404−1.外部の身体化



文化と文明について一言            ヒロ
   
 先日アントナン・アルトーを読んでいたら文化について言ってま
した。「生を支配するために作られたものなのである・・・・より
よく生きるための心配、飢えの心配から一度も人間を救ってくれな
かったような文化を擁護することがそれほど急を要するとは思われ
ない」 

1900年前後に現れたパリの文化そして批判する精神には凄いエ
ネルギーがあり、日本と比べると随分違います、世界の遺跡や物は
発掘がほとんどですが、正倉院などには驚くような物も残していま
す。
日本は批判することより、そのままの姿で残す力が強いと思います。
伝統芸能の若い人がテレビによく出てますが、伝統芸能が無くなる
とは思えませんし世間とのつき合いはとてもうまいなと思ってます。

欧米の美術館やクラッシックは財政難で、批判の向こうには何も無
いか? 
ニュースを見ていると、若者の事件が多く日本の古き良き物が無く
なってしまってると言いますが、文明のおかげで人間の苦労が無く
なり現実や生活の実体験の稀薄があるように思えます。 
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Re:文化と文明について一言        得丸久文 
   
 ヒロさん、 
>文明のおかげで人間の苦労が無くなり現実や生活の実体験の稀薄
>があるように思えます。 

同感です。 
(私の定義によれば)文明は、本来人間の内部(意識の上)に構築
されるべき文化を外部環境に変える働きをもつものです。 
しかし、さまざまな文化が人間の内部から外部に移されることで、
人間の内部の空洞化がおきているのではないでしょうか。 

江戸時代には、農耕用の家畜の数が意図的に減らされて、人手を使
った(手植えや人力の草取りによる)農業へと逆コースが取られた
ということをかつて聞いたことがあります。(名古屋大学の速見融
?氏の研究?) 

今、なんでも便利になっている世の中ですが、人間の意識の上から
消してはいけない文化をより分けて、それらについては体にたたき
こむように(身体化するように)、教育カリキュラムを作り直さな
ければならないのではないかと思います。 
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外部の身体化                 ヒロ
   
 得丸さん 
>しかし、さまざまな文化が人間の内部から外部に移されることで、
>人間の内部の空洞化がおきているのではないでしょうか。 
>それらについては体にたたきこむように(身体化するように) 

人間の内部から外部に移される外部の行き先を、美術館、博物館・
・ならば神話、呪術、美、精神・・・は身体化を捨て、すべて切り
離され閉じ込められて見せ物となり化石化する。今日、人間に必要
なのは生きた魂であり、身体化された神話、呪術、美、精神ではな
いかと思います。 
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世界の身体化                 得丸久文
ヒロさん 

>今日、人間に必要なのは生きた魂であり、身体化された神話、呪術、 
>美、精神ではないかと思います。 

そうですね、 
あなた自身を美術品にする、あなたの生活そのものを芸術作品のよ
うに仕上げる、そんなことを試みなければならないときなのだと思
います。 
それは外部の身体化と呼ぶこともできるでしょうし、あるいはもっ
と大上段に振りかぶれば、「世界の身体化」といえなくもない。 

われわれの今生きている浮き世(憂き世)の中にどっぷりつかって
、身体(=意識+肉体)をいかにして磨き鍛えるか、が問題なのです。 

国際社会、世界と対峙するときにも、結局それが問われるのだと思
います。 

サッカーの中田選手の愛読書が「論語」だと聞きました。 
面白いですね、最先端で活躍するスポーツ選手が、論語に行き着く
というところが。 
僕たちも見ならわなくては 
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空、無、禅画               ヒロ
得丸さん 

空、無について考えてますと、日本の禅画には空、そして無もあり
ます。 
それに絵としての表現形式まで追求してます、世界的にみてもとて
も特殊です。 
たしかアンドレマルローは仙外?について解放という言葉を使って
ます。仙外の絵には上手いも下手も無いし、なにも無い。 
見る側も見ることから解放されます、その他白隠、一休・・・おも
しろい作品は沢山あります。 
それと、龍安寺の石庭にもなにも無い、石があるのに無い何も無い
ところです。 
色即是空、空即是色・・・・時間も無い、何も無い、あるのは完成
した智慧そして光の洪水、そのようなこと考えました。 
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Re:空、無、禅画  見るという行為からの解放     得丸久文

ヒロさん、なかなか面白い方向に発展していますね、僕も刺激され
ます。 

仙外という人?については僕は知らないので、もしよかったらその
うち簡単に紹介してください。 

>たしかアンドレマルローは仙外?について解放という言葉を使っ
>てます。仙外の絵には上手いも下手も無いし、なにも無い。 
>見る側も見ることから解放されます、その他白隠、一休・・・
>おもしろい作品は沢山あります。 
>それと、龍安寺の石庭にもなにも無い、石があるのに無い何も無
>いところです。 
>色即是空、空即是色・・・・時間も無い、何も無い、あるのは完
>成した智慧そして光の洪水、そのようなこと考えました。 

20世紀の終わりに、僕たちはインターネットやPS2やビデオやそ
の他いろいろなツールやメディアによって、一見するとリアルな
画像や映像を、自分たちの手元に引き寄せることに成功しました。 

どれだけ現実っぽい映像をスクリーン上に表現するかといったこと
で技術者はしのぎをけずっていました。どれだけ細かい画像をCGで
作るかが話題になりました。 

でも、所詮それらはすべて目から入ってくる情報だけなんですね。 
だからいくら素晴らしい仮想現実とかいっても、目つぶったらそれ
でおしまい。一挙に夢からさめてしまう、、、 

かつてパリ郊外のジベルニーにあるモネの家に飾ってあった尾形光
淋のえがいた雁の絵のもつリアリティーに驚いたことがあります。 

そのリアルな雁は、ほんとうに一筆書きで、ひらがなの「へ」の字
そのものだったんですが、存在感があった。 

数百万ポリゴン/秒で描画するコンピュータグラフィックにリアリ
ティーがなかなかもたせられなくて、浮世絵の一筆書きにリアリテ
ィーがあるということが、面白いですね。 

では旅の途中ですので、この辺で失礼します。またご意見や感想を
おくってください。(渋谷の漫画喫茶にて) 
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見るということ                ヒロ

 得丸さん 
>仙外という人?については僕は知らないので、もしよかったらそ
>のうち簡単に紹介してください。 

図書館で借りた本で見ました、名前も自信がありません図書館の休
み明けに行きます。 

>でも、所詮それらはすべて目から入ってくる情報だけなんですね。

>かつてパリ郊外のジベルニーにあるモネの家に飾ってあった尾形
>光淋のえがいた雁の絵のもつリアリティーに驚いたことがあります。 
> 
>そのリアルな雁は、ほんとうに一筆書きで、ひらがなの「へ」の字
>そのものだったんですが、存在感があった。 

モネも驚いたかもしれません、見るということは創造でしょうか、
目より心で見ることは、目を閉じても見えます。「ヘ」の字に雁を
見たのは得丸さんなのか、光琳なのか・・・? 
モネは光を現すために形体より網膜に写る世界を信じてます、すべ
て外面の世界ですが。 
その後にセザンヌが現れたのはおもしろい、形体にしか興味があり
ません、モネは光がなければものは見えない、セザンヌは光がなく
ても物は存在するどちらが本当なのかわかりませんが、おもしろい
です。 
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仙高ナした              ヒロ

 得丸さん 

仙外は仙高ナした、日本美術全集23、円空・木喰/白隠・仙香^
良寛にあります。そしてマルローの解放の言葉を探しましたが見つ
かりませんでした。(-_-;)  「マルローとの対話」竹本忠雄
(人文書院) 

話はすこし変わりますが「マルローとの対話」の本に書いてます。 

1965年頃の話です。 
「水はすべて中国からきていて、もし毛(毛沢東)が一週間で香港
を破壊しょうと望むなら水源を断ちさえすればいいのだから」 

「香港は毛を楽しませてると思いますよ。外貨獲得にもなるね・・
・・あそこ(香港)で目につく最大の建物(1965年頃)は大百
貨店で、それは人民中国の建物なんだからね」 
マルローの言葉です。私、15年前に買い物しました。 

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