390−1.ワヤワヤ、南アフリカ



ー 水面下で進む?植民地解放闘争 その6
2−6 翌日南アで活動している日本の市民団体JVCがヨハネス
ブルグ北方250kmの北部地域にある村の託児所の見学に行くの
に連れて行ってもらった。もう南アに住んで3年になる所長のT女
史には、かつて彼女がANC東京事務所で働いていた時にお目にか
かったことがあり、ほぼ10年ぶりの再開だった。

 彼女に前日の出来事を報告する時に、ソエト蜂起の記念碑と写真
展から感じた私の違和感を話題にしたが、彼女のご機嫌を損ねてし
まった。彼女自身は何回となくそこを訪問しているが、何の違和感
も感じないという。「ビコについて言及されないのは変だと思わな
い?」と私は聞いたが、「ソエト蜂起はビコだけの影響ではないわ
」とクール。おまけに「たった一週間しか南アにいない得丸さんと
、もう3年住んでいる私とでは感じることも違うかもね」と突き放
され、話題は途切れた。

 車にはANCリターニ(帰還者)幹部の奥様も同乗していて、女性
同士でもっぱらANC男性幹部の女癖の悪さについて話題が盛り上
がっていた。彼女によれば、亡命中に現地で一緒になった女性を捨
てて南ア女性のもとに走るANC帰還幹部が多く、結婚は多く破綻
しているそうだ。

2−7 黒人の経営コンサルタントにも会った。
 かつては核爆弾まで作っていた南アが、どうして急に貧しくなっ
たのかと私は質問した。彼の答えは、まず、国民党政府は白人政権
末期に海外の銀行から自分では返すつもりのない借金をして膨大な
対外債務が黒人政権に引き継がれたこと、第二には、かつての豊か
さというのは人口の1、2割だけを豊かにするという条件下で可能
だったのであり、全人口で割ってみると南アはそれほど豊かではな
い、というものだった。

 私が「地下資源を国有化しないことには、黒人の生活は向上しな
いのではないか」と問うと、「堀り尽くされて大きな穴しか残って
いないキンバリーのダイヤモンド鉱山に象徴されるように、およそ
地下資源で永久的なものはない。人間に投資するのが一番だよ」と
いう。でもそれを行うための金がないという状況はどうやって乗り
越えるのだろう。

 彼はまた技術者の育ちにくい英国流の教育制度を変えなくてはな
らないという意見だった。

2−8 ヨハネスブルグ中心部の古びれたビルの中にあるPACの
本部を訪問した。
 昨年12月の委員長選挙でモホバ司教に破れた前委員長のクラレ
ンス・マクウェツ氏(地球浪漫1806)が東ケープ地方で分派活動
を行ったという罪状で党内の懲罰委員会が開かれている時だったの
で、これを話題にしたが、教条的な反応しか返ってこず辟易した。
新聞にも「いいかげん内紛をやめてくれ」という悲痛な投書が掲載
されていたというのに。

 PACの新しい政策綱領とやらについて1時間近く説明してもら
ったが、人種に関りなく南アに住む人をすべてアフリカ人と定義す
る非人種主義を標榜しているというのに今でも「植民者(settler)」
という言葉を使っているのに驚いた。
結局、白人は植民者、黒人は先住者という考えなのだ。これでは国
内を丸く治めることは不可能だ。

 今この国に住んでいるあらゆる人種に属する人間が納得できる政
策を立てるべきではないかと指摘すると、「俺達黒人は多数派なの
だから(白人の少数意見は押さえつけられる)」とまで言う。そんな
ことだと万が一黒人多数の支持を得たとしても、幹部の暗殺やスキ
ャンダルなどの陰謀によって政治生命が絶たれるのではないかと
疑問を呈しておいた。 

 政治というのは相手と妥協すること、相手を妥協させることでは
ないだろうか。相手が受け入れられそうもない身勝手な主張を振り
かざすのは子供じみている。もちろん黒人たちがそのように急進的
にならざるをえないのは、自分たちの既得権益にすがりついている
白人たちの自己中心的な態度の影響でもある。 

2−9 人口200万人とも500万人ともいわれる南ア最大の
黒人居住区ソエトには、ひとつしか病院がない。ここはもともとは
第二次世界大戦で負傷した英国系白人の治療のために仮設された病
院。いまだに仮設の施設が多い。医療機器も古いものばかりのよう
だ。

 病床数は南半球最大で3500床ある。復興開発計画(RDP)の
中でもソエトに病院を増やそうという計画はない。バラグァナト病
院という名称だが、1993年に暗殺された南ア共産党の中心人物
クリス・ハニの名を冠してクリス・ハニ・バラグァナト病院とこの
春改称された。病院関係者は誰もそれを望んではいないのに、上か
ら押し付けられた、と私の会った病院関係者は不満そうだった。
(噂によればクリス・ハニはANC内部の権力闘争の渦中で暗殺された
らしい)

 昨年看護婦の組合がストライキを行って賃上げを勝ち取ったが、
その結果人件費が不足するようになり、熟練看護婦に早期退職の勧
奨が行われている。全体のパイが大きくなっていない時に、自分の
パイを大きくしようとすると、分配する人数を減らさざるをえなく
なる。お馴染みの椅子取りゲーム。

ー 水面下で進む?植民地解放闘争 その7
3 ノット・イエット・ウフル
3−1 ヴィクターとはよく飲んだ。酒を飲みながら、鉱山の国有
化の是非など議論した。ちなみに、私は南ア復興のための原資とし
て鉱山を利用する以外にないという立場から国有化論者であったが
、彼は国営にすることによって効率が落ちるのはよくないと否定的
な意見だった。

 ここから先は酒の席のよた話かもしれませんが聞いてください。
3−2 ライブハウスで歌を聞く前に一杯だけひっかけるつもりで
入ったマーケットシアターの近くのバー「ニキのパラダイス」では
、女将を目当てに飲んだくれていた外務省の役人とヴィクターが口
論になった。このお役人が気安くくれた名刺はどこかの局の局長か
なにかで随分と立派なのだが、言ってることはいまひとつピンボケ。
そのくせ自分は外交官であると言って、元自由戦士をも見下す口調
がいやらしかった。

 ヴィクターが「おまえいつから外交官やってるんだ」と聞くと、
不意をつかれた相手は「1987年から」とやや気まずそうに言う
。すかさずヴィクターが「お前、ボプタツワナで外交官やってたん
だろ」となじると、相手は言葉を失った。

 ボプタツワナは、アパルトヘイト時代に「独立」したホームラン
ドのひとつ。南ア国内の貧しい土地を囲い込んで黒人国家とするこ
とによって、自動的にツワナ族の人間は南ア国内のどこにいつから
住んでいようと外国人扱いになるというアイデア。もちろんこのよ
うな似非国家は1994年に解消されたのだが、その傀儡国家の官
僚が新体制にももぐりこんでいたのだ。ヴィクターは、「彼らはど
うせ大した仕事はしないから、名目上高い地位を与えて、傀儡的に
利用しているのだ」という。では一体だれが実権を握っているのだ
ろうか。

3−3 ある晩遅く、ヴィクターに「シェビーン(闇酒場)に行くか
」と誘われた。ソエトの庶民の生活を垣間見ることを期待したのだ
が、ヨハネスブルグ北方のローズバンクという元白人地区の高級住
宅街にある庭も家も立派な大邸宅に連れていかれた。

 門で呼び鈴を押すと、「うちはバーではありません。たまたま友
人が集まっているだけです」とつれない返事。さらに入門を乞うと
、中から女性が出て来て、我々の顔を確かめてから、玄関の中に招
き入れてくれた。

 ここは事業で成功した黒人たちが、リッチな気分で飲み食いする
社交場のようだ。駐めてあった車もベンツやBMWばかり。
 
 誰何が厳しかったのは、地元の民主党(DP)によるシェビーンの
立ち退き運動が起きているためだということが後でわかった。風紀
を乱すし、騒がしいという理由だが、人種的偏見や亀裂が根底にあ
ることを感じさせる。

3−4 サントン地区にある和食レストラン「トトウマ」のカウン
ターで日本酒を飲みながら。

 結局のところ、94年以降の南アには、黒人たちの生活・福祉の
向上のためにやるべきことが山積しているのに、それを実行するた
めの金が政府にないのが最大の問題ではないか。

「南アには核開発を行うほどの技術力も資金力もあったのに、どう
して今の政府には金がないの」と私がきくと、ヴィクターは、「最
大の理由は国民党政権末期に、銀行から借りた2千5百億ドルもの
借金の利払いに政府支出が使われているからだ」という。

「でも、前の体制がこしらえた借金のために、新生黒人国家が運営
できないというのは変だよ。黒人政権に返済する義務はあるのかな。

 それに金利というのは、あくまで概念上の産物で、交渉次第では
いかようにでも減免してもらえるものだと思うけど」

「借りたものは返さなければいけない、それが決まりだ。きちんと
返さないと国際的な信用を失ってしまう」

「でも、アパルトヘイト時代に何もしてこなかったから、今は黒人
の福祉向上のためにやるべきことが山のようにある。対外債務を返
済しているゆとりなんてないよ。アパルトヘイト反対といっていた
国際世論は、そこをわかってくれないかな」

 しばらく沈黙が続いてからヴィクターが続けた。
「まだ解放闘争を戦っている自由戦士がいるのを知ってるかい。
お前みたいに若い考えを持ったやつが、革命が不十分だといって草
むらに隠れて白人農民を殺しているんだ。昨日もオレンジ自由州で
ひとり殺されてた。

 レッタ・ムブル(Letta Mbulu)の歌にノット イエット ウフル
(Not Yet Uhulu)ってのがある」
「ウフルって?」
「独立だ」

 未だ独立せず、か。南アの民主化について僕と同じ意見の人がや
はりいた。「彼らはあなたが訓練した兵士たちだろ」というと、
「しかし、人殺しはいけない」「ウムコント(ANCの軍事部門)な
の、それともAPLA(アザニア人民解放軍、PACの軍事部門)な
の」
「どちらでもない。彼らは全く自主的に動いており、組織も彼らを
統制不能なんだ」

ー 水面下で進む?植民地解放闘争 その8
3−5 94年の黒人政権誕生の後、黒人の生活は何もよくならな
い。だから、銃を取って白人農民を襲うというのは、危険な短絡で
ある。だが彼らは他にどのような手段を取りえたかというと、私は
思いつかない。

 南アの植民地解放の特徴は、独立後も植民者が大量に居残り続け
ることだった。とくにオランダ系のアフリカーナは、本国との絆が
とぎれて200年以上になるのでどこにも帰るところがない。だか
ら、白人には、南アの国内で、黒人と共存する以外に選択肢がない。

 この厳然とした事実を前に、白人が態度を改め、植民地の特権の
もとで収奪し蓄積した富を黒人たちと分かちあうという選択は可能
だった。しかし、実際には、人種間の対話は少しも深まってはいな
い。94年以降の白人はかつてのような植民地的特権を失ったため
に不満をもっており、逆にわずかたりとも黒人に分け与えまいとす
る狭量な考え、防御姿勢が目立つ。これでは融和は生まれない。

 だから、自信と力をつけてきた黒人は実力行使による自力救済の
手段を取り始めたのだ。
 本来であれば、黒人がそのような暴力的最終手段に訴える前に、
第三者なりが介入なり仲裁なりを行って、より流血が少なく、より
多くの人が幸福を感じる解決策を双方に提示すべきではなかったか。

 これは勝手な想像だが、今銃を取って草むらに隠れているのは、
黒人政権誕生のどさくさにうまく立ち回って少しでも甘い汁を吸お
う、自分だけ救われようとする態度に出ることを潔しとしなかった
連中ではないだろうか。彼らは南ア黒人の解放という大義のために
、自らの犯す罪の重さにおののきながら、心を鬼にして白人農場主
を襲っているのではないだろうか。彼らの孤立無援な状況を、理解
してあげるべきだと思う。

3−6 ヨハネスブルグ空港出発ロビーの新聞店には、ノット・イ
エット・ウフルのCDが何枚も目につくところに並べられていた。
これは何かのメッセージだろうか。

 南アを離れる日の朝、ヴィクターの紹介で話を聞かせてもらった
黒人の精神科医が、別れ際にヴィクターに「あんまり手荒いことを
するなよ」という感じのことを言っていた。ヴィクターに問い質す
と「冗談だよ」と一笑に付したのだが。

 また、夜の便を待つ間にヨハネスブルグの中華街で一緒に食事を
した黒人カメラマンが、「白人は土地改革に協力しないと、もしか
すると只で土地をもらうことになるかもしれないよ」と冗談めかし
て言っていたことを思いだした。

 もしかしてネルソン・マンデラら政府幹部も現代の自由戦士たち
について知っていて、白人たちとの交渉を有利に運ぶために使うつ
もりではないかという思いがよぎった。

 ロンドンで無料配布されている10月15日付けのSTAR / SA 
TIMESに白人の農夫に対する襲撃が急増しているという記事が出て
いた。
(おわり)

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