329−3.読者の声



ーアメリカンインディアンの表記ー
いつも、楽しく拝見しております。アメリカの或る日系マガジンに
、インディアン(先住民)と書いてあり、ポリティカルコレクトで
はネイティブアメリカンと理解していたので、早速抗議したところ
、インディアン自身も自分たちをインディアンと呼んでいるので、
そのように表記したとの返事。ネイティブアメリカンの呼び名は、
白人が決めたのであって、それに付随しないようにとのこと。私の
夫はアメリカ人、インディアンじたい白人がつけた呼び名と思いま
すが、どうなんでしょうか?このコラムの主旨に反していれば、無
視して頂いても結構です。T.S
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285-2米紙が原告批判の社説について 
ええ、私も去年ロスの方に住んでいたときに、このような訴訟がお
こりつつありました。ロスの日系新聞では、毎日のようにとりあげ
られていました。羅府新報というどちらかというと、ローカルニュ
ースねたが多いのが、特徴です。その新聞によると、マイク・ホン
ダという日系人(カルフォル二ア州議員)が、国の上院議員に立候
補するとかで、日系人の人口よりも中国、韓国系のほうが票につな
がるとして、そのような法律を、カルフォルニア州の法律で提案し
ました。もちろん、人道的なアメリカ人(建前では)、あっという
まに可決です。ナカノという、同じ日系人の反論は、反日感情に火
がつくのでは、ととても消極的なものでした。たった1人のアメリ
カ人だけは、サンフランシスコ条約のことを持ち出し、おかしいと
コメントしていました。でも、もしまた戦争が起こったら、人質は
皆殺しですね。生かしておくと、あとでえらい目にあいますよね。
日本人もシベリア送りになった人は、早く訴訟することをお勧めし
ます。アメリカが、日系人を捕虜にして、財産を全て没収しても、
結局補償は一律2万ドル(200万円)証明できないと支払われま
せん。まだ、支払われていない人もいます。果たして、原告の人は
証明できるのでしょうか。日本が証拠を隠滅していないと、信じて
いるのでしょうか?実際裁判になっても、勝てると思っているのか
、弁護士料高いよ。T.S
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(Fのコメント)
この件は、成功報酬だと聞いています。中国やフィリピンの方は、
米国の弁護士によって、原告にされているようです。米国の弁護士
が事件を創造しているのです。ご苦労様です。
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東南アジアに駐在する一物売り、兼本欄の愛読者です。
この通信にて、非常に多角的なものの見方を提供して戴き毎日、
参考にさせていただいている者です。
最近、特定個人の陳述の内容(仕方?)にクレームがついて居ます
が、いいではありませんか、どうせ、人間、自分の経験でしかもの
をいえないんですから。 独断と偏見からですら新しい視野が開け
ないとは、誰も、言い切れません。
少なくとも、私は楽しんで居ります。日本は多大な犠牲を払った
ファショの時代を既に、通り過ぎて居ります。気に触るような論法、
独断でも一理ある推論、結構です。どんどん言いまくらないと脳が
退化します。経済戦争でも、結局、脳の戦争です。

あらゆる可能性をどれだけチェックし得るかの能力戦争です。
議論,意見の封殺、無視は共倒れになります。
TK生
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NO.311−12種類の日本人について 
オイルショック前とオイルショック後の日本人は、そんなにあから
さまに違うのでしょうか?
私は、昭和44年生まれですが、巨人の星もアタックナンバーワン
も見た世代です。
もっとスポコンドラマが、いっぱいあったと思います。おぼっちゃ
まくんなんて、ここ10年ぐらいのコミックではないのでしょうか
。嫌な金持ちが出てくる点では、巨人の星とおぼっちゃまくんは、
変わり無いでしょう。興味がある見出しだっただけに、がっくり。
血液型占いと一緒。たった2種類でしか分けられないなんて、もっ
とまともな分析お願いします 
chara_mori
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(Fのコメント)
1つの見方として読んでください。あくまで1つの見方です。
しかし、そこで指摘したアドラーの心理学は、今後重要になるよう
です。教育界では注目されているからです。
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信仰の自由について
靖国神社のことは、事実関係をよく知らないので、ここでは触れま
せん。信教の自由について、少し付け足せてください。

戦前、つまり明治憲法も、28条において、信教の自由は保証して
いました。ですが、他の自由権とは異なり、法律の留保をともなわ
ず、その自由の限界は、「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背
カサル限リ二於テ」という基準がもうけられていました。この基準
はあいまいで、結果として、それに合する限り、法律に寄らず、
命令によって信教の自由を制限することも許されるという解釈を認
めることになりました。

神道の位置づけは、ご指摘にもあったように、「神社は宗教にあら
ず」とされ、神社神道は国教として扱われ優遇されていたのです。
実際には、信教の自由は「神社の国教的立場」と相容れる限り、認
められていたのであって、完全な自由ではなく、神社の優越性を認
めない宗教は、弾圧されていたのです。この神道が国粋主義の台頭
とともに、神社に与えられた国教的地位とその教義は、国家主義や
軍国主義の精神的支柱となっていきました。

一方、日本国憲法では、「信教の自由」は、20条にて保障されて
います。そしてその施行は1947年。日本が締結している、
「国際人権規約(自由権規約)」においても、18条で規定されて
いますが、この発効は1976年から。ですから、1947年以前
の行為については、法律的には裁判の対象にはならないでしょう。
ただ、憲法施行以降は、国の行為としての、特定の宗教の優遇等は
、議論の余地があると思います。
川崎
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316−1.読者の声(SHN研究所 平田さんの意見に対して)
> 1. Iron 1さんの歴史観と反自虐史観の気持は分かりますが、少々
> 思い込みが激しすぎると感じました。
> 2. 「魏志倭人伝の翻訳を最近全部読んで・・・不思議でなりませ
> ん。」と、第125代の天皇を有する・・・のくだりに思い込みの激し
> さを感じました。
> 3. 倭人伝が書かれたのは3世紀であり、古事記、日本書紀が書かれ
> たのが8世紀であるから、日本について書かれた最古の文書であるこ
> とは事実です。
>   その中に書かれていることが事実か否かは、神代以来ずっと天
> 皇の位が継承されてきていると古事記に書かれていることと同様い
> くら議論しても確認できません。
>   漢字の渡来が5世紀頃とすると、歴代天皇の名前を割り付けたの
> はそれ以降の筈です。
>   それ以前のことは、言い伝えか創作でしかありません。
>   125代継承されていることは確たる事実ではありません。
>   しかし、何にもねたのないことを創作したとは考えにくいです
> から、何かそれらしいことがあったとして、それを研究することが
> 歴史研究ではないでしょうか。
> 4. 書いた立場を想像して、自分なりの意見を作り上げるのは自由
> ですが、Iron 1さんは偏った見方に基づいて発信していると思いま
> した。
>   なお、小生は、書いた立場については、倭人伝を書いた方は中
> 華思想に基づいているし、古事記、日本書紀は日本の体制確立のた
> めに書いたものと思っています。
> 5. これらはFさんは百も承知のことの筈です。
>   それなのに、違和感なく・・・が不思議でした。
>   読者の皆様はどうか?と聞かれましたので、お送りしました。
> 6. 中身の議論は出来ませんので、Iron 1さんには送りませんでし
> た。
> 
Iron1です。
ちょっと宛先が何処にしたらいいのか分かりませんので取り敢えず
返事の形をとりました。悪しからず。

上記ご意見ごもっともです。すべて納得します。
しかし、私は、歴史学者でもなく、研究者でもありません。歴史観に
は観念論的な見方と、唯物論的見方があるそうですが今日の歴史教育
の実態は国民として容認できる限界を超えていると言う事が前提にあ
る事を御理解下さい。従いまして、歴史教育は本来日本人のアイデン
テイテイを育てる目的があるはずです。唯物論的歴史観では先人の
生活様式、こころ、想像力などが欠けてしまうと思うものです。

国民に、特に純粋な心で、目で、未知の世界に、夢の世界にあこがれ
、無限の可能性を秘めた、日本の子供達にあんなにすばらしい想像力
を持たせる、記紀をどうして、日本の歴史学者は、文部省は無視する
のですか。それが大問題と云いたいのです。魏志倭人伝も記紀も三世
紀・八世紀の差はあれ考えによっては神話の一つと言っても良いの
ではないか。誰も証明できない事は明々白々なのですから。意見は
この辺で・・・。

ホームページから参考意見として添付いたします。
> なぜ空白の四世紀なのか
壱岐にある、神功皇后伝説の数々
http://homepage1.nifty.com/HAKUSEN/gaikan2/gaikan2.htm

 日本民族の歴史を語るとき、世紀300年代をさして、・・・空
白の四世紀・・ということが多い。なぜ空白なのか、といえば答え
はしごく簡単でえある。つまり中国の歴史書に、四世紀の日本がま
ったく記録されていない、ということにすぎない。

 良く知られているように。三世紀には中国の魏志倭人伝(三国志
の魏志東夷倭人の条)に邪馬台国の女王、卑弥呼が登場する。当時
の日本列島のようすも、正確であるかどうかはともかくとして、か
なり詳しく記されている。五世紀はこれまた、高校の教科書などで
良く知られた「倭の五王」の時代である。そのあいだの四世紀の百
年間の記述が、中国の歴史書からすっぽりと抜け落ちているのであ
る。しかし、いうまでもなく日本民族の歴史が空白であったわけで
はない。それどころか民族の興奮期であり、人間の一生にたとえれ
ば青春の頃、ゆたかな国力を外に向け、東アジアに覇を唱えはじめ
た飛躍の時代でもあった。

 高句麗・好太王稗に記録されているのは、四世紀末に高句麗の五
万の軍勢と朝鮮半島で激突し、数年後には平壌(ぴよんやん)にま
で攻め込んでいく倭国軍の姿である。日本が初めて新羅の王城を占
領し、新羅を降伏させたのはいつであったか、正確にはわからない
が、日本書紀や好太王稗の記録から推測すれば、四世紀のできごと
であったことは間違いない。

 この時代はまた、国内では政治的統一の途上にあって、大和地方
に巨大な前方後円墳がぞくぞくと造られつつあった建設の世紀であ
った。これが、なぜ空白なのか。中国の歴史書にないとはいえ、こ
の百年間の日本民族の記録はじつは、豊富に残っているのである。
たとえば、わが国の正史ある日本書紀である。あるいは日本書紀が
引用する百済の古代の歴史書「百済記」であり、そして、高句麗・
好太王稗である。魏志倭人伝や「倭の五王」についての記録など、
まったく比較にならないくらい、多くの傍証をふくんだ記述が残さ
れているにもかかわらず、なぜ空白とされてきたのだろうか。

 つまり、自国の歴史書への蔑視、無視である。日本の歴史学界の
多くの研究者が戦後、この豊富な自国の記録と伝承を無視してきた
。理由はいくつかあった。学界のいわば中華思想、中国の文献以外
は信をおかないという態度がそれである。さらには戦前、皇国史観
の聖典とされた日本書紀の、とくに海外侵略を思わせる部分は、史
実として認めたくないという意識が、進歩的とされる学者たちに強
く働いていたにちがいない。

 日本書紀を否定することが進歩的であり、戦後という時代の風潮
でもあった。
神功皇后、息長足姫(おきながたらしひめ)はあ架空の女性である
と、彼らは断じた。神功皇后の海外征討はフィクションにすぎない
、と断じてしまった彼らは、その前後にどれほど真実らしい記録が
残されていようと、そこに彼女がいるかぎり、すべて虚構だとして
無視せざるをえない。

 こうして中学、高校の教科書はもちろんのこと、一般の歴史書か
らも、四世紀に活躍する主要人物はすべて抹消され、切り捨てられ
てしまった。あとは、考古学の成果をもとに、人間抜きの即物的な
解説がおこわれているにすぎない。この連載は、日本民族の歴史に
血の通った人間像を復活させることがねらいのひとつである。日本
書紀には、どう見ても当時ここに生き、戦い、裏切り、愛憎をかさ
ねていたにちがいないと思われる多くの人物が記録されている。

たとえば、新羅の使者三人を焼き殺し、怒りに駆られて征討を敢行
した葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)であろ。あるいは逃げ帰っ
た人質の王子、微叱己知(かしこち)である。そして朝鮮半島の人
々との終始変わらぬ友好関係をつくりあげた魅力ある男たちが、
四世紀の大和の国に続々と登場してくる。主役はまず、千熊長彦
(ちくまながひこ)という青年であった。・・・・。

「古代からの伝言」から(八木荘司著・角川書店1700円)
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戦後の教育で、歴史から抹消された。

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