき、自分自身の文化を改めて考え
させられて、日本人として目覚めるのです。

>第2に、日本人は外国で堂々と出来ないということですね、つま
り自信がないんでしょう。要するに、引け目を感じるんです。歴史
的要素かもしれないし、地理的要因かもしれないし、国民性かもし
れないし、教育(議論力や英語力)かもしれない。そんな理屈はど
うでもいいです。でも、それを「日本人ダメダメ論」が、さらに悪
化させていません?
>>自信を無くした日本人がたくさんいるんです。その理由なんて
、どうでもいいでしょう。ただ、これ以上自信を無くすような言動
は、聞きたくないし、子供や若い世代に取り返しのつかない意識を
植えつけてしまうことが不安でたまりません。

 海外で堂々できないというのは自国に自身がないからです。戦後
教育によって日本人はダメ、アメリカが正しいという教育=情報操
作(WGIP等) されてきました。確かに速効性はありませんが、アメ
リカは50年かけて日本人を骨抜きにして世界で通用しないダメ人
間を作りあげることに成功しました。議論力や語学力だけならば、
中国人はまったく世界で通用しない事になります。日本人になくて
、中国にあるものはまさに、中国にとっての真の教育だと思います
。世界史の教科書を開けばいつでも日本は悪者扱いにされています
。しかし、中国の教科書では自国の悪いこと等はまったく載せず、
日本の事については誇張して書いています。(これは中国だけかと
思ったら、アメリカの教科書には広島の原爆の事を「100万人の
我が国の若者(兵士)の尊い命を守るため・・・」と書かれていま
す)
 ではこれが何故真の教育なのか?と、ここで二、三質問です。
あなたはパールハーバーについてどう思うか?南京大虐殺について
どう思うか?インドネシア等の東南アジアの諸国を植民地化したこ
とについてどう思うか?とそれぞれの国の人に聞かれた時どう答え
ますか?
どうです?自信をもって、「ハルノートを突きつけたのはどこの国
だ!!非戦闘員10万人を東京大空襲で殺したのA級犯罪だがどう
思うか?」「あったとしてチベットで100万人の人間と僧侶を殺
したことについてはアンタはどう思うんだ?」「あんたの国は
300年間人としてあなた達を扱わなかったヨーロッパより、それ
から見れば僅かな期間、人として扱った日本人に先に抗議するのか
?」と言えましたか?
 真の教育とは最近流行の怪しげな国際人とかいうもんを量産する
ことではなくて、日本人として自分の国の本当の歴史をしっかりと
学ばせ、我々日本人がどれだけ耐え難きを耐えてきたかをしっかり
と国民に掲示することが重要なのである。中国等のように情報を湾
曲して掲示しろと言っているのではない。確かに中国10億人の民
を洗脳もとい教育するには事実を湾曲することも重要だろう。それ
が中国にとっての真の教育だから。
 教育教育教育教育教育と言ってる論者達は自分達の教育政策が
日本人の大半を世界で通用しないアリ人間(海外では日本人のツア
ー旅行者をこう呼んでいる)にしたてあげた。
 留学生と話すときに「日本人にしては意見があるね」と言われた
ことがある。別に意見があるわけではない。ただ単に当たり前の事
を言っただけである。彼に聞くところによると、多くの日本人学生
はただ首を縦にふるだけで自分の意見に自信がないのかあまり自分
から話さないそうだ。私はその話を聞いた時に日本は情報戦でも完
全なる負けをきしてしまったんだなと実感せずには居られなかった。
そしてダメ人間と呼ばれる根元はここにあるのだとも認識した。

  関係ないことなのですが、ウチの大学の入学式の時に総長が「
ロシアのバルチック艦隊に勝ったことは日本人として誇りにすべき
事である!」と仰られた。皆、どんな大学だここは?と思ったよう
だが、私は素晴らしい事だと思いました。ロシアのバルチック艦隊
と言えば今でいうところのアメリカの第7艦隊位ですから、とてつ
もない快挙であることは間違いありません。本来ならその日を国民
の祝日にして祝うべきです。そんなところから日本人としての自信
や誇りがでてくるのではないかと思ってます。

>とくに日本には、武道や各種稽古事があります。これは大変にす
ばらしい。しかし今いったいどれくらいの人が武道を実践している
でしょうか。どんなに武道が立派であっても、あなたがそれを実践
しなければ意味はない、実践していくなかで、あなたの肉体が、精
神が、自信が培われる、と思います。
 
 ちょっとちょっと(笑)。じゃあ仏蘭西でフェンシングをやって
ない奴は騎士道精神がないからダメなんですかね?

>そうそう、顔が見える関係が出来上ってくると、○○人はダメだ
とか、△△人は偉いとかいうレッテルが通用しなくなって、あいつ
は仕事ができるけど、そいつに仕事を頼んでもうまくいかない、て
な具合に個人の力量の問題に、民族も人種も解消してしまう(溶融
してしまう)んだ。
ボーダーレス社会では、否応なしに、そういった顔の見える関係が
増えていって、国籍とか民族とかのレッテル貼りが有効性を失うと
思うよ。
だからこそ一人一人が有用な人間になる必要があるんだ、仁智勇が
大切なのもそこさ。

 確かに優秀な人材は民族や肌の色も越えるかもしれませんが、か
なり先のようですね。
人種のルツボのアメリカでは先日ブリジストンがやられましたし、
マイクロソフトの社内では黒人による訴訟等、まだまだボーダレス
社会とか国際化とかいったまやかしの言葉では片づけられない問題
が残っていると思います。


コラム目次に戻る
トップページに戻る