331−1.シオニズム運動



パレスチナ紛争 1,000里 

 パレスチナ紛争の内容がいまいち理解できないのですが、もう少
し、わかりやすく説明していただけますか? 
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(Fより)
パレスチナ紛争を理解するためには、ユダヤ人のシオニズム運動を
知る必要がありる。今回はこのユダヤ人のシオニズム運動とその後
を解説して、パレスチナ問題の理解の助けとしたい。

 18世紀までヨーロッパ・キリスト教社会において、ユダヤ人は
迫害されてきた。職業・居住地は著しく制限され、ユダヤ人である
ことを示す得意な形をした帽子やバッチをつけることが強要された。

 こうしたユダヤ人の状況に大変革を与えたのが、18世紀末のナ
ポレオンの国民国家構想で、理念的には国民は身分や血統、宗教に
関係なく、国民として平等な権利を有することになる。1791年
フランスではじめて、ユダヤ人に市民権が認められた。
その後、ナポレオンがヨーロッパ全体を支配することになり、この
思想がユーロッパ全体に広まった。19世紀中ごろはでには、ヨー
ロッパ全体でユダヤ人に対する市民権が与えられるようになった。

 19世紀末に、エルサレムにユダヤ人国家を作る運動が起こった。
これを、シオニズム運動と言う。この運動を支援したのが、ロスチ
ャイルド家などのユダヤ人富豪たちで、少しづつイスラエルの地に
移民していく。1880年に第一次が始まる。1907年にはガラ
リア湖の近くにキブツ「デガニア」を建設。それと平行して、世界
シオニスト機構「ユダヤ民族基金」を設立し、世界各地のユダヤ人
から会費・寄付金を集めて、パレスチナの土地購入を推進した。
しかし、実際は。ヨーロッパのユダヤ人は、イスラエルに行くより
米国に移民する方が多い。420万人が1880年から1925年
の45年間に米国に移民している。同じ時期、イスラエルには、
15万人しか移民していない。

 第一次世界大戦中、イギリスは、ロスチャイルド家に対して、「
パレスチナにユダヤ人の国家を建設することを支持する。」と表明
した。しかし、戦後もパレスチナは、英国領とした。1922年に
パレスチナ委託統治規約が調印して、国際連盟に追認された。この
委託統治は、シオニズム運動に同情的な内容になっている。
しかし、パテスチナに住んでいたアラブ人たちは、自分達と異質な
ユダヤ社会に対し、反発するようになる。

 1947年、第二次世界大戦後、イギリスは、パレスチナ問題を
国連に任せると宣言。国連総会は、パレスチナをアラブ人とユダヤ
人の2つの国に分割し、エルサレムと周辺を国際監視下に置くとい
う処置を採択する。これは、戦中、ドイツのホロコーストに対する
同情がユダヤ人に集まった結果であり、この国連採択にアラブサイド
は反発している。1948年5月14日にイギリス委託統治が終了
したが、両勢力の戦闘が起こり、イスラエルはパレスチナの75%
を自国領土として、1949年夏に休戦が成立した。(第一次中東
戦争)

 このため、パレスチナに住んでいた多数のアラブ人たちは、難民
として、レバノン・シリア・ヨルダンの3ケ国、ガザ・ヨルダン川
西岸の難民キャンプ、クエート、サウジアラビアなどのアラブ諸国
や米国など各地に離散した。
1956年、スエズ動乱(第二次中東戦争)、1967年第三次
中東戦争などが起こった。この戦争は、最終的にはイスラエル側が
勝利している。

 1964年になると、パレスチナ解放機構PLOが結成された。
これとは、別に1950年末にイスラエルへのゲリラ攻撃する目的の
「ファタハ」ができている。1967年の第三次中東戦争後、PLO
内で批判が起き、パレスチナ・ゲリラ「ファハタ」の指導者アラファ
トがPLOの議長に選出されることになる。ここで、ゲリラ組織が、
中心にPLOが運営されることになる。

1970年代には、「領土と平和との交換」原則が国連安保理決議と
なり、西岸・ガザでのパレスチナ国家樹立という現実的な目標を追求
することになる。

1987年、ガザでの交通事故をきっかけとして、「インティファー
ダ」と呼ばれるパレスチナ住民の反イスラエル蜂起が始まった。
これにより、イスラエルがパレスチナ住民を支配している実態が国際
社会に知れ渡ることになった。このことから、イスラエル国内で、パ
レスチナの独立を認める政党と、あくまでも占領地を保持する右翼政
党ができてくる。労働党とリクルードの2大政党がそれぞれの代表。
1990年になると、冷戦終結で、PLOも強硬な手段を取っている
と、アラブ穏健派からの援助を貰えないことになり、それをトリガー
として柔軟な姿勢に変更することになる。これにより、1993年
「暫定自治に関する原則宣言」にPLO、イスラエルは仮調印するこ
とになる。

今回、このパレスチナ自治政府は、東エルサレムを首都として独立し
ようとしているが、同時にその地は、ユダヤ人にとっても聖地であり
、かつキリスト教においても聖地という地である。この地の争奪とい
う宗教戦争が背景になっているため、容易な妥協が両陣営できないこ
とになっている。このが問題の核心である。

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