333−2.英米日に見る「憲法の性格」の相違



                       久保憲一

  絶対王政に対する市民側の反抗として近代デモクラシーが生まれ
たのは、周知の通り1688〜9 年のイギリス名誉革命、1776年のアメ
リカ独立革命および1789年のフランス革命の三大革命によってであ
る。

1.「奪権の証文」「契約書」としての憲法
  イギリスには成文憲法は存在しない。ただし国王から権力を剥奪
した重要文書、つまり、多くの「奪権の証文」はある。主なものに
次のものがある。

「大憲章」( マグナ・カルタ)     1215年
「承認なき課税」        1295年
「権利請願」          1628年
「政体書」           1653年
「権利章典」          1689年
「王位継承法」         1701年
「議会法」           1911年
「性別による欠格の除去に関する法律」1911 年
「最高裁判所法」        1925年
「ウエストミンスター条例」   1931年
「国務大臣法」         1937年・1964年改正
「インド独立法」        1947年
「国民代表法」         1949年
「貴族法」           1963年

  また周知のように、アメリカは元々イギリス植民地であったが、
イギリス本国の施政その他に反対し、1776年に独立宣言を発し、建
国した。そして憲法は、本国の経験から、一人または一部に政府権
力が独占、集中することを警戒し、市民の自由を可能な限り確保す
ることを目指した。地方にも最大の自治を認めた。それゆえ今も憲
法解釈をめぐってそれぞれの場所で熾烈な権限獲得戦を生む。例え
ばアメリカ大統領と連邦議会は自己の権限を可能な限り拡張解釈し
、しばしば衝突する。連邦対地方政府も然り。そして更に多民族社
会ともなれば、憲法典が実用的ルール「契約書」となるのも当然の
帰結であろう。

2.「スローガン( 理念) 」としての憲法
  もちろん日本も典型的「法治国家」である。その証拠に、わが国
の社会秩序は諸外国に比べ極めて安定し、犯罪率も極端に低い。
しかしわが国の「法」は、必ずしも成文憲法のみを意味しない。
日本の政治社会秩序は、一片の成文憲法や法律だけで成立していない。
更に重要な伝統、慣習およびしきたりに依拠している。
  また革命を経ていないわが国では、人々は憲法典を奪権の証文や
契約書とは見ていない。
わが国の憲法典は「17条憲法」以来、天皇が下し、天皇や他の為
政者が率先垂範する徳目列挙型「スローガン( 理念) 憲法」である。
「明治憲法」や「日本国憲法」が欧米風成文憲法であっても為政者
はそれらを国民との契約書、奪権の証文とは見ない。事実、首相は
、彼の憲法上の諸権限を実際にはあまり効果的に行使しない。むし
ろ「重大な決意がある」と解散を仄めかしただけで引きずり降ろさ
れた首相もいる。目下、首相権限を強化する動きもあるが、彼の憲
法上の権限がたとえ強化されても、首相がそれを効果的に使用する
とは限らない。むしろ突然ヒトラー( または宗教団体の教主) のご
とき独裁者が現れ、その規定を悪用する事態を危惧する。
  また法律家を別として、日本国民も憲法典を単なる政治理念、政
治スローガンにしか見ない傾向がある。護憲、改憲を主張する人々
もキャッチフレーズのみを連呼し、憲法の内容を真剣に吟味してい
ると思えない。実際「護憲論者」といわれる人々も憲法を必ずしも
尊重し、主張しているわけではない。なぜなら、制定後もはや半世
紀が経ち、最貧国から世界一、二の富裕国となり、わが国を取り囲
む情勢も一変したにもかかわらず、また条文の矛盾点が当初から多
く指摘されているにもかかわらず、制定以来、現行憲法は一字一句
修正されていない。護憲論者とはむしろ現状無視の「憲法軽視論者」
ではないか。ともかく目下、憲法「不改正世界新記録」を日々更新
中である。実用的ルールとして憲法改正を頻繁に繰り返す欧米人に
は全く理解しがたい現象であろう。「日本人は、キリスト教、その
他何についてもそうであるが、外来文化の原理・原則をあまり吟味
せず、自分に都合良く解釈し、実効をあげる。この政治社会風土こ
そが「外来憲法」を半世紀も維持させた」。
それゆえ余程の外圧が加えられない限り、また誰もが知覚する国家
的危機や災難が生じない限り、日本では永遠に憲法改正されないこ
ともありうる。「日本国憲法制定百周年奉祝式典」も決して夢では
ない。

           水廼舎 こと 久保憲一

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