406−1.言葉か行動か、道と礼と



言葉か行動か、道と礼と、、、             得丸久文 

 >得丸さんに松陰のこと語るのは気がひけます。 

気が引ける必要はないと思います。松陰について思ったこと、感じ
たことをそのまま言葉にしていただくのが一番議論しやすいと思い
ます。

僕は松陰のエージントのような口ぶりで書いているかもしれません
が、もちろんそれは松陰やこれまでの松陰研究をある程度踏まえて
いますが、僕の言っていることが絶対に正しいという保証はないで
す。だからいくらでも疑問や反論を投げかけてくださって結構です。
それが僕のためにもなりますし、このコラムの読者のためにもなる
と思います。 

吉田松陰は、幕末の日本でいち早く国際問題に目覚めた人です。
彼のことを議論することは、きっと21世紀の国際戦略を考える人
たちのためになると思っています。どうか松陰の話を続けることを
お許し下さい。 

>それと、松陰が、士農工商をうち捨てると言う言葉があれば、
>最後まで読めたかもしれません。 

さて、松陰が江戸時代の身分制を否定していたかどうかですが、自
宅謹慎中の松陰が指導していた松下村塾は、生徒は下級武士が中心
でしたが、上級武士もまじっていっしょに学んでいたようです。 

彼の言葉の中に身分制を否定する言葉があったかどうかよりは、彼
がどのように行動したかのほうが重要でしょう。 
「その交わるや道を以てし、その接するや礼を以てせば、ここに孔
子も之を受く」(孟子・万章下4) 

儒教というと身分制度でガチガチという印象をもっておられるかも
しれませんが、実際に論語や孟子を読んでみると、孔子も孟子も、
相手の身分や氏素性をいっさい問題にしません。 

もちろん自分が、親子や君臣といった関係性の中に位置すれば、
その立場上どうふるまうべきかということはあります。が、これは
身分制という制度の問題ではなく、与えられたり選びとった環境の
中でいかに生きるべきかという個人の生き方・行動原則の問題です。 

つまるところ親子であろうと、君臣であろうと、師弟であろうと、
大切なのは、ひとつひとつの出会いなり交際が、道にかなっている
か、礼にかなっているか、仁に根差した行為であるかということだ
けです。これは孔子も松陰も同じです。 

余分なことは一切考える必要はありません。ひとつひとつの行動に
仁智勇が込められていさえすれば、どんな人と、何をやってもいい
のです。シンプルな原則ですね。あとは瞬間瞬間に仁智勇を極める
訓練を行えばいいのです。 

(参考) 
「論語」や「孟子」の世界は、具体的な実行を伴わない言葉や、
巧言令色(ねこなで声のお世辞笑い)を無責任であるとしてひどく
嫌います。言葉だけでは信じません。 

論語88(里仁)「子曰く、古(いにしへ)はこれを言わんとして出ださ
ず。身の及ばざるを恥ずればなり」(古語に『これを言わんとして
出ださず』とあるのは、実行が言葉に及ばぬことを恥ずるという
意味だ) 

101(公冶長)「子曰く、始め吾れ、人に於いてや、その言を聴きて
その行いを信じたりき。今吾れ、人においては、その言を聴きてそ
の行いを観る」(始めのうち私は人に対して、その言うことを聞け
ば、それがそのまま実行されているものと信じた。だが今の私は人
が言うのを聞いた後、それが果たして実行されるかどうかを観察す
ることにしている) 

361(憲問)「君子はその言のその行いに過ぐるを恥ず」(言葉が実行
よりも立派なのは恥である) 

28(為政)「子貢、君子を問う。子曰く、先ず行え。その言は而(しか
)る後にこれに従う」(子貢は、私どもは何を努めたらよいか、と聞
いた。子曰く、まず行うことだ。言葉はそれから後にしてよい) 

337(憲問)「徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず」
(修養して徳を得た人は必ずいいことを言う。しかしいいことを言
う人が必ずしも徳のある人とは限らない)、 

405(衛霊公)「巧言は徳を乱る」(きれいなだけの言葉はその人の品
性をだいなしにする) 

たとえば松陰は、「孟子」の勝文公・下8章へのコメントで「盈之
(えいし)容易に是をいう。是虚言のみにして実心あるにあらず」
(盈之が気楽にこれをいったのは、これは口先だけのことで、心の
底からのものではない)といっています。 
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松陰                     ヒロ

 「おおよそ人には、四つにわかれた身分がある。士・農・工・商
、がそれである。その中でも、農・工・商を国の三つの宝といい、
それぞれ職業があって、国にとっては一つがかけてもならないもの
なのである。ただ士だけは、この三者のような職業がない・・・・
ところで僕は、すでに囚われの身となっているのだから、これらの
ことを語っても空談に近いといわれるかもしれない・・・・しかも
僕は農・工・商の業をもって国恩に報いる身分ではないから、ただ
書を読み道を講じて、忠孝の一端なりとも研究し、いつの日か御恩
に報いることができるように心がけることを忘れてはならないと思
っている」。 

松陰のこれまでの人生を想うと何か・・・・囚われの身となり生涯
を終えようとしている時の言葉です。 
どうして、何もかもひきうけてしまう・・・言葉になりません、
少し読んだぐらいでは分かりません、いつの日か読めればと思って
ます。 


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