とくだまこと(大学生)です。 得丸さん(NO.359ー1)への応答です。 >日本に宗教対立があるか、ないか、議論してみると面白いと思い >ます。 >そもそも日本人を宗教の違いによって、仲間分けできるかという >ことも議論する価値があるでしょう。 > >たとえば、宗教の違いによって結婚できなかったり、けんかがお >きたり、しているかどうか。宗教の違いによって、着衣や髪型が >違っているかどうか。食べるものが違っているか、住む地域が違 >っているか、、、、 確かに現在、このような意味での「対立」はほとんど無いと言える でしょう。しかし、先の大戦中に起こった宗教弾圧のような事態を 危惧しているのです。 確かに久保教授の仰る通り、神道は市民宗教(civic religion) の 地位にあり、日本の精神的な核となっていることは事実です。また キリスト教などのロゴス的な一神教(厳密には唯一神教)を中心と した、告白宗教(confessional religion) との違いも明白です。 1882年の布告によって、神道は教派神道と神社神道とに分かれまし たが、後者は祭祀のみを行う国家儀礼であり、宗教ではないとされ ました。この日本的な政教分離(?)によっていわゆる国家神道は生 まれたものと考えます。それゆえ「強者」である国家は、自分の宗 教を押し付けないよう、細心の注意を持って「異質」な少数者であ る他宗教を扱わねばならないでしょう。信教の自由と政教分離が民 主主義の試金石と言われるゆえんです。 >日本の宗教地盤の特徴として、キリスト教人口が1%から増えない >ということもあります。どうしてそうなのか、考えてみる価値はあ >るのではないでしょうか。 これは日本のキリスト教にとって大きな問題であり、議論されてい ます。要因のひとつにはやはり、神道的な日本の宗教・文化基盤の 問題があります。 >「神学」という学問は、論理(言葉、概念)でしかない一神教の神 >の存在をめぐる学問であり、日本の神道の場合は神学そのものが存 >在していないわけです。 この神学の定義は少しピントが外れていると思います。基本的に、 神の存在を議論するのは形而上学であり、神学は神を既に認めてい る人が「啓示」に基づき、さらに深くその視点に立って世界の諸領 域を考えていくものです。 神道も、平田篤胤の復古神道などは体系立てています。キリスト教 教理を利用したようですが。 >私はよくヨーロッパ人に、あなた方は一神教のデカルト主義者だが、 >我々日本人は違う。日本人は神(一神教の神)を信じないし、けっ >してデカルト的な論理を信じない、といいます。 私が一番問題だと考えるのは、「レッテル貼り」です。ヨーロッパ 人全てが一神教的な考えをするわけではなく、日本人の中にも神道 に含まれることを嫌う人もいます。 「デカルト主義者」をどのような意味で用いているのか分かりませ んので、もう少しはっきり定義をお願いします。。確かに、デカル トからカントを経た二元論的な認識論は、現代神学にも大きな影響 を与えていると考えますが。