410−2.現実そして仮想現実



●ヒロ
得丸さんへ

現実と仮想現実は自分で自分をコメントするようなところがありま
せんか。この問題はとてもおもしろい、何か性急に答えを見つける
より、もう少しゆっくり考えてみたいです。

話は変わります、得丸さん「金(ゴールド)が語る20世紀」
(鯖田豊之)著 中公新書、ご存じでしょうか。
日露戦争は最初から戦争終結を念頭においていたことは今日では常
識である。太平洋戦争直前までに金現送が600トン、石油の90
%はアメリカからの輸入であり、日露戦争後の1910年発行の英
貨国債の元利償還が1985年・・・・
読んでいる途中ですが、おもしろいです。

今コリン・ウイルソンの本を読んでますが、仮想現実とかさなるこ
とも多くもう少し考えます、うまく言葉になりません。
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●得丸久文
現実と仮想現実の問題は、仏教的にも説明できるかもしれない

ええ、ゆっくりやりましょう。現実と仮想現実の問題は、仏教的に
も説明できるかもしれない、結構古くからある問題かもしれないと
思いました。自我の問題にも通ずるかもしれません。

「金が語る20世紀」は知りませんでした。探してみます。
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●コスモス
現実も仮想現実も、方便の内ではないか?

 酒に酔っている人は、現実を強く体感しているのか、はたまたそ
の逆でしょうか?
 現実を把握する力の強弱によって、世界に仮想現実が満ちるのか?
 あるいは実相の向こうにある現実の世界を観ずるには、特殊な精
神状態に入る、その手法が必要なのか。

 私達の五感は最大でも七つ程度の重要刺激しか把握できないそう
です。それ以外の無視された現実は、脳が作り出す、記憶から取り
出した仮想現実によって穴埋めされる。あたかもポリゴンの疎密を
パネルで埋め合わせる様に。

 ヒロ様がコリン・ウィルソンの本をお読みになっておられるので
、それを引き合いに出させてください。彼が好んで扱う命題に、「
詩人プルーストがハーブディーに浸したマドレーヌの思い出」とい
うのがあります。子供の頃の記憶が、いつもと変わりない午後のお
茶の時間に鮮やかに蘇り、「現実を強く把握する」という命題です。
 詩人は思い出で今を脚色している。そうしなければ現実とは無味
乾燥だからだ。それは現実の味付け、仮想現実を楽しむ手法ではな
いのか?

 同様にウィルソンが『世界残酷物語』で書いていた、「クリシュ
ナムルティが、黒雲の下を白い鳥が飛んで行く美しさに卒倒した」
『至高体験』も例に挙げます。どうやら後者の方が強い現実認識と
思われるのです。

 「現実を見たい」と思う気持ち、見る方法を求めるのをさておい
て、このフォーラムでは『現実と仮想現実という概念があることに
よって、どのような世界観を新たに編み出せるか』という命題で、
迫るべきでしょうか? そうでなければオカルティックになってし
まいそうで・・・・

 得丸様が提起された主題動機、

 >思想を鍛える必要がある、曇りない心を持たなければならない
、思いやりの心を持たなければならない、と再三再四申し上げてい
るのも、たったひとつの現実にいかに迫るかという技法でもあるの
です。

 については、得丸様も書き上げてから少し考え直されたかもしれ
ませんが、このフォーラムに集う賢者達でさえ、現実と仮想現実に
は振り回されるものですから、そこに『無知』という命題を重ねる
のは荷が重過ぎると思うのです。宮澤賢治が『銀河鉄道の夜』で語
ったように、今現在の常識とは、次の時代では古い考え方になるか
もしれないのですから
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●得丸(39) ヒロさんへ 題名:アニマルと人間の間にあるもの
ヒロ様、
>「アトランテスの遺産」角川春樹事務所です。
僕はまだ読んだことがありません。探してみようかな。

>「ほとんどの動物は、自意識というものを持っていないように見受
>けられる。
>自分について内省してみるという意味での自意識だ。
>「人間は心の生き物なのである」

孟子の「人と禽獣に異なるやわずかなり」だったかな、という言葉
を思い出しました。人間とアニマルの違いは、僅かでしかない。
それは仁だ。たいていの人はその違いを捨て去るが、君子のみがそ
の違いを大きく育てるってなことが書いてあった。(離婁下篇)

人間というのは、「ある」存在ではなく、「なる」存在なのだと思
います。そのために心を発達させる必要があるのでしょう。もっと
発達させなくては、、、
そのための教育プログラムとしては、何がもっともふさわしいので
しょうかね。
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●得丸(40) コスモスさんへ
 題名:概念ではなく、現実存在だけを見つめたい
コスモスさん
>このフォーラムでは『現実と仮想現実という概念があることによっ
>て、どのような世界観を新たに編み出せるか』という命題で、迫る
>べきでしょうか? そうでなければオカルティックになってしまい
>そうで・・・・

はじめに概念ありきというアプローチは、過ちに陥りやすいと思い
ます。このフォーラムでは、概念を抜きにして、あるがままの現実
存在だけをまず対象とすべきではないかと思うのですが。
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●まっちょん。(42) 題名:現実と仮想現実の境界。
文章を書く職業を目指している上で、この議題に非常に興味を持っ
ております。

現実と仮想現実の違いはなんなのか。
最初に浮かんだのは「人間の意志」でした。仮想現実はなにかを伝
えるために人間が創りだしたもの。絵もそうですし、音楽なんかも
そうですね。意図的に制作され、五感を刺激するものです。そこに
は確実に人間の意志が働いています。
この考えを突き詰めていくと、都市ですとか法も仮想現実というこ
とになってしまいます。直接ひとの手の加わっていない自然だけが
現実……。少し境界を高く引きすぎてしまうようです。

この問題について、過去の哲学者や科学者も深く考えていたようです。
ギリシャ人のなかには、自分たちの観ている現実世界をイデア界の
投影にすぎないと考えている一派がいたようですし、量子力学では
シュレディンガーの猫という話をあげて観測できないものの存在定
義の曖昧さを指摘したりしています。

そもそも現実とはなんなのか。
どうも考えがまとまりません。もう少し考えてから、再び書き込み
したいと思います。
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●ヒロ(43) 題名:向こうの意識
<彼が好んで扱う命題に、「詩人プルーストがハーブディーに浸した
マドレーヌの思い出」というのがあります。子供の頃の記憶が、い
つもと変わりない午後のお茶の時間に鮮やかに蘇り、「現実を強く
把握する」という命題です。

ウイルソンは、突然の絶頂感や自由な気持ちをもたらしてくれる例
としてつかってますね。「技術文明は、人類がこれまで体験してき
たなかで、最高の自由をもたらした。だが、人間は自分が自由であ
ることに気づいていないのだ。閉じこめられ、退屈し、落ち着かな
いと感じているのである」
「絶頂体験というものは、明らかに、突如として(ただ起きる)こ
とがあるのだ」

<酒に酔っている人は、現実を強く体感しているのか、はたまたその
逆でしょうか?五感からの解放でしょうか?五感は曖昧ですねお酒
を飲んでも分かります。

< 現実を把握する力の強弱によって、世界に仮想現実が満ちるのか?
 あるいは実相の向こうにある現実の世界を観ずるには、特殊な精
神状態に入る、その手法が必要なのか。

ウイルソンは車の運転もはじめは意識を集中するが、なれてくると
効率的になりロボットが現てくる、「人間は地球上でもっとも複雑
な生物であるため、ほかの動物よりロボットに頼る度合いが大きく
ならざるを得ないのだ 、その結果、本人が疲れたときはロボットが
しゃりしゃり出てくることになる。現代都市生活者の日常生活は大
部分、このロボットにおまかせの状態である緊急時でなければ、
驚異的集中力が発揮できないのも、物忘れもこのせいである」
プレッシャーもない生活は、本物の意識を忘れます。ユングやピカソ
・・・アフリカに見たのはこのようなことがあると思います

クレジオもこのようなことを言ってます。
「メキシコにおけるアルトーの体験は、原初的、本能的な人々を発
見する現代人の極限の体験である。」
「それ以来、演劇も死も、宗教ですらアルトーの興味をひかない、
ただ呪術の思考と、彼自身の呪縛があるだけだ。タマウラ山中にお
ける体験は西欧世界との全体的な断絶のきっかけとなり、彼は二度
と以前の仕事をすることができなかった。」

「現代世界は夢見る人びと、幻視者たちをはねつける。」

エンデの父で画家のエドガーエンデご存じでしょうか。
エンデは父の絵について草や木を見るように見ていると言ってます。

エンデがトーライのグループにツアフルーというスイス人心理学者
「夜の源泉ー自己経験の新次元」の本に、夢の中の男女の出会いは
強烈・・・・・日常界での異性融合への関心など薄くなると言って
ます。
日本では訳されてません。

<今という瞬間の永遠性に身を委ねよう、という思いがよぎる

思いがよぎるだけで長く続きませんウイルソンの言葉なら「私たち
はまだ完全に人間となっていない」と

むつかしです。

ウイルソンは4冊しか読んでませんこれから読もうと思ってます。
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●得丸(44) まっちょん。さんへ 題名:Re:現実と仮想現実の境界。
ようこそ、来ていただいてありがとうございます。
>文章を書く職業を目指している上で、この議題に非常に興味を持っ
>ております。
ぜひごいっしょに考えましょう。

>そもそも現実とはなんなのか。

現実に存在するものを現実と呼ぶことには、ご興味ありませんか?
つまり、概念の必要なく存在するもの。人間の認識がなくても存在
するもの。それを現実とよぶというのはダメですか。

仮想現実とは、そのような現実存在なくして、人間の脳が現実だと
受け取っているもの。思い込み、錯覚、概念の産物、、てな区分け
はダメですか
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●ヒロ(46) 題名:超現実
仮想現実とは、そのような現実存在なくして、人間の脳が現実だと
受け取っているもの。思い込み、錯覚、概念の産物、てな区分けは
ダメですか。

ちょと割り込ませてください。
まっちょんさん、コスモスさん、桂さん・・・私、もしかしたら仮
想現実かもしれません、得丸さんも仮想現実・・・自分はこれが
絶対に現実と信じてるものが仮想現実に変わるかもしれないという
怖いところがありますね


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