329−2.一国社会主義論と世界革命論



 NO.324−1についてお送りします。
図越様
 ほそかわです。

>スターリンの主張する一国社会主義論に対して、反対したトロツ
>キーが主張した、「世界革命論」とはいかなるものなのかお答え頂
>きたい。

 スターリンの「一国社会主義論」とは、世界革命を待たずとも、
ロシア一国だけで社会主義を建設しとげることが可能だと説くもの。
これに対し、トロツキーの「永久革命論」あるいは「永続革命論」
とは、ロシア革命は西欧先進諸国の革命が連続してこそ、成功しう
ると説くものです。
 どちらも「世界暴力革命」を目標にしていることは、共通してい
ます。そのための方法論の違いと、私は理解しています。

 私は、共産主義には基本的に反対なので、どちらの論も支持しま
せん。欠陥思想の枠内での小差にすぎないと認識しています。

◆先進国から後進国への転回

 マルクスは、社会主義社会は世界革命の産物と想定していました。
具体的には、西欧先進国で、同時または連続的に暴力革命を起こし
、発達した資本主義の高度の生産力をもとに、社会主義を建設する
という構想です。マルクスは、「資本論」において、絶対的窮乏化
、階級の二極分化、恐慌の不可避性を説き、西欧先進国でのプロレ
タリア革命を煽動しました。
 しかし、彼の予想はことごとく外れ、19世紀後半の西欧諸国で
は、生活水準の向上、新中間層の増加、漸進的な社会改良などが進
んでいきました。マルクスの理論の誤りは、マルクス主義の後継者
たち自身によって認められるに至り、議会を通じた民主的な方法に
よる改革への道が定着しました。

 しかし、このマルクス主義に、暴力と破壊をよみがえらせたのが、
レーニンでした。レーニンは、「帝国主義の最も弱い輪」である後
進国ロシアにおいて革命が可能という、独自の理論を唱えました。
 彼は、ロシア革命を世界革命の突破口と考え、ロシアに続いて
西欧での革命を成功させることを目標としていました。

◆トロツキーの「永久革命論」
 
 トロツキーもこれに近い考えでした。彼の理論は、1905-06年に
「永久革命論」として定式化されました(「総括と展望」1906など
、のち「永久革命論」1930)
 トロツキーによれば、後進国ロシアでは、都市ブルジョアジーが
弱いので、プロレタリアートが政権を掌握するのでなければ、ブル
ジョア民主主義革命すら達成できない。また、革命は不可避的にブ
ルジョア民主主義革命の枠を超え、社会主義革命へと進まざるをえ
ない。しかも、農民が人口の大多数を占めるロシアでは、プロレタ
リア革命の最終的成功は世界革命、具体的には西欧先進諸国、特に
ドイツでの革命の成否にかかっていると説きました。

 レーニンの場合は、この点、たとえ西欧のプロレタリアートの
援助が来なくともロシア革命は自力で何とか切り抜け得ると考えま
した。
そのために、レーニンは、労働者と農民による民主独裁という独自
の方式を考え出したのです。
 レーニンに対し、トロツキーは、ロシア革命にとって、西欧の援
助は不可欠の条件と考えました。トロツキーは一貫して西欧・都市
・工場労働者の側を指向し、レーニンのようには農民に期待しませ
んでした。
 いずれにせよ、私は、レーニン・トロツキーの理論は、職業革命
家による人民への独裁を生むものでしかないと考えています。

◆ロシア革命と「一国社会主義論」

 1917年、ボルシェビキがロシアの政治権力を簒奪しました。共に
クーデタを指導したレーニン・トロツキーは、ドイツ革命の成功を
期待しました。しかし翌年、ドイツでの共産主義者の活動は鎮圧さ
れ、革命は防がれました。他の西欧諸国においても暴力的な革命運
動は後退しました。西欧の労働者人民は、殺戮と破壊、統制と不自
由の道を選ばなかったのです。自由諸国は、ソ連の共産主義政権を
打倒することはできず、膠着状態となりました。その結果、ソ連は
国際的包囲の中で、国内建設を行うことを余儀なくされました。
 このような状況の中で、1924年にスターリンによって唱えられた
のが、「一国社会主義論」です。これは、マルクス主義の理論とし
ては、明らかに異説でした。しかし、現実的な国策ではあったでし
ょう。

◆理論闘争以上に、権力闘争

 スターリンとトロツキーは、1925-26年に、一国社会主義か永久
革命かで争いました。両者の理論に基本的な対立はあるのですが、
それ以上に、レーニン亡き後の、陰謀家同士の主導権争いという
側面が色濃く見られます。
 というのは、トロツキーは世界革命の意義を強調したとはいえ、
世界革命到来以前にソ連国内で社会主義建設を進めることを否定
したわけではありません。また、スターリンは一国でも社会主義建
設を達成できると主張する一方で、コミンテルン(国際共産党)を
道具とする革命工作を進めており、世界革命を否定したわけではあ
りません。目標は同じ。方法論の違いです。
 しかし、スターリンは、この論争を決定的な権力闘争の機会とし
ました。彼は、権力欲をたくましくして策謀を進め、トロツキー派
を孤立させ、トロツキーを「人民の敵」として国外に追放しました
。また、ジノビエフ、カーメネフ、ブハーリン、ウリツキーらの指
導者が、スターリンによって次々に粛正されました。どう見ても、
単なる理論闘争ではありません。

◆「一国」も「永久」も、自由・平等はない

 こうしてスターリンは、一国社会主義論をてこにして、個人独裁
体制を確立していったのです。同時に、スターリン派官僚たちは、
「新しい階級」「革命貴族」として、社会的な特権を確立しました。
これは、一部特権集団が、労働者・農民を搾取する体制でしかあり
ません。
 スターリンは、マルクス・レーニンの説いた「国家の死滅」を公
式に否定し、国家機構の継続を強調しました。これは、「国家社会
主義」と見ることができます。
 そして、一国社会主義論は、世界革命・民族解放の美名のもとに
、ソ連の覇権を露骨に追求し、帝国主義的世界政策を推進する理論
ともなっていきました。
 私は、スターリンの「一国社会主義論」は、ロシアの置かれた歴
史的状況の中で、マルクスの理論に内在する負の可能性を最大限に
引き出したものと考えています。

 一方、もしトロツキーの「永久革命論」によって、1910-20年代に
先進国革命が実現していたらどうだったでしょうか。私には、西欧
諸国に、自由と平等の社会が実現したとは、到底考えられません。
西欧諸国では、ロシアほどの野蛮な殺戮・破壊は起こらなかったで
しょうが、世界共産党の官僚支配の下で、人々は自由を奪われ、機
械の歯車の一部と化した、逆ユートピアが生まれていただろうと想
像しています。

ほそかわ・かずひこの<オピニオン・プラザ>
http://www.simcommunity.com/sc/jog/khosokawa
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きしめんと申します。

今回のモスクワからKさんのコラム非常に分かりやすかったです。

自分は、高校1年の未熟者のため、社会主義と共産主義の違いがま
だよく理解できていません。教科書をかたっぱしから読んでもまだ
ダメです。
なにか、分かりやすい著書を紹介していただけませんか。
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モスクワのKさんへ(辻本さん)BBSより
 共産主義の概説を読ませていただきました。
 一読して、19世紀のマルクスと20世紀のマルクス主義とを混同
されているのではないか、という感想をいだきました。
 20世紀のマルクス主義=共産主義については、Kさんのおっし
ゃる通りです。戦後の日本の人民はそれを感覚的に知っていたから
こそ、社会主義政党に政権を渡さなかったという賢明な選択をしま
した。「日本人は共産主義理論をほとんど知りません」と書いてお
られますが、そうではないと思います。

 ところで19世紀のマルクスの思想は、20世紀のマルクス主義者
たちによってかなり歪められました。
 例えば「私有財産の否定」ですが、マルクスは当時として最高の
発展段階であった資本主義がさらに発展・成熟した末に来る社会と
して「私有財産の否定」を想定しました。その予想は当たったとは
言えません。
 そして20世紀のマルクス主義者のレーニンたちが革命によって資
本主義を否定し社会主義を実現したと思い込んだ時、「私有財産の否
定」された社会をつくろうとしました。ところが資本主義を体験した
ことのない彼らが知っていたそういう社会というのは、国家=国王が
国家内の全ての財産,人民の肉体に至るまですべてを所有していたア
ジア的古代国家でした。そこで彼らは,各人民の所有する財産を否定
するとともに、国王の代わりに国家=共産党に全ての財産が帰属する
社会を目指すことになりました。つまり近代資本主義よりはるか以前
の段階にあるアジア的古代国家の再現となったわけです。そしてそれ
こそが資本主義より優れた社会という考えになっていきました。
 20世紀の社会主義国は、人民の肉体にいたるまで国家=共産党の財
産でですから、人民を「反動」「反革命」「人民の敵」などの烙印を押
して粛清することが正当化されたのです。Kさんが「マルクス主義は
人々の殺害を奨励した」とおっしゃるのは、その通りです。

 19世紀のマルクスの著作はなかなか面白いものです。20世紀のマ
ルクス主義によって歪められた目で見ないで,お読みになることを
お勧めします。

辻本
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ポスト・モダン思想とは何だったのか。そして今、この思想はどう
なっているのか。
図越

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