402−2.『交渉』の世紀



『交渉』の世紀                             コスモス
   
 20世紀を一言で説明するなら、『それぞれの国家が持つ国際常
識の押し付け合い』だったと考えます。そしてその結果が、『良識
の限界』だったと思うのです。 

 別に『正義や良識の敗北』を意味してはいません。それならそう
直球でお答えします。そもそも正義や良識の戦いは十分彼らの勝利
に終わったのではないでしょうか? 
 被差別部落の人々は、全国水平社の設立に際して、「そう言われ
てみると、私達は差別を受けていたんだ。言われなければそうと気
づかなかった」という感慨を抱いたといいます。 

 良識や正義は、人々がそうと気づいた時点で勝利した事になりま
す。その問題が解決し、万人が不当な扱いを受けない社会が成立す
るか否か、そうした事はさほど重要ではない。 

 こんな事を書くと顰蹙を買いそうですが、そもそも全ての理想が
叶った世界とは天国か地獄でしかあり得ないわけで、こんな諺もあ
ります。「共産主義は天国か地獄でしか成立しない。天国ではその
必要がないし、地獄ではとっくの昔に導入されている(誰の言葉か
は失念しました)」 
 例えば労働差別の問題を完全に解決しようと思えば、女性や被差
別部落の人々の完全な台帳を作成し、強制的に修学しなければなら
ない職業訓練校を設け、卒業生は必ず就職できるように、拒否する
企業には罰則を与えるようにすればよいわけです。少し考えれば滅
茶苦茶だと分かりますね。 
 完全な良識とは、法的強制力がなければ解決できませんし、それ
をしなければいつまでたっても差別追放運動は政治団体として強い
権力を持ち続ける。そもそもそれを目的としているようだから、私
は部落解放同盟を容認できませんし、女性同権運動も『同盟を結ぶ
だけのメリットがなければ、社会活動参加については、それほど重
視する必要はない』と考えております。 
 論理は、その完璧さを求めようとすると、途端に硬直して現実か
ら遊離してしまいます。 

 世界で吹き荒れた独立運動の嵐もそうでした。インドネシアの東
ティモール問題も、独立したとたん、国連に『地元住民の就職の場
を提供しろ』と無茶な要求をしました。「自分達の事を自分達で面
倒を見られると確信したからこそ独立したのではないか?」と私は
鼻で笑ったのを記憶しております。独立後の窮状も、最初から予測
され得る事柄で、彼らは天然資源を、現在の援助の返済に充てるこ
とになる。その際の権益争奪で、彼らは独立のプライドがずたずた
に裂かれるのを目の当たりにするでしょう。鼻息荒いオーストラリ
アを見れば分かりますが、利益が出なければ、誰も少数民族の独立
に援助などしないのですから。 
 パレスチナ問題にしても、パレスチナ側には「国家樹立をイスラ
エルが承認する事で、双方が得られるメリットのアピールが足りな
い、あるいはメリットが皆無である」という問題点があります。な
るほど、その歴史の過程からすると、パレスチナには十分な正当性
があります。しかし正当性だけでは物事は解決しえないのです。
パレスチナがアラブの傀儡である以上、非道なイスラエルが解放機
構と仲良くしようとするはずがない。 
 別に私はことなかれ主義、非暴力主義を主張しているわけではあ
りません。命をかけるに足る闘争は存在しますし、正義の鉄槌を下
すべき既存勢力も存在します(例 チベットに対する中国、チェチ
ェンに対するロシア)。うまく行かない対立よりも、得られるもの
が多い融和という道もある、と、他の道を提示しているだけです。 

 権利も、そして宗教も、その思想が存続し、それを守り続ける人
がいれば十分に問題は解決しているのであって、周囲にその思想を
押し付けると争いの元となり、その思想の存続すら危うくなってし
まいます。 

 21世紀において重要な思想は、『交渉、お互いのメリット』に
なると考えます。アチェのキリスト教徒がインドネシア当局に弾圧
を受けた苦しみは理解できます。天然資源の搾取による、環境汚染
や権利の独占もあったでしょう。しかし彼らがインドネシアとはか
つて違う国家だった、と主張し、その尊厳を、インドネシア国家の
発展に寄与すれば、インドネシア側からの差別意識も改善させるこ
とが出来たのではないでしょうか? 独立して後に敵になると分か
っていれば、誰も独立を容認するはずがありません。独立した今、
彼らはインドネシアを許す事が出来るのでしょうか? 
 『独立して同じ仲間が集まれば、それで社会はうまくいく』とい
う考えは『50億総貧乏』という結果に成りかねない。 

 逆境の中での協調がそう簡単ではないことは、戦後の日米関係を
見ればすぐ分かります。未だにアメリカは無知無能の巨人でしかな
く、戦前からの最良の同盟国である日本を徹底的に軽視し続けてい
る。しかし我慢して関係を結びつづけてきた結果、日本はうまく存
続しつづけ、発展を遂げてきた。たとえ卑屈と周囲から嘲笑されよ
うとも、最終的に得られる果実をちゃんと目標に定めておれば、戦
後五十年たってようやく活発になってきた、日本の自虐史観への批
判のように、良識と正義が力を得る事になるのです。 


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