397−2.21世紀の展望



                                                柳太郎
FさんとTさんの議論に期待し、21世紀の展望に関して、今存在する
議論を基に、私の観点から意見を述べてみたいと思います。ただ、
未来を予言することは誰にもできないので、具体性を欠いてしまっ
ている点はご勘弁を。 

1. 文化的側面 
文化を絵の具にたとえてみます。地球上を見回してみたときに、
文化ごとに塗られた地球儀はどのように見えるか。現在のところ、
はっきりと単一の色で塗られているところと、「まだら」になって
いるところに分かれると思います。まだらの部分は境界部分があい
まいな色ですが、基本的にははっきりとした色が残って見えます。

これが現在の「文化」の偏在状況ではないかというように思います。
21世紀は「まだら」の部分が増えることになるとは思いますが、色
が混ざり合って他の色をなすといった状況にはなかなかならないの
ではないかと思います。

イギリスの例をとってみましょう。私はロンドンで3つのイギリス
人家庭の中で暮らした経験があります。その内2つは典型的なイギ
リスの中流家庭でした。そのような家庭やロンドンという町を見て
興味を持ったのは、この町にはあれだけ多くの人種や文化が存在し
ているにもかかわらず、それらが根本的なところで融合していない
ということです。

残りの一軒は、イギリス人のだんなさんと日本人の奥さんの年配夫
婦の家庭です。このだんなさんは日本通で、日本の「禅」をアレン
ジして、毎週何人かのイギリス人を自宅に呼んで精神的にリラック
スをする場(会合)を持っていました。ですが、その人は明らかに
「イギリス人」であり、奥さんはもう40年近くイギリスにいるにも
かかわらず「日本人」でした。(奥さんもそれを認識していました。)
その日本人の奥さんは今は少しでも早く日本に戻りたいらしく、
2・3年をめどに戻ってくるようです。

ここで分かるのは、若い時期(特に10代まで)に見につけた文化的な
意識は基本的に変えることは難しいのではないかということです。
他の文化を表面的に身に付けることはできますが、それを個人の
「核」の部分に持ってくることは難しい作業のように思えます。

他国の人間と個人的に分かり合えたような経験は多くの人が持って
いると思いますが、これは「核」の外側での出来事で、例外はある
とは思いますが、多くの場合若い時期に身に付けた「核」にまでは
至っていないことが多いようにおもいます。

これを拡大して、旧東西ドイツ市民の統合後の問題で考えてみまし
ょう。統合後、二つの市民の間には「心の壁」と呼ばれる問題が生
じたといわれています。両市民とも、他の国の人たちと自分を対比
させた場合、「自分はドイツ人である」という意識をもっています
が、ドイツ国内で見た場合、彼らの多くは「自分は西(東)ドイツ人
である」というアイデンティティーを持っています。つまり、統合
前に身につけた文化的側面は、統合後にもずっと引きずっていると
いった現象が見られています。

これを少し拡大してEUで見てみましょう。自分はEUに属すると考え
ている人は多くても、自分のアイデンティティーをEUに置いている
人は少ないといわれています。これをさらに拡大しましょう。グロ
ーバル化が進む中で、当分の間は自分が育った環境の中で身につけ
た文化を強く意識するようになる可能性があります。表面的な文化
の移動はあっても、その核と核が融合するといったケースはなかな
か見られないのではないかと思います。

ただ、これが文化的な衝突に結びつくかどうかは別問題です。つま
り、ハンチントンの言う「文明の衝突」は、(起こるとすれば)異な
った「文明」や「文化」が存在するから起こるのではなく、それを
利用する政治の問題であるということです。
21世紀の前半は「アイデンティティーの模索」の時代となるかもし
れません。 

2. 環境問題 
国際戦略コラムでも何度か採り上げられているこの問題は、21世紀
の早い段階で大きな動きがある可能性が大きいと思います。先進国
と途上国との間で妥協案が作られ、何らかの形で合意に至るとは思
いますが、重要なのは経済開発に与えるインパクトです。先進国側
から途上国への技術供与等により、相互依存関係がさらに深まると
は思いますが、当面はあまり効率的にはいかないように思えます。
それにより、全世界的な環境に対する危機感がさらに深まるように
なると思います。(技術により環境問題が解決されないというのが
前提ですが。) 

3. 経済 
今後、国家による「規制」のあり方が今までとは違った形で焦点に
なるかもしれません。つまり、保護主義的なあり方は否定されても、
国家による経済の操作の重要性がクローズアップされる可能性があ
ります。金融面ではヘッジファンドなどによる国際的な投機攻撃に
対処する方法、産業・貿易面ではインファント・インダストリーの
保護のあり方が改めて問い直されることになると思います。(すでに
これらは起きていますが。)これは、IMF自体の改革の行方に直接関
るものです。 

4. 倫理 
倫理問題は21世紀には国際的な中心議題になると思われます。
が、これは文化的な基準の多様性のために難航するでしょう。
核兵器、環境問題、ジェンダー問題、人権一般もこの部類に含まれ
ますが、21世紀後半までに大きな進展があるかもしれません。 

5. 国家(State) 
21世紀中には、国家はなくならないでしょう。一般的に、ネイショ
ンやナショナリズムは国家(State)によって作り出される、また
は強固なものにされると言われています。ですから、ナショナリズ
ムもなくなりません。しかし、環境問題などにより、地球規模で自
分達の生存に関る危機感を抱くようになると、その解決策を模索す
るようになるでしょう。

方向性としては、「地球連邦」といったあり方だと思います。なん
か、ガンダムのような話しになってきましたが、中央に小さな政府
を置き、そこにある程度の権限を与え、地方(国家)に主権性を大
幅に残すといったあり方(連邦制)がまず模索されるのではないか
と思います。上記に述べた「文化」自体の性格上、また地域的な特
殊性といった観点からも、「地球連邦」は21世紀の後半には現実味
を帯びてくるかもしれません。
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文明の衝突           ヒロ   

 柳太郎さん 

>その核と核が融合するといったケースはなかなか見られないのでは
>ないかと思います。 

そうですね、でも融合というより他をみとめることも必要です、ピ
カソのアフリカの影響も、あのような考え方もあると言うことでは
ないでしょうか(たしかレヴィストロースの言葉です、エンデも言
ってますピカソは良い絵を描くためにではない)それより、融合さ
せた芸術は失敗しているように思えます。 

>「文明の衝突」は、(起こるとすれば)異なった「文明」や「文化」
>が存在するから起こるのではなく、それを利用する政治の問題であ
>るということです。 

利用する政治というより、政治が他の文化をねじふせているように
思います、アフリカにしてもあのような国にしてしまったのは欧州
ではないか(たしかゴイティソーロの言葉です)ピカソが言ってま
す、未開の彫刻が呪術であることを知らないと。 

いつもなにか反論しているようですが、みなさんの意見を楽しく拝
見させてもらってます。
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「ちくわぶ」的発信方法           YS 

 柳太郎さんのご意見を拝見すると、ジョン・グレイ派のようですね。
彼は現在ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの教授なので、
留学中はひょっとして彼のもとで学んでいたのでしょうか。

ジョン・グレイについては、本日の日経一面の「21世紀を読む」に
掲載されています。下でも読むことができますので参考にして下さ
い。他にも参考になるものがあります。 
http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt37/ 

彼の代表作「グローバリズムという妄想」は日本でも1999年に
日本経済新聞社から邦訳されていますね。この中でマーチン・ウル
フのコメントを紹介しています。 

「経済が不況のコストに耐える能力の一番弱い人を守る一方で、経
済活動からの利益をできるだけ広く分配する能力で判断されるとし
たら、日本のそれは栄光の時代と同じように試練の時代においても
際立っている。」 

現在の日本の論調で欠けているのはこの視点です。 
「失われた10年」を『含めて』、もっと自信を持っていいと思いま
すよ。そしてそこで学んだことを世界に発信すればいいのです。 

今すべきことは経済再生ではないと思います。新たな時代に向けて
環境調和型の社会システムを創造していくことです。 
おそらく子供たちはすでに現在のシステムの限界を見抜いているの
です。おそらくこれからの日本の行方を全世界が注目しているでし
ょう。

あまりに主張しすぎるとどこかの国みたいに嫌われちゃうかもしれ
ないので「ちくわぶ」的につつましくゆっくり時間をかけて融けだ
していけばいいと思います。 
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Re:文明の衝突          柳太郎   

 ヒロさん、はじめまして。 

>そうですね、でも融合というより他をみとめることも必要です、
>ピカソのアフリカの影響も、あのような考え方もあると言うこと
>ではないでしょうか(たしかレヴィストロースの言葉です、エンデ
>も言ってますピカソは良い絵を描くためにではない)それより、
>融合させた芸術は失敗しているように思えます。

国際関係を考えるにあたり、他の分野からの見方は極めて参考にな
ることが多くありますね。そしてこれが一番重要だと思います。

>利用する政治というより、政治が他の文化をねじふせているよう
>に思います、アフリカにしてもあのような国にしてしまったのは
>欧州ではないか(たしかゴイティソーロの言> 葉です) 

ヨーロッパ人が他の大陸に出向いた時に、一番驚いたのはキリスト
教以外の文化が存在しているということです。ただ、まだ原初的な
部分が多く残っていたために、植民地化を正当化するための口実と
して、分化の程度の差異を強調するようになりました。ヨーロッパ
人は単に文化的(Cultural)ではなく、Civilizedであるといったふ
うにです。

植民地化の過程では、結局、政治が「文化」という概念を利用する
ことが起きていたわけです。ですから、ある文化が他の文化をねじ
伏せるのではなく、政治が文化をねじ伏せるという言い方は全てを
説明してはいませんが、あたっているとは思います。
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Re:「ちくわぶ」的発信方法          柳太郎

 実は、あのような意見を書くことには自分の中に抵抗がありまし
た。未来学者的なことを書くのは好きではなかったからです。
しかし、今まで議論されてきたことで、私が個人的に妥当だと感じ
ることを中心に簡単に書き出して見ました。

>柳太郎さんのご意見を拝見すると、ジョン・グレイ派のようですね。
>彼は現在ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの教授なので、
> 留学中はひょっとして彼のもとで学んでいたのでしょうか。

ジョン・グレイの名前は知ってはいましたが、結局会う機会はあり
ませんでした。イギリスではジョン・グレイのようにGlobalisation
=Americanisationと捉える考え方には抵抗が大きいですね。
Globalisation推進派のブレア政権のご意見番でもあるアンソニー
・ギデンスは、皆さんもご存知のように「第三の道」を標榜してい
ます。

私はGlobalisationを単純化した形で捉えています。以前皆さんにご
紹介したことがあるかと思いますが、グローバル社会とは “a single
 powered society” であるという考え方です。これは、技術的な進
歩によりネットワークが世界規模で広がることから生じるものです
が、ここで重要なのは “power” という概念が使われていること
だと思います。

90年代の金融危機では、メキシコに始まった通貨暴落は、数年後に
は東南アジアやロシアに飛び火し、ヨーロッパ、アメリカに戻ろう
としたという経緯があります。これは、国際金融というpowerが世
界中をさまよったことによるものであるという説明が可能です。(
もちろんこれが全てではありません。)この意味で、今現在は国際
金融が中心的なGlobal Powerであるといえます。

もう一つは、Globalisation=Americanisationという考え方の是非
です。これは、アメリカの政治・経済的powerが他国を凌駕している
ために起こる現象です。したがって、この二つをイコールで結びつ
けることは本質をついた議論にはなっていないと思っています。
グローバリゼーションは、地球規模での均質化が行われる過程とい
うよりは(そうなるかもしれませんが)、本質的に不安定なプロセ
スではないかと思います。つまり、powerという概念で捉えられて
いる以上、そのバランスにより状況は変わるからです。

> 彼の代表作「グローバリズムという妄想」は日本でも1999年
>に日本経済新聞社から邦訳されていますね。この中でマーチン・
>ウルフのコメントを紹介しています。 
>「経済が不況のコストに耐える能力の一番弱い人を守る一方で、
>経済活動からの利益をできるだけ広く分配する能力で判断される
>としたら、日本のそれは栄光の時代と同じように試練の時代にお
>いても際立っている。」 

>現在の日本の論調で欠けているのはこの視点です。 
>「失われた10年」を『含めて』、もっと自信を持っていいと思い
>ますよ。
>そしてそこで学んだことを世界に発信すればいいのです。 

まさにその通りだと思います。問題は日本の官僚に日本から情報発
信をするという意識がないこと。責任の所在が不明確で、手続きも
要らないものが多く、誰もが責任逃れをしたいがために、情報を出
そうとしても出せない、または機を逸してしまっているわけです。

この体質は彼ら自身では変えられないでしょうから、民間で何とか
するという道を早急に作り上げないといけないでしょうね。日本の
シンクタンクも全くあてになりませんから、どうしようもありませ
んが・・・ 

>あまりに主張しすぎるとどこかの国みたいに嫌われちゃうかもし
>れないので「ちくわぶ」的につつましくゆっくり時間をかけて融
>けだしていけばいいと思います。 

「鍋は、具が溶け出すとうまくなる、でも全て溶けてしまっては鍋
でなくなる。」このような意味で、21世紀への提言は『鍋』といっ
た言い方には面白いなと感じていました。

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