388−2.暗号解読のカギをあげます



得丸です、暗号解読のカギをあげます。

 BABELさん、ご活躍ですね。お腹の赤ちゃんは順調ですか。 
お風邪など召さないよう、お大事に。 

今日はTさんと忘年会をしてきました。オフミの議論も楽しいもの
です。 

>(1)なぜ、348-3文化と文明について と 350-2カタツムリた
>ちにとっての文化と文明 の2つを書かれたのですか? 
>この二つは、主張が重複していて、場面設定がちがうだけでは? 

誰かこの点に気づく人がいるかな、と思っていましたが、さすがで
すね、BABELさんは読みが深い。 
で、回答も謎解きのヒントという形でご提示いたしましょう。 
松居桃婁の「黙示録の秘密」という本をご存知ですか。 
聖書は暗号で書かれたいた、というものです。これはなかなかいい
本ですよ。 

聖書には同じ内容の部分が二つずつある、それを消していくと残る
のが、言いたいことだった、というものです。 
あの「文化と文明」の対話版とカタツムリ版はほぼ同じ内容ですが
、後者から前者を引き算するのです。 
すると、ふたつの違いが明らかになります。 

そこに前者の僕の秘密と、後者の僕の秘密と、前者と後者の関係が
隠されています。 

>でも、カタツムリ、、、は読んでいておかしいですね。国際戦略
>コラムで大笑いしたのは初めてでした。 

もっとユーモアが必要だということですね。これから気をつけます。

>(2)かつて、274-3もう美術館はいらない を書かれましたが、
>今も「美術館はいらない」とお考えですか? 
>秋にウィーンに行かれたようですが、あの街には、古いものも近代
>的なものも(現代的なものはよく知りませんが)含めて、実にた
>くさんの美術館・博物館がありますよね。どこかお薦めがありま
>したら、ぜひお教えいただけませんか? 

美術館の問題は、多くの場合そこで作品と対話するのではなく、
作品についての知識を確かめたり、作品の記憶にであって安心する
ところにあります。 

だから、先入観なく心をひらいて作品と対話するのでしたら、やはり
行く意味はあると私は思います。

私は仕事で行ったので、ここがいいとか言うだけの情報は持ち合わせ
ておりませんが、フンデルトバッサーが設計したクンストハウスは
一見の価値があるのではないでしょうか。
(僕もこれは現地で知り合った人に教えてもらっていったのですが)

あと今もおそらく「クリムトと女たち」展はやっているかな。 
僕はクリムトはあまり好きではありませんが、会場のベルブデール
宮殿の雰囲気には忘れがたいものがあります。 

文化史美術館には、ヤン・ブリューゲルの作品がいくつかあります。
フランドル派で、ピーター・ブリューゲルの次男であったヤン・ブ
リューゲルは僕のだい好きな作家です。 
でも、彼の作品を見るのであれば、ミュンヘンのアルテピナコテーク
をオススメします。ここのブリューゲルのコーナーには1時間以上
いてもあきませんでした。 

美術館に行って美に触れたと満足するのではなく、自分自身を、自分
自身の生活を美術作品にするつもりになって生きることが大切なのだ
と思います。
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Re:得丸です、暗号解読のカギをあげます BABEL 
 得丸さん、ありがとうございました。 

>松居桃婁の「黙示録の秘密」という本をご存知ですか。 
>聖書は暗号で書かれたいた、というものです。これはなかなかい
>い本ですよ。 

ご紹介ありがとうございました。読んでみます。 

>>(2)かつて、274-3もう美術館はいらない を書かれましたが
>>、今も「美術館はいらない」とお考えですか? 
>>秋にウィーンに行かれたようですが、あの街には、古いものも
>>近代的なものも(現代的なものはよく知りませんが)含めて、実
>>にたくさんの美術館・博物館がありますよね。どこかお薦めが
>>ありましたら、ぜひお教えいただけませんか? 
> 
>美術館の問題は、多くの場合そこで作品と対話するのではなく、 
>作品についての知識を確かめたり、作品の記憶にであって安心する 
>ところにあります。 

あ、これは○○で見た、とか、○○のCMで使っていた、ああよかっ
た、おしまいというアプローチを批判しておられるのですね。 

>だから、先入観なく心をひらいて作品と対話するのでしたら、
>やはり行く意味はあると私は思います。 

>文化史美術館には、ヤン・ブリューゲルの作品がいくつかあります。
>フランドル派で、ピーター・ブリューゲルの次男であったヤン・
>ブリューゲルは僕のだい好きな作家です。 
>でも、彼の作品を見るのであれば、ミュンヘンのアルテピナコテ
>ークをオススメします。ここのブリューゲルのコーナーには1時
>間以上いてもあきませんでした。 

私はヤン・ブリューゲルの作品を実際に見たのは1度だけです。 
穏やかで、静かで、敬虔な愛を感じさせる繊細な花の絵でした。 
もう1つは、友人の持っていた画集で見ました。 
聖母子像で、やはり同じ基調ですが、花の絵よりももっとメッセー
ジが明確な、すばらしい絵だと思いました。 

>美術館に行って美に触れたと満足するのではなく、自分自身を、
>自分自身の生活を美術作品にするつもりになって生きることが大
>切なのだと思います。 

まるで、荒川修作氏のようなことを言われますね。 
でも、そのとおりだと思います。 
得丸さんは、ご自身を昇華させるために、どのような活動をしてお
られますか? 
あるいは、どのようなことをなさりたいとお考えですか? 
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いろいろな思想を遍歴した結果、論語と孟子に行きついた 
得丸久文
BABELさん、お元気ですか。 

富山は街路樹がすっかり裸木になってしまい、冬の景色をみせてい
ます。ご指名でご質問をいただき感謝します。 

>得丸さんは、ご自身を昇華させるために、どのような活動をして
>おられますか? 

僕は学生時代から、ずっと思想に興味をもっていました。 
それもどちらかというと左翼の思想家の近くにいました。 
太田竜、故・戸田徹、関曠野、、、、 
本能的に彼らのやっていた勉強会に近づいていってそれに参加した
ものです。 
最初のうちは、本もろくに読めなくて、二次会だけ参加というのも
よくやった。 

なぜ、何を考えて、思想家たちの側にいたのかわからないけど、
興味だけはあった。 

思想というものに、世界を変える力を感じていたのかな? 
1991年から2年間、ユネスコ本部で勤務したとき、そこに思想
がないことに愕然として、仲間うちで「鷹揚の会」という勉強を立
ち上げたんだ。 
それが自分で主宰したはじめての勉強会だった。 
すでにテーマは「ユネスコにある思想、ない思想」という東洋と
西洋の違いを強調したものでしたが。 

以後、ロンドンに4年、東京に2年、富山に1年と転々と移住しな
がら、各地で仲間をつくって勉強会をするようになりました。 
ロンドンにいたときに、論語や吉田松陰に出会い、決定的な影響を
受けました。その結果、左翼思想とも完全に決別して、古典の論語
、孟子、吉田松陰へと傾倒していった。 

東洋古典の思想は、まず何よりも自分を律する思想。 
外の世界を美しくするためには、自分自身を美しくしなくてはなら
ない、というものだった。 
これも荒川修作の言っていることと同じですね。 

西洋近代の啓蒙思想は間違っている、自由、人権、民主主義なんて
概念にはちっとも思想性がない(自分を律するところがない)と思
い至ったんだ。 
福田宏年「時が紡ぐ幻」を読んで、その思いはますます強くなった。 

>あるいは、どのようなことをなさりたいとお考えですか? 

身体の一部としての思想、意識に焼き付けられた思想、現代の行き
詰まりを打開するには、それがもっとも大切なのではないだろうか。 
そんなことを思っています。 
だから、できればこの国際戦略コラムの場を、思想獲得の場にしたい、
若い人たちが、間違わずに生きていけるように、思想を彼らの意識
の上にインストールする手伝いをしたい、、、 
そんなことを考えています。 
こういうの思想家の仕事っていうのでしょうかね。 

思想は、あるかないかの問題です。思想なしに生きるのはアニマル
です。人間は思想とともに、思想をもって生きなくてはならないと
思います。 
思想は人類が長い歴史の中で造りあげた、よく生きるため、美しく
生きるための文化だと思います。 

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