国際戦略コラムno.358-1ロジカルな議論について」 に対して補足が必要ではないか?と思い以下の文を投稿してみまし た。 欧州的議論に対し、 第一に、論理学的素養は不可欠であると思われます。 基本的な概念として、「演繹(deduction)」と「帰納(induction )」があります。これらの用語の意味を理解なしには、彼ら(欧州 的思考)のフィールドで議論ことは不幸なことです。 なぜならば、そのような思考のない人の理論構成に対して、彼らは 理解を示しませんし、そのような思考ない人にとって彼らを理解す ることは非常に難しい。 この二つのキーワードは近代科学(つまり欧州的科学)にとって、 非常に重要です。 科学技術にドップリ依存している、今の社会(世界)では不可欠で あるのかもしれません。 数学は言わずと知れた「演繹」のオバケですし、物理はその数学を 基礎として成り立つ「演繹」+「帰納」のオバケです。それらに基 礎とする理工系学問も言わずと知れています。 以下で、「演繹」および「帰納」について説明をします。 「演繹」とは、「明らかに正しい事柄を、別の言葉で言いかえる」 ということです。 多くの日本人の方は、この概念に着いて行けません。 もし着いて行けるのならば、西洋哲学を存外容易に理解可能なので はないでしょうか? 「帰納」とは、「経験的情報からの推測」です。 逆に、多くの日本人にとって、この概念は得意なように思われます。 しかし、「経験的情報からの推測」という操作の後に、「その推測 した事柄を真である」と仮定するわけですが、その後に、その仮定 に対し「演繹」的思考が必要になる場合が多くあります。 次に、簡単な例で、以上のことを示します。 演繹) 正しい事柄:恒星は光を放つ 演繹的結論:太陽は光を放つ 帰納) 経験(観測):10歳の日本人A君は、小学校に通う、10歳の日本 人B君は、小学校に通う帰納的結論(推測):10歳の日本人は、 小学校に通う 帰納から演繹へ) 仮定:10歳の日本人は、小学校に通う 仮定に基づく演繹的結論:10歳の日本人C君は、小学校に通う このような議論運びは、現実には以上のように線形的議論ではなく 、多次元的なものです。 つまり、もっと理解するのが厄介になります。 実際、演繹的概念を持っていない人に対し、演繹的説明は非常に 大変です。よく、「園児でも理解できるような説明をしなくてはい けない」と言われます。 逆に、その概念を持っている人にとっては、単に当たり前のことの 言い換えである「演繹」に対し、議論の途中であっても、その結果 を想像することが出来ますし、違った新たな結果を創造することも あります。 「数学」で言い直して言うと、ある定理の証明の一部を見ただけで 、その証明を理解でき、さらに、新たな定理(予想)を発見するこ とが出来る、ということになります。 さらに、矛盾という概念も、演繹から導かれますので、演繹的概念 なくして、ある議論の矛盾をつくということは、非常に困難を極め ると思われます。 以上でこの議論を閉めたいと思います。 TAKAHASHI