380−1.ジェンダー論の心



 どばしようこ   

わたしが議論に介入しなくなったのは、いくら企業的価値観や感性
と相容れないとはいえ、わたしは日本社会で生活していないし、部
外者なのに無責任に批判するのは、ちょっとなーと思ったからかも
しれません。 

でも、なんだかんだといって、日本も多様化してきています。 
必ずしも企業=会社が中心の考え方をする人たちばかりでなく、 
自分の条件に合わなければ転職したり、辞めたりする人も増えてい
ます。 

離婚もそうですが、ここで、辞職や離婚がいいの悪いのという問題
ではないのです。多様化していく人間を、どのように受け止めるか
が問題なのです。ほんとうに周りの幸福を考えるなら、「形式」の
価値観で人を判断することなどはせず、現状況においてその「個人
」にとって何が一番幸福なことなのか、を考えることです。 

わたしは、日本企業的価値観の中では生きてこなかったので、そこ
から生まれる問題というのも実感できていないけれど、今自分が自
由なのも企業的価値観の大きかった日本があったからだと思うし、
むやみにそれが「悪い」とも言えないです。 

今になって、わたしが思うのは、「日本人ってこれだけ勤勉な民族
なのにどうして生活などはこのレベル?」ってことです。 

キリスト教に「隣人愛」があるのと同じように、日本人には「人情
」があります。よく、日本とヨーロッパは「文化が違う」と信じて
疑わない人がいるようですが、そんなことはありません。 
ためしに、ネットででも、外国人を探して、自分の恋人や妻・夫と
の間にある問題でも話してみてください、多くはそれを理解するで
しょう。 

ある人には企業は向いていず、ある人には一夫一婦制は向いていな
い、ある子どもには学校が向いていない、それだけのことです。 
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 柳太郎   2000/12/09 19:09 
   
 ジェンダーの話しをYSさんに持ちかけたのは私なので、私が発言し
ないのはあまりにも無責任でしょうから、ここではなぜジェンダー
を採り上げようとしたの以下の二点からお話しします。

まずは「ジェンダー」という概念に関して考察する機会を少しでも
持とうということ。得丸さんが「男女の性差があるということは当
たり前」といった趣旨のことを仰っていましたが、それが「当たり
前」と皆さんはお思いでしょう。でも本当に「当たり前」なのでし
ょうか?極端な話をしますと、女性の意識を持った男性や男性の意
識を持った女性は数多く存在し、そのことで悩み苦しんでいるわけ
です。ここにおいては性差とは単に体の構造の違いしか表さなくな
ります。

ジェンダー問題においては肉体的な性差だけではなくそのような精
神的な問題のウェイトが重視されているように思います。ですから
、ジェンダー問題は性差の問題ではなく「性差による社会的分業体
制」の問題であるわけです。今後、Gayのジェンダーというものも出
てくることになるでしょう。要は、あいつは「男だから」、「女だ
から」、「Gayだから」といった社会構造的な暴力を考える場である
とも言えると思います。 

とはいってもやはりジェンダーとは「ある社会構造の中での男女の
在りかた」を考えることが重要であるのは間違いありません。そし
て現在、ジェンダーの認識が「開発」という名を借りながら第3世界
にも広まってゆく動きがあります。つまりは、国際関係においては
ジェンダー問題が主要な位置をしめているわけです。ここでの問題
は、そもそもフェミニズムやジェンダーという概念はヨーロッパで
生まれたもので、現在行われているのは、「欧米型ジェンダー」が
世界に輸出されつつあるということです。日本でも相変わらずそれ
をそのまま受け入れる動きが見受けられます。しかし、本当にそれ
で良いのか?これがこの問題を採り上げた第2の理由です。日本とい
う社会構造の中で何を変え何を残すかがジェンダー問題を議論する
にあたり重要になります。 

さて、YSさんも書かれていますが、この議論に答えを求めてはいま
せん。なぜなら「唯一の答え」と呼べるものがないからです。なぜ
答えがないのか?社会構造は常に変化しているからです。ここでの
問題なのは社会構造の変化と人の間に大きな溝ができているという
ことです。それは縮めなければなりません。社会の変化のスピード
を緩めるのと同時に人の認識の変革も必要でしょう。ですから、最
低でも今までジェンダー問題には全く気を配らなかった人がほんの
少しでも意識してくれればいいな程度にしか思ってはいません。 

残念なのはジェンダーをフェミニズムと混同したり、「性差」だけ
の問題と考えておられる方が多いようだということです。私はそう
ではないと何回か言ったつもりですが、不十分だったようです。 

得丸さんは議論なんて要らないと仰った。ではそれ無しでどうやっ
て多くの人と一緒に歩むことができるようになるのか。「どうやっ
てコンセンサスを得ることができるようになるのか?」「差別は議
論無しで解決されるのだろうか?」「隣のおじさんが一日30分キャ
ッチボールをしてくれればその子は本当に幸せなのだろうか?」
「確かに行動は必要だが、行動で訴えるだけでは全く関心のない人
はなかなか動かないのではないか?」私はこう思います。コンセン
サスを得なくても、その反動として「ジェンダーという概念なんて
必要ない」という人たちが現れるのもいい。そこから行動が生まれ
る可能性があるわけですから。議論と行動は共に付いてまわるもの
なのではないのですか?唯一必要のない議論は「鶏か卵か」的な内
容でしょう。 

今回の議論を見て「あの人たちは、要するに、性行為において「自
分さえイケればいい」と思っているタイプでしょ。」と仰った方が
いる。さてこの女性はどのように行動しているのでしょうか?(こ
れ以上続けようと思ったのですが、あまりにも低レヴェルなのでや
めておきます。)「男だったら、女性が気持ちよくなるように配慮
と行動しなくちゃ、ジェンダーに付属する任務を果たしたことにな
らないよね。」と得丸さんは仰る。「男だったら」って一体何です
か?誰の価値観なのでしょう?このような感覚に縛り付けられてい
る限り、その人にはジェンダーを議論する価値を見出すのは難しい
と思います。人間は常に自分の価値観に縛り付けられていると思い
ますが、ジェンダー問題を考えるとはその紐を解く努力をすること
ではないかと思います。 

結局、異議があるのならそれを述べるべきです。それに賛同する者
も現れるでしょう。それが行動につながるのでしょうし、それ自体
が行動であると考えます。そしてこの点において私とYSさんは「
行動した」と(私は)考えています。 

「女は恐い」と得丸さんは仰る。確かに恐いですね。 


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