359−2.英米日の政治原則



                鈴鹿国際大学教授 久保憲一

1.英米の政治原則
 @「責任政治」
  イギリスでは、まず『行政権の行使について、内閣が議会に対し
連帯して責任を負う』  また『大臣は両院いずれかの議員でなけれ
ばならない』時に議会外の人物が大臣に任命されることもあるが、
その場合は直ぐ補欠選挙に打って出、庶民院の議席を持つか、また
は貴族院議員となるか、兎に角閣僚は議員であらねばならない。

  また『首相の他の閣僚に対する関係が平等者中の最初の者であり
、両者が平等の地位にある』。首相はあくまで調整的大臣、監督的
大臣に過ぎない。そこで特筆すべきは『閣僚の罷免を国王に助言す
る』首相権限である。
首相は閣僚罷免を自由にできない。つまり首相と閣僚の関係が平等
の地位にあることを示唆している。イギリスの長い政治史に照らし
ても閣僚罷免は極めて少ない。もし厄介な閣僚がいる場合、首相は
その閣僚を辞任に追い込むか更迭という方法に頼る。ただその際、
首相は閣僚の体面を傷つけず、世間の理解を得るよう腐心する。
 また『政府が議会においてもし敗北すれば首相は辞任するか、ま
たは議会解散を求めねばならない』という了解もある。

  しかし、現実には、この国では、首相と他の閣僚の関係が「平等
」であるにもかかわらず、実際には独裁的な力を揮う首相がしばし
ば現れる。マクミランは閣僚20名中7 名を突然解任し、サッチャー
も「内閣政治」を「首相政治」に変えたと言う程、閣僚の意見を無
視、内閣を牛耳った。彼女は意に反する閣僚を次々追放し、ダウニ
ング10番街は首相官邸というより「宮廷」であったと言われる。

A「牽制と均衡政治」
  アメリカでは、たとえ大統領が全国的かつ国際的視野を持ってい
ても、地方利益と特殊利益を反映する連邦議会の激しい抵抗に遭い
、しばしば彼は悩まされる。彼は選挙時に全国民に約束した全国的
・長期的視野の政策をほとんど実行できない。古くは、セオドア・
ルーズベルトの国際連盟へのアメリカ加盟失敗。ケネディの不毛な
国内政策。1996年のクリントンの大幅な連邦予算執行遅延。この国
では責任政治や行政は極めて困難である。

  その理由は、この国の厳格な「権力の分離(separation of powers)
」にある。これは特に三権分離主義や連邦主義として現れる。事実
、連邦議会議員と大統領とは、国民によって別個に選挙され、一方
が他に依存することがない。大統領は自分の行動の責任を連邦議
会には負わず、彼を選んだ人々に負うだけである。連邦最高裁判所
判事も元老院の助言と同意によって大統領に任命されるので、両者
の相牽制する真ん中に立ち、終身官のため独立を保てる。
  もちろん大統領や閣僚は議員を兼ねられないし、求められた場合
以外、連邦議会に出席できない。

 また内閣は大統領の慣習的な諮問機関に過ぎない。閣僚たちは大
統領に個人的責任を負うのみで彼らは「主従関係」にある。閣僚は
連邦議会に責任を負わない。内閣や閣僚の意見を重視するかしない
かは大統領の自由である。
  また大統領はいかに誤った政策を行おうと、弾劾以外、4年の任
期を保障される。

  しかし、三権が互いに全く交渉しないわけではない。独立を保ち
つつ均衡を保持し、相互に牽制している。例えば、・連邦議会を通
過した法律案は大統領の拒否を受け、・連邦議会は、連邦最高裁判
所の上訴管轄権を支配し、連邦最高裁判所も連邦議会の決議に無効
を宣し得る。・連邦議会は全ての行政官吏や裁判官に対して弾劾権
を持ち、また予算の議決権を通じて政府の死活を事実上握っている
。・大統領によって締結される条約は、元老院の3分の2の批准を
得なければならない。

・大統領の高官任命は、元老院の承認を受けねばならない。・裁判
所は、連邦議会と大統領がある法律案を承認し、法律となった場合
でも、その法律が憲法を侵していれば「違憲」として無効にしうる。
  要するに、この国の政治原則は『牽制と均衡(checks and balances
) 』であり、アメリカ政治や社会の端々まで行き渡っている。ジ
ョン・アダムス(1814年)も語った。

   われわれの憲法より複雑な均衡〔装置〕を持った憲法がこれま
 であったであろうか。まず第1に、18の州といくらかの準州が
 全国政府と均衡し・。第2に、代議院が元老院に対し均衡をとっ
 ている。
  第3に、行政府がある程度立法府に均衡をとっている。第4に、
 司法府が代議院と元老院、行政府や州政府と均衡している。第5
 に、すべての官職やあらゆる条約について元老院が大統領に対し
 均衡をとっている・。第6に、国民は2年毎の・選挙において、
 自分達の代表者に対する均衡を掌中に握る。第7に、いくつかの
 立法府は6年毎の選挙において連邦元老院に対して均衡をとって
 いる。第8に、大統領の選出にあたっては、選挙人が国民に対し
 て均衡をとっている。ここに複雑な均衡の洗練があり、私の記憶
 する限り、これは我々自身の発明であり、我々固有のものである。

「牽制と均衡」の原則が社会の端々まで行き渡った最大の理由は、
やはり多民族が新しい土地に同居する特殊事情にもよる。そしてこ
れは実に巧妙な政治的工夫である。
 付言すると、この国では「政党政治」は行われない。政党はあく
まで「公職追求」のもので、大統領を選び、連邦政府や議会内等の
役職を得るためののみある。事実、議会内政党もほとんど政策中心
に結合しない。「与党」「野党」もない。全国党本部もなく( 全国
選挙対策本部はあるが)党首もいない。また大統領の属する政党が
連邦議会において多数者とは限らない。むしろクリントン政権下の
ように、少数の場合が多い。

  ただ、実際にはアメリカでも「帝王的大統領」と言われる大統領
がしばしば現れる。何人かの大統領は、連邦議会の承認を経ず( 宣
戦布告なしに)多くの軍事紛争に合衆国を巻き込んだ。この国では
、憲法解釈権は連邦裁判所に与えられているが、大統領も時々解釈
する。積極的な大統領は、合衆国憲法第2条の大統領権限を最大限
に拡張解釈する。フランクリン・ルーズベルトは「われわれの憲法
は簡潔かつ実際的であり、よってそれは本来の形を損なうことなく
、条文の強調やその組合せを変えることで、尋常でない必要に常に
対応できる」と述べ、できない事ではなく可能なことを報告せよと
法律顧問に命じた。

2 .「和の政治」の日本
  @「和の政治」
  わが国ではアングロ・サンソンの政治原理「多数決の原理=多数
こそ正義という観念」は『和』を乱すとみられ、必ずしも最善策と
ではない。これは、世間のあらゆる種の会合にも見受けられる現象
である。

  理論を最後まで通さない。日本社会では「論理的一貫性や整合性
」は二の次。「和」が最重要である。論敵を最後まで追い詰めず、
必ず逃げ道を用意する。論争に止めも刺さない。「しこり= 遺恨」
を残さない。日本社会に議論は馴染まない。議論は「世間知らずの
青臭い理屈」と概して敬遠され「以心伝心」を重視する。懇親会や
酒席では政治・宗教の話題は意識的に避ける。「和」を尊ぶのであ
る。指導者には「世話役」「まとめ役」が期待される。決して論客
ではない。政治家の資質には政策立案より「根回し」「気配り」「
調整力」が求められ、弁舌や理論より「親分肌」「面倒見」「包容
力」を重視する。

  Aわが国の首相
  わが国では、首相は、その権限や地位の使い方によってはイギリ
ス首相やアメリカ大統領よりも強力な指導力を発揮しうる。にもか
かわらず現実にはそうではない。確かに吉田茂や佐藤栄作のように
、任免権を利用し、指導力を比較的有した首相もいる。しかし彼ら
とて閣内や党内意見を無視しえなかった。むしろ首相として成功す
るには閣内や党内意見を充分配慮、調整し、纏める必要がある。特
に近年の内閣を見ると、真の実力者は背後に隠れ、誰が一体首相な
のか判らない場合が多い。概して日本の首相は「神輿に乗る人」で
ある。

 わが国の内閣には「閣議一体の原則」がある。閣議は全会一致で
なければならない。それにはどうしても「合意」「協調」「調和」
が必要となる。事実、歴代首相は内閣の「和」の保持に腐心した。
福田赳夫は「協調と連帯」「コンセンサス・ポリティクス」、大平
正芳は「信頼と合意の政治」「和の政治」という言葉を頻繁に使い
、鈴木善幸も政治指針に「和」を掲げた。羽田孜も所信表明に「改
革と協調」を挙げ、あの社会党(現在、社民党に党名変更)の村山
富市でさえ「和」を好んで使った。現首相の橋本龍太郎も、平成九
年正月の伊勢神宮参拝では「和」と、九月の中国・瀋陽訪問でも、
ずばり「以和為貴」と揮毫した。その意味で、日本の首相は程度の
差こそあれどの首相も「調整型」政治家である。しかし彼らも決し
て理念・政策を持っていないわけではない。ただ日本の政治風土で
は、欧米のように個人的理念や政策を強力に推進できない。事実、
首相になった途端、自分の理念や政策が吹き飛び、殆どの首相は閣
内、党内調整に汲々としてしまう。日本の政治は「合意(= 談合) 
」政治である。

 ただ戦後の何人かの首相はアメリカの大統領に憧れを示している
。「臨調型政治」「諮問政治」と言われる「アメリカ大統領型政治
」『ブレーン政治』を目指した中曾根康弘。
しかし在任当時、彼は「内閣・国会の軽視」「独裁的」と非常に批
難された。細川護熙も表面上「アメリカ大統領」スタイルを好んだ
。しかし両者共小派閥選出の首相として閣内、党内調整に特に苦慮
せざるをえなかった。特筆すべき政治家に新進党党首、小沢一郎が
いる。彼もまた「アメリカニスト」である。しかし彼の政策よりも
彼の手法に非難が浴びせられている。要するに、わが国の首相はあ
くまで党内事情によって生まれ、欧米のごとき強力な「政策遂行型
」指導者より「調整型」政治家が好まれている。

  ところで、以前、「総理・総裁分離論」を唱えた政治家がいた。
議院内閣制原則を全く無視したこの無責任極まる主張はさすがに支
持されなかったが、政策論議を棚上げし、派閥闘争を避けようとす
る最も日本的発想に基づくものであった。

Bわが国の国会
  日本では、国会も英米とは異なる様相を呈す。欧米人にはわが国
の国会ほど理解しにくい機関はあるまい。彼らには全く非合理な議
事進行である。
  イギリス議会では最前列に幹部議員が座り、彼らが中心となって
論戦を展開する。与野党の党首論戦はさながら武道大会、大将戦の
ようである。その熱気たるや凄まじい。日本はその逆。与野党一年
生や陣笠議員が最前部に座り、最後部には幹部議員が座って沈黙し
続け、居眠りしている者もいる。ところが実際には彼らの意志が政
治を左右する。
  まず通常国会は、首相や閣僚の施政方針、所信表明演説、各党代
表質問、予算委員会における各党代表総括質問そして一般質問と、
三段階審議で行われる。しかし代表、総括、一般質問を通じ、野党
の質問の内容は極めて偏り、繰り返しも多い。採決における「堂々
めぐり」も欧米人には到底理解できない現象であろう。

  予算委員会でも予算にはほとんど全く触れない。質問者と大臣の
一問一答では質問の度に大臣は答弁席に立つ。審議内容も時間の割
に内容がない。審議内容よりも議事運営手続でしばしば紛糾する。
野党の審議拒否や引き延ばしも頻繁に生じ、審議拒否、強行採決、
会期延長は何ら珍しくない。
  また現行憲法の随所に国会多数決が述べられている。しかしわが
国の国会では多数決原理が必ずしも常に有効に機能するとは限らな
い。「多数者こそ正義」と考える欧米人にすればこれは全く奇怪な
現象であろう。

  事実、議会の国際比較をすると、日本の国会は、議院内閣制であ
り、また自民党一党優位体制ならば、政府提出法案は無修正で、も
っと高い成立率でよいはずであった。ところが実際には、野党の主
張を大幅に採り入れ、修正も頻繁に行われた。主張が採用されない
と見るや、一転して野党は「審議拒否」「牛歩戦術」の戦術をとっ
た。国会決議は多数決原理ではなく、あたかも満場一致原則でなけ
ればならないような様相を呈した。自民党政府はこれを「少数党の
暴力」と評した。

  わが国の国会では審議結果が必ずしもそのまま政策に反映すると
は言えない。この点イギリスやアメリカ議会とは大いに異なる。と
りわけ、イギリスでは議員の質問の出来、不出来が、その後の彼の
党内における将来を左右すると言われる。チャーチルやサッチャー
は、党内抜擢を獲得した例である。わが国ではこのような事はまず
ない。ただ質問が与野党の取引き材料になるとは聞く。要するに、
わが国の国会は、実質的審議討論の場ではなく、法案作成は行政官
僚が専ら担当する。

  討論形式も全く野党に有利である。政府はあくまで受け身で、選
挙運動紛いの野党攻撃に一方的に晒される。イギリス議会のごとき
丁々発止の議論はない。答弁に窮した大臣が「これは重要な質問で
すから政府委員が代わってお答えします」という笑えない場面もテ
レビ中継ではしばしば目撃する。
 ただ、こうした一見非迅速、非能率な討論形式も野党・少数党の
「ガス抜き( 不満解消) 」として見ると納得しうる。そして、ガス
抜きが行われ、国会審議の成り行きを見るすなわち「場の空気」を
察知して「落としどころ( 妥協) 」をつくる。かくて「足して二で
割る」結果が生まれる。
  ところで、近年、選挙公約を全く無視する政党連携をし、連立政
府を生んだ。55年体制下では予想しなかったことである。以来、全
くと言ってよいほど政策論議はない。存在するとしても、それは政
治的ジェスチャーと見るのが賢明であろう。

           水廼舎 こと 久保憲一


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