328−2.憲法・東京裁判・国連に対する疑問



憂国人
憲法にたいする見解
国際戦略コラムの読者のみなさんに教えていただきたいことがあり
ます。(左の数字は質問の数ではなく、見やすくするためのもので
す。)

1,現在、衆参両議院のもとに憲法調査会が設置され、憲法に関し
て議論がなされております。新聞でも、それに呼応して、記事を作
成しています。その新聞記事では、諸外国では憲法改正が頻繁に行
われているとする事実を伝えておりました。

2,質問は、その内容がどのようなものなのでしょうか、というこ
とです。ひょっとして、改正と言うよりは、部分的修正ー基本原則
を大きく変更しないものーにとどまるようなものが数多くあるので
はないのでしょうか。憲法改正手続きの観点からすれば、確かに部
分的修正も改正ではありますが、このような修正は改正であるとし
て大きく取り上げる意味はないのではないでしょうか。

3,このように考えたのは、国家の基本法たる憲法の核心的な部分
が頻繁に改正されるようでは、国家運営も非常に混乱するのではな
いかと考えたからです。

4,得てして、諸外国での憲法典の改正の多さは、次のような論調
につながりがちです。つまり、諸外国では、規範が現実との間にズ
レを生じてきたならば、現実にあわせるように変更している。憲法
は不磨の大典ではないのだからではないのだから、日本でも、現実
に合わない箇所については、積極的に改正すべきである、という論
調です。

5,私自身、国家のあり方と絡めて、憲法について積極的に議論す
べきであると思っております。しかし、国家のあり方を基底する文
章について、あやふやな事実に基づいて議論をするのは避けるべき
と考えています。諸外国での憲法改正の事実が、実は大したことの
ない周辺的なー周辺的といっても憲法ですので重大であることは変
わりませんがー修正にとどまるものであれば、先のような論調の説
得性が揺らぐのではないでしょうか。

6,この点がいつも気になっており、このたびみなさんに伺うこと
にしました。特に、比較憲法学を専門とされている方や、諸外国の
憲法典の事情について詳しい方、お願いします。

憂国人
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東京裁判批判と国連批判
最近の感じたことを書きます。

1,最近、東京裁判に対する批判が多いなあと感じております(私
が国際戦略コラムをまとめて読むからでしょうか?)。私も、同裁
判については、問題の多いものであったと理解しております。

2,ただ、批判する目がそこで止まっているように感じられます。

3,東京裁判への批判の根幹は、勝者の裁き、という点でしょう。
ここには、戦時の行為を裁くなら、勝者、敗者いずれも違法行為が
あったので、いずれもが裁かれるべきではないか、という視点があ
ると思います。

4,このような視点を有するなら、国連の安保理についても批判が
出てきてもいいのではないか、と思うのです。

5,戦後、国連憲章によって、各国による武力行使が原則的に禁止
(自衛権行使の場合は例外。)されることになり、他方で、武力行
使の権限は、国連に一元化されました。具体的には、国連の安全保
障理事会が、国連軍を用いて集団的安全保障の措置として、軍事力
を行使することが想定されたのです。

6,しかし、みなさん御存じのとうり、現実には、国連軍が組織さ
れることはないし、安保理も機能不全に陥りました。社会では地域
紛争が多発している。国連としても手をこまねいているわけにもい
かない。そこで、生み出されたのがPKOです。冷戦後は、東西対立が
消え、国際社会の秩序維持に両陣営も以前と比べ積極的に取り組む
ことになりました。そのような状況下で湾岸戦争が起きました。

7,安保理は、同紛争の解決を、多国籍軍ー安保理の決議によって
、軍事力を行使することを容認された加盟国によって構成される軍隊
ーに頼りました。多国籍軍は国連のお墨付きをもらって、ほぼやり
たい放題にイラクをたたきました。最終的に、イラクと国連との間
に停戦が成立しました(実際には、安保理の決議をイラクが受け入
れるという形式です。)

8,確かにイラクは国際法に明確に違反しました。悪い奴です。
たたかれて当然です。たたいた奴(多国籍軍)は、自ら血を流しな
がらクウェートの人々を苦難から救いました。すばらしい行為です。

9,ここで議論が終われば、まさに勧善懲悪の世界です。しかし、
果たしてそうなのでしょうか。戦闘行為はそんなにきれいに割り切
れるものなのでしょうか。
勝者の裁き、という視点をもてる人たちならば、「ちょい待て。
多国籍軍は悪いことせいへんかったのか」と疑問がわき上がってく
るはずです。 さらに、国連がまさに政治の世界であることを考える
と、安保理の決議だってほんとに正しいものであったのか、と踏み
込んで考えられなくてはならないでしょう。

10,このような疑問がでないようなら、「日本の一部の人間は国連
を信仰している。現実がわかってない。国連は権力政治の場だ」な
どと他者を批判するのは滑稽にうつります。というのも、自らが国
連信仰に陥っているからです。

みなさんの意見をお聞かせください。

憂国人
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(Fのコメント)
ドイツでは、移民に関する基本法の関係が変化したのは、数年前で
す。しかし、戦後そのような改定を10回程度していると思います。
国連についても、限定的に捉える必要があると主張している。
フリーさんとの討論で、国連についても論議している。
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/1207251.htm

他の読者の皆様、どうでしょうか??

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