348−3.文化と文明について



得丸です。
対談調は思ったよりうまくいっているように思うんだけど、どうで
すか。少し理解しやすくなりましたか。

キーボードの上の手のひらの下に、読者の手のひらが存在するとイ
メージしながら、タイプする。それだけでも少しは違うかな。
これからお話しするのは、昨日立山止観の会の始まる前に、和泉回
心殿と私が行った文化と文明についてのフリートークをもとにした
対話。やはりオフで顔突き合わせて、黒板も使いながら話をしたほ
うが、理解は早いですね。

お互いに同じことを考えていても微妙な表現の違いで、それがわか
らずにいたということもありました。大分誤解が解けました。
いつもいつも男が女に教えるシチュエーションばかりではよくない
ので、今回は男性が女性に教えてもらうという設定。これで少しは
Politically Correctになったでしょうか。(ちなみに和泉回心殿は
男性ですが)
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仕事帰りの恋人たちは自由が丘のSOS金魚というバーで落ち合う。こ
こは駅から4、5分歩いたところにある古びた雑居ビルのロフトに
あるバー。

男は街を数時間放浪して、自分の嗅覚でこの店を発見したのだった
。はじめて訪れたときになつかしいと感じさせる店。ここには誰か
の家の居間のような居心地よさがあり、二人がときどき心を休める
空間にしている店である。
(本物の店は2000年9月に閉店してしまった。残念無念。バーテンの
太郎ちゃんごくろうさまでした、ながらくお世話になりました。)
カウンターに並んで座っている二人は、先週までウィーンにいたあ
の二人だ。

1 文化とは
男「国際戦略コラムで、文化と文明について何度も議論が行われて
いるけど、僕にはちっともわからない。
 たいていの本には、文化と文明は同じだと書いてあるのに、どう
してそれを分けて定義する必要があるのだろうか。

 文化は個々の人間の意識(心)、文明は環境、システム、時空間
などと説明されても、どうにもピンと来ない。言葉遊びをしている
のだろうか。そのように議論する必要性というものが、さっぱりわ
からない。」

女「文化も、文明も、いろいろな人がいろいろな場面で違った意味
で使っているから、概念の中味が混乱しているのよ。私たちひとり
ひとりが自らの意識の上に持っている文化や文明という概念がそも
そも混乱しているから、議論の焦点が定まらないでフラフラしてし
まうの。

 おまけに、文化住宅や文化鍋、あるいは鯖の文化干しといった、
我々が身につけなければならない文化とは必ずしも関係のないもの
まで文化という名前を冠しているから、一層ややこしくなるのよ。
 だから、文化や文明を考えるときには、まず自分の頭の中を整理
してからではないと、議論が混乱するばかりだわ」

男「オーケー、じゃあちょっと整理してみよう。手伝ってくれる。
 文化とは、高尚なものかい、庶民的なものかい」
女「高尚か、庶民的かを問わないものだと思うわ。」
男「文化は、遺伝的なものかい、それとも後天的で生後に獲得する
ものかい」

女「言語活動にしても、創作活動にしても、礼儀作法にしても、何
ひとつとして遺伝的なものはない。文化は後天的だわ」
男「文化は、本能かい、それとも意識の作用かい」
女「ふふふ、あなたのその手をちょっとどけてくれない。そうやっ
て私の体をさわるのは本能的なことでしょうが、文化的とはいえな
いと思うわ。

 睡眠や、セックスや、食事といった本能そのものにもとづく行為
は文化とは呼べない。まったく無意識の衝動的な行為は、文化では
ない。
 たまに言葉や表現がほとばしり出ることはあるけれど、それも実
は無意識のうちに意識の働きを経たものだと思う。
 文化とは、意識の作用、意識活動だわ」

2 文化と文明
男「ことばはどうだい。ことばは文化かい」
女「ことばについては、少し整理して考えるといいと思う。いわゆ
る文化と文明の相互作用とよべる現象がここでは起きていると思う
から。
 個々の人間が言葉を覚えていく言語習得のプロセスは、つまり既
存の言語共同体の約束事を、個々人の意識の上に移植していくプロ
セスは、文化現象だと思う。
 また、個人が自分の意識の上にあるボキャブラリーを使って、他
人とコミュニケーションを取る行為も、文化行為だわ。

 でもね、言語共同体の存在そのもの、共通の語彙を保守運営して
いこうとする行為、たとえば国語審議会のようなものは文明的だと
思う。
 俳句における季語や季語辞典の存在も文明的だわ。文化は個人、
個人の意識、文明はシステム、社会、環境という分類は、事態をう
まく言い表わすことができるんじゃない」

男「言語活動は文化、言語体系は文明だと言うんだね。
 俳句のように、言葉と季節の結びつきを共通の決まりごとにして
、辞書まで作ってしまうというのは、文明的だというわけだ。」

女「文明は、体系。
 芭蕉や、利休や、あるいは孔子は、それぞれ俳諧、茶の湯、礼を
体系化した。
何百年にひとりの天才が、文明のシステムを構築する。
 私たち一般ピープルは、そのシステムの中で、自己を文化的に磨く」
男「法律や憲法、あるいは都市計画や建築というものは、人間が意
識の活動によって作るものである点では文化的なのだけど、いった
ん出来上がると、その社会を生きる人間、そこを訪れる人間に対し
て、共通の環境になってしまうから、文明的であるわけだ。」

女「文化の次元を探るのなら、法感覚や法意識といった言葉がある
わ。もう絶版になっているけど、中川剛さんが「日本人の法感覚」
(講談社現代新書)で、一生懸命に説明していたのは、日本の法体系
、とくに憲法は、日本人の法意識・法感覚と乖離しているというこ
とだったわね。
 つまり吉良家討ち入りは法的には許されないことなのに、日本人
はどうしても忠臣蔵が好きだということ。これは意識の上に起きる
現象であって、実存的なことだから、軽く考えてはいけないのよ」

男「養老天命反転地では、意識が生まれる、意識をつくりだせると
いうことだけど、あれも建築という文明的環境の中で個人の意識で
ある文化が作り出されるということだね」

女「あまり難しいことを考えないで、反転地に行くのがいいんじゃ
ありません。こんどごいっしょしましょうか。
 現代芸術や現代詩は、コンピュータでいうならばマシン語処理の
部分を問題にしているのだと思う。人間の意識にも、OSやマシン語
処理の部分があって、それは普段は気づかれていないけれど、、、、

 山本陽子の「はるかするするするながら III」や荒川修作の連作
「意味のメカニズム」や奈義の「太陽」、岐阜の「養老天命反転地」
には、私たちの意識の深層にはたらきかける何かがある」

3 文化コンバータ
男「必ず行くよ。養老天命反転地には前から一度行ってみたいと思
っていたんだ。
 ところで、僕たちは日本古来の意識についてあまり深く考えない
で、明治以来の西洋化を実現してきたのだね。」

女「そう。意識は日本的なままで、形式的な制度は西洋のものを入
れた。そのときにあまり深く考えなかったから、そんな途方もない
ことができたんだわ。まじめに考えたら、きっと分裂病になってた
に違いない。
 かつてカール・レービットが、日本社会のことを指して、一階が
和室、二階が洋室で、一階と二階をつなぐ階段のない家だといった
そうだけど、うまいたとえだわね。彼はきっとずいぶん悩んだのだ
と思うわ」

男「英語で話すときには、名前、名字の順に語順を逆にするという
実行上の決まりを作ったことなんかも、何も考えずに西洋システム
に適応するための、簡便なシステムだったわけだ。100ボルトで使う
電化製品を200ボルトで使うためのコンバーターみたいなものだね」

女「そうそう。あれはなかなかよくできた文化コンバータだと思うわ。
 日本人が名刺の表と裏で氏名の語順を入れ替えているなんて、漢
字の読めない人は絶対に気づかない。つまりあの英語のほうの名刺
を見せられた漢字の読めない人間は、日本人は西洋人と同様に名前
名字の順であると思い込むわけ。
 カメレオン的なのよ。中味はいっさい変わっていないのに、西洋
人の目には一見すると西洋的なシステムの国に見える」

男「日本人は親しい友人同士でも名字で呼び合うなんて聞いたら、
きっとびっくりするだろうね」
女「それこそ、カルチャーショックだと思うわ」

4 文明
男「文明について少し整理しておこうと思う。文明は、自然か人為か」
女「人為だわ」
男「文化が個人の意識の上に構築される一代かぎりのものだとする
と、文明はどうなる」
女「時空間を生きる環境、時空間に構築されたシステムとよべない
かしら」

5 コンピュータにたとえると、
男「ひとりひとりの人間の意識は、今僕たちがつかっているパソコ
ンのハードディスクみたいなもんだと考えられないか」
女「いいたとえだわ」
男「つまり、ハードディスクは最初はまったくからっぽなのだけど
、そこにマシン語を処理するソフトウエア、OS、そしてアプリケー
ション・ソフトウエアが、それぞれインストールされていく。」

女「私たちは、社会環境や家庭環境の中で、礼儀作法、言葉、料理
、農作物の手入れ、手芸、木工、そのたいろいろなことを覚えてい
く、教わっていく。
 ここのハードディスクにそれぞれのアプリケーションソフトをイ
ンストールする作業・過程を、文化獲得と呼べばいいわ」

男「じゃあ、お茶やお花の先生がいて教室があるということが文明
的なのだね。道場に行けば、合気道を教えてもらえるということが
文明的なのだね。
 学校や、ソフトウエアショップ、あるいは個人教授や家伝であっ
ても、そのような教育体系があることが文明だと考えればいいのだ
ろうか」

女「文化は個人、文明は社会環境、ということね」

6 文化と文明を考えなければならない理由
男「これでやっと概念の整理がついた。
 なんとなく文化と文明を考えなければならない理由がわかってき
たような気がする。
 少なくとも戦前の日本は、あるいは戦前に教育を受けた日本人は
、西洋化したといいながらも、意識形成の上ではまったく昔ながら
の日本的な意識形成を行っていた。
 だから和魂洋才のようなことができたんだ」

女「ところが、戦後教育の中で、武道やその他日本的なものが否定
されていった。都市開発や海の埋め立てといった現象の中で、自然
に親しむこともなくなった。私たちは、自分たちを日本人だと思っ
ているけれど、実はそれほど日本人ではないかもしれない、、、 
必要なアプリケーション、もしかするとマシン語処理やOSの次元で
も、足りないソフトウエアがあるかもしれない」

男「それにグローバル化やボーダーレス化といった現象が加わって
くるから、話がとんでもなく複雑になっているんだね」

女「そう。
 福田和也や西部邁ほか一部の人たちは、そのような時代に、民族
主義に回帰しようとしているけど、それは大変な時代錯誤であり、
間違いだと思う。
 ボーダーレスの時代に、民族主義のタコ壷に戻るなんて、道を誤
ること甚だしい」

男「君はときどききびしくなるね。福田和也だって、いちおう一生
懸命考えてああいったことを言っているんだと思うけど」
女「そんなことはどうでもいい。民族なんて、そもそも実在かどう
かもわからないものよ。この不確かな時代に、そんな怪しい概念に
染まったら危険このうえないわ」

男「じゃあ、どうすればいいのかい」
女「時代を見るの。ひたすら眺めるの。世界の動きを、人々の流れ
を。商品の流通や国際分業がどう行われているか、見るの。
 宮崎市定さんの交通交易史観は、こんなときにも役に立つと思うわ。
 鈴木大拙さんが「禅」で書いておられるように、智は愛を生む。
ひたすらあるがままの世界を見るの。そしてそこにうまれつつある
大きな矛盾や問題と自分を同一化していく。答えは自然に得られる
わ」

男「21世紀に、人類がはじめて地球規模で大量移動し、大量流通
が実現してしまった時代に、私たちは自分のハードディスクにどん
なソフトウエアをインストールすればいいのか。」
女「西洋的唯一絶対の神をもたない我々が、意識に常駐させる行動
基準としてふさわしいのは何か。
 自由・平等・博愛・人権・民主主義という、美しいが実体のない
、えてして人を惑わしてばかりの概念はいらないわ。

 世界は一時的に荒涼とするかもしれない。既存の文明システムが
行き詰まって、機能しなくなり、文化発展や文化継承に問題が生じ
てくる。
 そのような時代に、どういった文明を構築するのか、どんな文化
を身につけなければならないのか、それを考えなければならないの」

男「文化や文明を考えるということは、そのための準備作業なんだね」
 ふたりの心はいまやひとつになっている。
(2000.11.08 得丸久文)

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