343−2.和魂なき憲法論争、ウィーンの恋人たちは語り続け



得丸です。別に男女の会話にしなくてもいいような内容ですが、
対話調にしたほうが私の意見が読者を直撃しないので、ショックが
少ないかなとも思っています。
この恋人たちシリーズ、あまり不評でしたら、元に戻します。

 
秋色に輝くフンデルトバッサーハウス(ウィーンにあるフンデルト
バッサーが設計した、建物と植物とが一体化した市営住宅)のオープ
ンカフェに、日本人の女と男が仲むつまじく座っている。晩秋にし
ては暖かいある日の早い午後。テーブルの上でふたりの手はかたく
握られている。

1 憲法教からの脱皮を

女「私、最近日本国憲法の条文を何回か読んでみたの。基本的人権
が侵すことのできない永久の権利であり、人類普遍の原則である、
というところが一番大事だと思ったわ」
男「うーん」と、しばらく考えこむ。
女「どうかしたの、疲れるの、こんな話はお嫌い?」

男「いやそうじゃない。(嫌いじゃないんだ。だけど、日本国憲法
についていろいろと考えて来た結果もはや僕はそれをそう簡単に論
じることができなくなっているんだよ、と心の中でつぶやいて)
 とりあえず読んでみたのはえらいね。それに人権規定が日本国憲法
の中心であるという指摘は正しいと思う。でも、人権は本当に人類
普遍の原則なのだろうか。」

女「だってそう書いてあるし、みんなそう言っているじゃないの」
男「そこに書いてあればその通りとは言えないだろう。みんながそ
う言ったとしても、その通りかどうかの保証はない。結局そこにあ
るのは言葉だけだ。
  もし普遍的であるとすると、じゃあ人権(humanrights)という言葉
が生まれる前にどのような言葉がその代わりに存在したのか。西洋
で生まれた人権に対応する言葉は東洋にはあるだろうか。
  これを考えると、人権というものの普遍性もあやしく思えてこな
いかい。」

女「たとえ普遍的でなくても、その言葉を信じることはできるわ」
  女はややむきになって人権を弁護する。一瞬握っていた手をふり
のけようとするが、男の手がそれを阻止する。

男「そう、人権の問題は、つまるところそれを信じるか信じないか
の問題に帰着するのさ。まるで宗教だ。」
女「憲法が宗教でどこが悪いの」
男「悪いさ。宗教だったら、とりあえず信者や信徒だけに影響を及
ぼすものであり、それこそ個人の自由が尊重されている。

しかしいやしくも日本国憲法は、日本国という空間の中に住むすべ
ての人間に対して、それを信じていようといまいと、平等に影響を
及ぼすものだからね。これはシステムあるいは環境を構成するもの
であって、個人が自由に選択できるものではない。

つまり憲法は、宗教であってはいけないんだよ。宗教の場合は信じ
る者と信じない者がいてもいいけど、あくまでも憲法はそこに生き
ている人間全員に信任されていなくてはならない。そうでないと信
じていない人間の人権が侵されていることにならないかい」

広島大学で教えておられた故・中川剛さんが『憲法を読む』で書い
ておられるように、憲法は脱神話化・非宗教化しなければならない。
宗教ではなく、社会制度のひとつとして受け止められるべきだろう
ね」
日本の憲法教徒たちは、できることなら平和主義をご本尊にしたい
ところなのだろうが、これはどう見ても人類普遍の原則ではない。
だから人権規定がご本尊に祭りあげられるのだろう」

2 日本的な法思想をまったく無視した憲法たち

女「あなたって、男のくせによくしゃべるわね。私にはまだピンと
こない」
男「そもそも、僕たちは学校で、明治憲法は主権が天皇にあったし
人権規定が不十分だったからよくなくて、日本国憲法になってその
欠点が乗り越えられたかのように教わるよね。本当だろうか。

ふたつを比べてみると、実は大変よく似ていることに気付かされる。
最大の類似点は、どちらも日本古来の法思想や法感覚が一切反映さ
れていないということだ。日本国の基本法である憲法に、日本的な
法感覚や法思想が反映されていないということは、いったいどうい
うことだろうか。君はこれを疑問に思わないかい」

女「言われてみるとそんな気もするけれど、今までは考えたことも
なかったわ。日本が民主主義国として遅れているから、すべて輸入
したもので憲法を作るしかなかったということなの」

男「違うと思うね。たとえば徳川時代の日本が法治国家だったこと
は疑いない。内戦もなく実に安定した体制だった。
  にもかかわらず、どうして日本的な法意識や法感覚を核にして憲
法が作られなかったのか。

おそらく明治の日本が西欧から憲法を導入した最大の理由は、明治
維新のときに欧米から結ばされた不平等条約を改正するために、外
見だけでも西洋流の立憲体制にする必要があったからではないだろ
うか。鹿鳴館外交と同じ役割を果たすものとして、憲法や議会や政
党が導入されたと僕は考える」
女「どうしてそんなふうに思ったの。証拠はあるの」

3 憲政の常道

男「『憲政の常道』という言葉を知っているかい。明治末期から昭
和初期にかけて、元老たちが内閣組閣に大きな影響を与えた時代が
あったんだけど、そのときに『憲政の常道』という言葉が定義され
ることなく頻繁に使われるんだ。

この『憲政の常道』とは何かということを、大学時代からずっと疑
問に思っていたんだけど、イギリスに住んでいるときにある時ふと
、『これは、イギリスと同じように二大政党が交替で政権につくこ
とを言っていたんじゃないか』と思い至ったんだ。

日本ではよく『型から入れ』というよね。『憲政の常道』も政治理
念やルールといった中味を指し示す言葉ではなく、表面的な現象を
とらえた言葉だったのではないかと思ったんだ。

実際に初期の内閣は、伊藤博文と山県有朋が交替でやっている。
ふたりとも長州の吉田松陰門下で旧知の間柄だったわけだから、二
人の間に対立があったとは思えない。むしろここでの政権交替は
『英国と同じように日本は定期的に政権交替がある進んだ国だ』と
いう印象を外部に与えることをねらったパフォーマンスだったんじ
ゃないか。

4 和魂洋才、カメレオン国家

男「『和魂洋才』という言葉には、西洋の知識を日本の精神で使い
こなそうという意味のほかに、表面上は西洋風にして、内実は従来
のままでやればいいじゃないか、といった意味合いもあったのかも
しれないと思うよ。条約改正のためなら、それくらいの芝居はうつ
価値があった。」

1993年に、自民党の55年体制が崩壊したあとに、自社さ3党
連立の村山内閣が生まれたね。社会党の方針の大転換をすんなり行
い、スキャンダルもなく、円満に政局を運営した村山内閣は、実は
自社の国会対策委員会メンバーが中心になった内閣だった。もとも
と旧知の連中が集まったから、あんなにまとまりがよかったという
わけだ。

この国会対策委員会というのが曲者でね、55年体制下で国会をど
う紛糾させるか、どのような対立のシナリオとするか、といったこ
とは全て国会対策委員会によってお膳立てされていたんだ。大学の
「政治」の授業では、日本の議会政治はプロレスと同じようにヤラ
セだと習ったものさ」

女「じゃあ、自民党と社会党の対立は一体なんだったの。労働者と
資本家の対立ではなかったの」

男「違うね。いいかい、世界中探したって、管理職になるまでは組
合員で、管理職になると組合を出るなんて国は珍しいはずだよ。日
本より階級性の強いイギリスだったら、工場労働者で入社した人間
は一生工場労働者のままで出世なんかしない。

日本には階級がないから、ヒラは組合員、管理職は組合を抜けるな
どという実行上の制度を作って、擬似的に階級制度・階級対立をつ
くり複数の政党を実現させたんだ。

昭和15年に、それまであった政党をすべて合同させて大政翼賛会
にまとめてしまったけど、むしろそっちのほうが宗教対立や階級対
立のない日本社会の実情をよく反映しているといえる。国民集団の
中に社会的な分断がない国に、二大政党制を導入させようとするこ
とのほうが、かえっておかしいくらいだ。日本は本来複数政党が必
要でない国なんだ。

女「じゃあ、どうして55年体制が38年間も安定して続いたの」
男「米ソ冷戦がそれだけの期間続いたからだよ。」
女「アッ(絶句する)。55年体制の始まりと崩壊は、冷戦の開始
・終結時期とほぼ一致する」

男「その通り。自社対立は、アメリカやソ連から身を守るための擬
態、つまり米ソ冷戦を国内的に演じたということだ。アメリカがい
ろいろと要求してくると、『社会党がうるさくて、、、』と逃げる
ためにのみ社会党の存在は意味があった」

女「そんなこと誰も意識していなかったわ」

男「カメレオンだって、意識的に色を変えているわけではないよ。
たまたま保守合同と左右社会党の合同が同じ時期に起きてしまうと
、それが対外的に都合がいいということになって長らく安定してし
まったのじゃないかな。大切なことは国会対策委員会で話していた
から別に不都合はなかった」

現代の日本の政治状況や憲法論争で最大の問題は、和魂の部分が見
失われていること、一切議論されていないことだ。誰もそれに気付
いていないところが、一層問題だ。

私たちの意識の上に、果たして和魂は今も根付いているのだろうか。
それとも既に私たちはツルツルで透明な存在になってしまっており
、和魂を議論するためには、意識の上に和魂を最初からインストー
ルする必要があるのだろうか」
(2000.11.04, 得丸久文 作)

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