330−3.懺悔について



土橋さん、こんにちは、得丸です。

ひまだからレスできる(失礼、きっとご謙遜でしょうが)というの
はまるで海外で生活してるみたいだと思ったら、メールアドレスが
DKですね。

私は3年ほど前から、デンマーク工科大学の先生と仕事を通じた交
友関係を続けていて、来月またDTUの先生と会津若松に行くほか、
仕事で5,6回コペンハーゲンに行きました。

デンマーク人のようにヨーロッパの少数言語を話す人たちは、多文
化的に生きていくことになれておられるようで、付き合いやすいや
という印象をもっております。

最後に行ったのは、今年の2月でした。帰国する日、好天に恵まれ
、自転車で市内をぶらぶら回りました。地図を持たずに、気の向く
ままに自転車で回ったのですが、こういった楽しみ方ができるのは
、規模が大きすぎずに適当であることのほかに、なにか街並への
人々の愛着があるのでしょうか。

東京や大阪のビジネスオンリーではない、味わいを感じました。

お元気で

得丸久文
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わたしのサイトのURLは、へんだけど、
http://home11.inet.tele.dk/yoko/index.html/ です。
あらしみたいな人は、来ないでくださいね。
嫌いなら、関わらなければいい、それだけのことです。
今、離婚問題とかで忙しくて、わけわからんあらしにとりあってい
るヒマはないのです。

じゃまた

土橋葉子
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土橋さん、

あなたのHPを、ご紹介いただいたURLではアクセスできませんでした。
私も「あらし」の仲間と認識されたかな?
それともデンマークと日本の間に壁が?

私のは日本語のインフォシークでは、今でもいくつか出ます。
http://japan1-proxy.infoseek.com/

http://www.honya.co.jp/contents/ktokumaru/
地球浪漫、お金にゆとりのある方、どうぞお買い求めください。
なかなか復刻版が印刷所に回せなくて、デジタル版しかないので。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/4025/EOS6.html
糸川英夫さんのインタヴュー(これは僕が「マルコポーロ」の記事を
タイプした著作権違反ですが、著者には訴える機会がないし、雑誌
もなくなってしまったので、お許しを)

http://www.iwakura-mission.gr.jp/group/g_net-21.htm
ここは仕事で付き合いのあるデンマーク工科大学の教授から、日本
の文化に付いて大学で一時間ほど話をしてもらえないかという依頼
があり、いろいろとテーマを考えた結果、「吉田松陰(1830-1859)の
思想:仁・智・勇」という題にした。

 講演は2月15日の午後4時からコペンハーゲン郊外にあるデン
マーク工科大学の教室で、一時間にわたって英語で行われた。

離婚問題大変でしょうが、ご健闘?をお祈り申し上げます。

得丸久文
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私はクリスチャンではありませんが、たまにクリスチャンの方と
懺悔について議論することがあります。非存在かもしれない神に
許されるとは、いったいどういう意味かと。

クリスチャンの方は、人間は弱いものだから、そのようなこと
(制度)があってもいいではないか、という意見です。

で、私は次のような問いを昨日思い付きました。皆さんはどう
お考えになりますか。

「懺悔によって、自分が犯した罪に対する良心のうずきは消える
のか」と。

消えないし、消えてはならない、あるいは消えたと思ってはいけ
ないのではないかと、私は思うのですが。
得丸久文
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こんにちは

PCを新しくして、再インストールしていたのでメールチェック
ができませんでした。3人がかりで2日間の格闘のの末、
やっとNTのインストール完了、イエー♪(失礼)。

おもしろい話題ですね。
「罪」に関しては、いろいろあって考えることが多かったです。
今は、このように考えています。
罰を受けても、次にいいことをしても、過去の罪は消えるわけでは
ない。
だけど、罪を犯したという認識とともに生き延びるしかないって。

土橋葉子

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