365−2.ロジカルな議論について



国際戦略コラムno.358-1ロジカルな議論について」
に対して補足が必要ではないか?と思い以下の文を投稿してみまし
た。

欧州的議論に対し、
第一に、論理学的素養は不可欠であると思われます。
基本的な概念として、「演繹(deduction)」と「帰納(induction
)」があります。これらの用語の意味を理解なしには、彼ら(欧州
的思考)のフィールドで議論ことは不幸なことです。
なぜならば、そのような思考のない人の理論構成に対して、彼らは
理解を示しませんし、そのような思考ない人にとって彼らを理解す
ることは非常に難しい。

この二つのキーワードは近代科学(つまり欧州的科学)にとって、
非常に重要です。
科学技術にドップリ依存している、今の社会(世界)では不可欠で
あるのかもしれません。

数学は言わずと知れた「演繹」のオバケですし、物理はその数学を
基礎として成り立つ「演繹」+「帰納」のオバケです。それらに基
礎とする理工系学問も言わずと知れています。

以下で、「演繹」および「帰納」について説明をします。

「演繹」とは、「明らかに正しい事柄を、別の言葉で言いかえる」
ということです。
多くの日本人の方は、この概念に着いて行けません。
もし着いて行けるのならば、西洋哲学を存外容易に理解可能なので
はないでしょうか?

「帰納」とは、「経験的情報からの推測」です。
逆に、多くの日本人にとって、この概念は得意なように思われます。
しかし、「経験的情報からの推測」という操作の後に、「その推測
した事柄を真である」と仮定するわけですが、その後に、その仮定
に対し「演繹」的思考が必要になる場合が多くあります。

次に、簡単な例で、以上のことを示します。

演繹)
正しい事柄:恒星は光を放つ
演繹的結論:太陽は光を放つ

帰納)
経験(観測):10歳の日本人A君は、小学校に通う、10歳の日本
人B君は、小学校に通う帰納的結論(推測):10歳の日本人は、
小学校に通う

帰納から演繹へ)
仮定:10歳の日本人は、小学校に通う
仮定に基づく演繹的結論:10歳の日本人C君は、小学校に通う

このような議論運びは、現実には以上のように線形的議論ではなく
、多次元的なものです。
つまり、もっと理解するのが厄介になります。

実際、演繹的概念を持っていない人に対し、演繹的説明は非常に
大変です。よく、「園児でも理解できるような説明をしなくてはい
けない」と言われます。
逆に、その概念を持っている人にとっては、単に当たり前のことの
言い換えである「演繹」に対し、議論の途中であっても、その結果
を想像することが出来ますし、違った新たな結果を創造することも
あります。
「数学」で言い直して言うと、ある定理の証明の一部を見ただけで
、その証明を理解でき、さらに、新たな定理(予想)を発見するこ
とが出来る、ということになります。

さらに、矛盾という概念も、演繹から導かれますので、演繹的概念
なくして、ある議論の矛盾をつくということは、非常に困難を極め
ると思われます。

以上でこの議論を閉めたいと思います。

TAKAHASHI

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