368−2.神学の重要性



とくだまこと(大学生)です。
得丸さん(NO.359ー1)への応答です。

>日本に宗教対立があるか、ないか、議論してみると面白いと思い
>ます。
>そもそも日本人を宗教の違いによって、仲間分けできるかという
>ことも議論する価値があるでしょう。
>
>たとえば、宗教の違いによって結婚できなかったり、けんかがお
>きたり、しているかどうか。宗教の違いによって、着衣や髪型が
>違っているかどうか。食べるものが違っているか、住む地域が違
>っているか、、、、

確かに現在、このような意味での「対立」はほとんど無いと言える
でしょう。しかし、先の大戦中に起こった宗教弾圧のような事態を
危惧しているのです。

確かに久保教授の仰る通り、神道は市民宗教(civic religion) の
地位にあり、日本の精神的な核となっていることは事実です。また
キリスト教などのロゴス的な一神教(厳密には唯一神教)を中心と
した、告白宗教(confessional religion) との違いも明白です。

1882年の布告によって、神道は教派神道と神社神道とに分かれまし
たが、後者は祭祀のみを行う国家儀礼であり、宗教ではないとされ
ました。この日本的な政教分離(?)によっていわゆる国家神道は生
まれたものと考えます。それゆえ「強者」である国家は、自分の宗
教を押し付けないよう、細心の注意を持って「異質」な少数者であ
る他宗教を扱わねばならないでしょう。信教の自由と政教分離が民
主主義の試金石と言われるゆえんです。

>日本の宗教地盤の特徴として、キリスト教人口が1%から増えない
>ということもあります。どうしてそうなのか、考えてみる価値はあ
>るのではないでしょうか。

これは日本のキリスト教にとって大きな問題であり、議論されてい
ます。要因のひとつにはやはり、神道的な日本の宗教・文化基盤の
問題があります。

>「神学」という学問は、論理(言葉、概念)でしかない一神教の神
>の存在をめぐる学問であり、日本の神道の場合は神学そのものが存
>在していないわけです。

この神学の定義は少しピントが外れていると思います。基本的に、
神の存在を議論するのは形而上学であり、神学は神を既に認めてい
る人が「啓示」に基づき、さらに深くその視点に立って世界の諸領
域を考えていくものです。

神道も、平田篤胤の復古神道などは体系立てています。キリスト教
教理を利用したようですが。

>私はよくヨーロッパ人に、あなた方は一神教のデカルト主義者だが、
>我々日本人は違う。日本人は神(一神教の神)を信じないし、けっ
>してデカルト的な論理を信じない、といいます。

私が一番問題だと考えるのは、「レッテル貼り」です。ヨーロッパ
人全てが一神教的な考えをするわけではなく、日本人の中にも神道
に含まれることを嫌う人もいます。

「デカルト主義者」をどのような意味で用いているのか分かりませ
んので、もう少しはっきり定義をお願いします。。確かに、デカル
トからカントを経た二元論的な認識論は、現代神学にも大きな影響
を与えていると考えますが。 

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