336−1.憲法・東京裁判・国連



国際戦略コラムno.328-2 憲法・東京裁判・国連:川崎
いつも楽しく読ませてもらっています。東京裁判と国連について思
ったことを書かせていただきます。

東京裁判に関する遡及の問題はおいておいても、東京裁判もニュー
ルンベルグも湾岸戦争も「勝者の裁き」であると思います。ルワン
ダも旧ユーゴも、相手が小国だったから国際刑事裁判所が設立でき
たので、一方でチェチェンにPKOが送られることはないでしょう。

しかし、国際社会は司法制度が整っていないので、たとえ勝者
(強者)が、戦時中に国際人道法違反をしたからといっても、裁く
まで社会が成熟していないのが現状です。

そのような社会では、一定の価値観をを基準とした「正義」、正し
いか正しくないかを判断するのは難しいと思います。「正義」とす
る法を守る存在が確立されない以上、「正義」を、国際社会で議論
するのは、少なくとも今の段階では難しいのではないでしょうか?

湾岸戦争の際の安保理の決議についても、国連の行動の「正しさ」
についての議論はできないと思います。なによりもまず、国連は
世界の警察ではなく、「正義」を実行する組織ではありません。

国連といっても、「国連」という一つの人格がかってに行動してい
るのではなく、数々の国家が集まって、国際社会の問題を解決して
いこうという試みです。試みである以上、国連はまだ、その組織、
あり方を模索する場でしかありません。国連は、国家間の絶対的平
等が実現されている場ではなく、国際政治を移す鏡です。湾岸戦争
の際の安保理の決議も、旧ソ連の力が後退し、米国一国が残ったと
いう、当時の国際社会の現実が国連に直接反映した結果が、国連の
対応だったのだと思います。

そもそも国連憲章は、五大国の一致を前提に成り立っており、そう
いう意味では、冷戦後、初めて国連のあるべき姿に戻ったともいえ
ないこともないのです。国連憲章の起草者が想定していたのは、
一国の利害がもろに反映することではなく、五大国の両性、妥協の
結果として国連に一定の中立性を確保することだったはずですが。

確かに、現在、国連の安保理には、冷戦時代にあった、野党的立場
の「ソ連」がなくなり、一つの大国が突出することをというチェッ
クするという勢力がありません。国連をより、中立的な立場にする
には、そのような「野党」的な存在を育てることなのでしょう。

こういう国際社会の現状を捉えた上で、東京裁判、国連の諸問題を
別々に検討していくほうが実りのある議論ができるかと思います。

川崎
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(Fのコメント)
川崎さんと同意見です。国連を絶対視することもできず、してから
に、その対案を提出することもできない。理想解はない。
 国連も東京裁判も憲法もクールな目、絶対視しない相対的な視野
で検討する必要があるのでしょう。
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F様
前略

いつも有益な議論に刺激をうけております。私自身、最近読者にな
りましたので、すでに国連に関する議論がなされていることはしり
ませんでした。Fさんのコメントの語調が変化しており、不愉快な
思いにさせてしまったのかもしれません。この場でお詫びします。
(不愉快の念をおこさせてしまったのは、国連信仰に陥っていると
いう表現かもしれまん。いいわけがましいですが、これは決してF
さんに対してなされたものではありません。)では、これからも鋭
い議論を期待しております。草々。

憂国人
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(Fのコメント)
 国連も東京裁判も憲法もある程度、議論したので参考にしてくだ
さい。しかし、その議論を踏まえる必要はありませんが、決め付け
るのはやめましょうね。お願いします。

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