[国際戦略コラム335−3読者の声]に、こんなのがありました、 干し柿仙人氏説 「日本の市民が自主的に運営し比較的自由に発言 をしている場所を私は、このコラムの他にしりません。得丸 氏にせよF氏にせよ、「議論することを訓練されていない日 本人」でしかないことをもう少し認識して頂きたく存じます。 ・・・」 F氏説 「議論を冷静にかつ論理的に説得ある議論の仕方を国民が 習得する必要が出ていると感じているところです。 今後も 、発言の通して、論理的な議論をお願いします。何事も訓練 です・・・。 ken→→ あわただしく世に出たインターネット上の議論の場には、 まだ整備されてない弱みがあるようだ。 特に目立つのは、「マナ ー」の確立が遅れていることだろう。相手が見えないこともあり、 つい言語はぞんざい、主張するときの形容詞は大げさになり易い。 40年前,ホノルルに住んでいたとき、道路でミス運転すると,後続 のポリネシア青年が窓越しに大声で「コラッ!」とわめく。「sorry, sorry」と言うと、手を挙げ,にっこり笑って「OK OK」と言いなが ら通り過ぎて行く。こんなのを「OK boy」というのだと教えられた。 そのころ日本ではクラクションの音を立てて先行車を非難しながら 走るのが、いわば楽しみでもあった。青年会議所が音頭取りで、 「ブーブー音をやめよう」の運動が起こり、瞬く間に街路は静かに なり、日本も世界の先進国入りした。 いまインターネットをやっている人たちも、根は好い人だろうが、 クラクションの音全盛時代の日本のごとく、なにかチョット事あれ ば一斉に非難のメールを送り届ける。新しいマナーを確立し、静か に通信し合う時代を招来させたい、とボクは思っている。 相手が目に見えぬ新手法としてのMM(ML?)経由議論には、ついゾン ザイな言葉になり易いという弱点のほかに、字数スペースが極端に 限られているため、はっしょって論を進めるという難点が存在し、 例外については言及せず、断定的口調で自分の主張を終わることに なり勝ちである。 すると相手側はその例外を取上げて反論のいとぐちにしたり、悪く いえば「揚げ足取り」にし兼ねない。debateの技術を習得したり 冷静になることは当然として、取りあえずは、断定的な口調や、 非難めいた言葉をチョットばかり穏やかな方へ変化させることが 必要ではなかろうか。特に、「国際戦略コラム」の方々にそれをお 勧めしたい。 なぜなら、純真なあまり、いわば「過激発言」が目立ちすぎる、 と思うのはボクだけでしょうか。 ============================== (Fのコメント) kennさんと同じ思いを持っています。過激な発言と自分の意見を 変えない。論理的におかしいと指摘されても、その意見を変更しな い。すると、何のための議論か分からないことになる。 感情的反応も多く、このコラムのいろいろな人からの意見と議論 ができないことになる。議論慣れしていない日本人が明確化してい る。最初に、自分のポジションを明確化する必要と、世の中での 常識としての意見は何かを明確化する必要がある。それに対して、 チャレンジャーとして、議論するのか、常識に新しいことを追加す るのかを明確化して議論を始めることが必要であろう。