370−3.「君子は本を務む」ということについて



文化や文明についての議論を提示している責任もありますので、私
の考えていることについてこの機会に申し上げておきたいと思いま
す。

1  主体論の必要性
「国際戦略コラム」という名前にふさわしい記事の内容をというこ
とですが、私は主体論抜きの世界観・世界戦略は無意味であり、危
険であると思っています。

主体とは、要するに「おまえは何者か」という問いに答えられるかという
問題です。

きれいごとを言っていても、やましいことをしている人間、景気のいいこ
とを口に出していても行動の伴わない人間(いわゆる評論家タイプの
人間)、日本文化のすばらしさを強調しながらも自分では何ひとつとし
てそのような文化を身につけていない人間、、、、、

そのような人間は、国際戦略を語る前に、まず自分を省みて、国際戦略
を語るに足る人間になるよう努めるべきではないでしょうか。

「君子は本を務む」という言葉がたしか「孟子」にあったと思いますが、
まずは主体を確立するところから、国際問題にとりくむのが一番効率の
いい方法ではないかと思っています。

そうでないと、百万言を費やしても、まったく無意味・無用になりかねま
せん。

また、このコラムにおける国際戦略とは、謀略や陰謀や策略によって世
界を植民地化したり従属させることが目的ではないと思います。

そうではなくて、同じ人間として、できるだけ平和な社会、人々が文化的
である世界を構築するためのものだと私は了解しています。


2 文化と文明と国際戦略

文化と文明を論じる意味は、人間のどこが変わりうるのか、どこは変わ
らないのか、人間と環境の相互関係、文化の違いとは何か、文明は
衝突するのかしないのか、といった問題と直結しています。

人間はハードウエア的には一種類です。肌の色が違っていても、交わ
れば子供が生まれるということは、種としてはひとつと考えていいのでは
ないでしょうか。

その人間が、住んでいる場所(国)や話している言葉や信じている神の
違いによって、争いをしたり、交易したりします。どうすればより平和で、
調和ある世界となるのか、どうすれば生態系をこれ以上傷めることなく
生活を続けられるのか、などの問題も文化・文明的な視点から解法を
求めることも可能なのではないでしょうか。

得丸久文(思想家)


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