328−1.異文化に揺らいで自由



得丸
この国際戦略コラムMLの読者は世界各地に住んでおられるのですね。
ベトナムからのメールには、驚く必要がないにもかかわらず、
ちょっと驚きした。インターネットと日本語ソフトのおかげという
のでしょうか。
文化や文明についての私の興味も、自分自身の海外体験抜きにはあ
りえません。
海外で暮らしてみてはじめて、自分が戦後の日本の高度成長期とい
うきわめて平和で、ホモジニアス(画一的)で、安定的に発展した
時代に、意識を形成したのだということを感じたのでした。

私たちの意識や異文化体験が、それまでに生きてきた社会や時代に
よって規定されるとしたら、むしろ積極的に私たちを文化的な荒波
の中に投入することによって、私たちの意識を21世紀の地球社会・
きたるべき地球文明のために形づくることもできるのではないか、
というのが私の関心です。

私が文化や文明について行う発言や考察はすべて、21世紀地球文明
を、あらかじめ準備するための準備運動であり、21世紀地球文明に
対応する意識(心)をできるだけ効率よく整えるための理論化作業の
つもりなのです。

論語や孟子や吉田松陰の精神形成も、近藤紘一や石光真清が世界を
眺める目も、小松左京や広瀬正らSF作家の想像力も、すべて地球と
いう惑星自体がひとつの社会として機能しはじめる21世紀の社会を
生きるために必要だと思うのです。言葉や考え方が違う人たちと、
できるだけなかよく、お互いに礼を尽して、よりよい社会を築くた
めに必要な心構えだと思うのです。

これからご紹介するのは、今から5年前にロンドンを訪れた詩人の
伊藤比呂美さんに私が直接お目にかかって伺ったお話です。英国ニ
ュースダイジェストという、ロンドンの日本食レストランに行くと
無料でもらえる新聞上で掲載してもらいました。

それにしても、どうして小泉セツが「いちばん最初」に覚えた英語
が「ナシテ、モーネン(nasty morning)」だったのでしょう。英語の
授業として最初に NastyMorning を教わったのではないでしょう。

朝寝床を起き出て雨戸を開いたラフカディオ・ハーンが発した何気
ない言葉に、セツは未知の世界を感じ取ったのでしょうか。夜の間
は身近に感じていた男が、突然わけのわからない外国の言葉を口に
することによって。

Nasty Morning は天気が悪いときに使うと英国人に聞きましたが、
本当に天気が悪くて八雲はナシテ、モーネンと言ったのでしょうか。
もっとセツが理解に苦しむ状況があったのでしょうか。小さいなが
らも、これも歴史的事実をめぐる謎ではありませんか。この質問に
対しては、伊藤さんもわからないというお答えでした。

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伊藤比呂美インタビユー 「異文化に揺らいで自由」
副題: 詩は栓抜きみたいに実用的

 ロイヤルフェスティバルホールが企画した「ポエトリ・インター
ナショナル」のために、日本の現代詩人を代表して高橋睦郎さんと
伊藤比呂美さんが来英し朗読会が開かれた。

 育児エッセーや講演でも活躍されており、また海外で異文化生活
を送ったこともある伊藤さんに朗読の後お話を伺った。(インタヴ
ュー・構成 得丸久文)

・異文化を受け入れるのは快感
得丸 ポーランドに住んでらしたんですね。
伊藤「1年住んで、5、6年してからまた1年住みました。一度目
の時は英語もポーランド語もだめでしたが、二度目は日常会話程度
ならできましたので、自分のニホン語が英語やポーランド語の中で
ゆらいでいくのがとても気持ちよかった」

T 異文化への拒否反応はなかった?

伊藤「最初の時はジャガイモをポーランド文化の象徴と受け取った
のか、食べられなかった。定期的に下痢もしてました。嫌いならか
まわず嫌いになればいいと思う。

 でもいつかは現地の文化を受け入れるしかないですね。わたしの
場合はポーランド語を覚えて現地の友だちができたら楽しくなり、
自然とジャガイモも食べられるようになりました。何らかの形で土
着の人たちとかかわるべきです」

・できない自分がいとおしい
T 今回「ナシテ、モーネン」は英語での朗読でした。

伊藤「今のニホン語を壊すひとつの手段として英語で朗読している
気がします。これは最初ニホン語で書きましたが、ずっと詩人やっ
てますと書くのがうまくなり、言葉はすべるし自分の詩をどこか模
倣するしで、つまんないな、詩やめるしかないなと思い、それで一
旦自分で英作文して、それを直訳のニホン語にしたんです。自分で
英訳したので、読んだ感じガクガクしてます。

T この詩はラフカディオ・ハーンの妻小泉セツの英語体験が題材で
す。

伊藤「小泉セツの体験はまさにわたしそのものだと思ったんですね
、現実はともかく、言語的に。今のパートナーは、ハロルド・コー
エンといって、イギリス生まれのアーティストです。これからアメ
リカで3人の娘たちと家族やっていきます。

 ただ問題は言語でして、ハロルドは日本語がしゃべれず、上の娘
たちは英語ができず日本語も中途半端、下の娘はまだ何語もできな
い状態。

 わたしは英語はしゃべれても読むのも書くのもだめ。手紙がきて
も読めない。
彼に読んでもらって口に出してもらうとわかる。なりたくてなれな
かった無文字者に英語だとなれるのがすっごく楽しい」

T 下手な発音でごめんなさいと朗読前に断ってましたが

伊藤「いつもわからないと思いながら一生懸命人の英語を聞いてる
でしょ。それが朗読している間は、こっちがどんな英語使おうが黙
ってわたしの言ってること聞いてるじゃないですか。復讐してる、
ざまー見ろって感じですっきりします。

 唇の先で感じる快感もあります。ニホン語でもありますが、英語
の方がもっとあります。朗読しながら、またLとR間違えたなんて
やってて、なんともいえずできない自分がいとおしい。

 自分の言語でないと本当に不自由な感じがしますが、その不自由
さを手がかりに自由を得るのがプロの言葉使いでしょう」

・目の前を流れる言葉をひきよせて歌う

T 「カノコ殺し」では英訳詩を朗読している男性に、伊藤さんが
おはやしのように掛け合ったパフォーマンスでした。練習しました
か。

伊藤「あれはぶっつけ本番。詩の朗読は誰も稽古しません、下手で
成り立っているシロウト芸ですから。打ち合わせでは、どこかで入
るからわたしが何をしてもそのまま読み続けてくれるようお願いし
ました。

 チャンティングは楽しい。最近歌うんです。先月「水俣・東京展」
に呼ばれて石牟礼道子さんのお経のような詩を読んだ時は、何回も
繰り返しているうちにそれなりのメロディーに乗ってきて思わず歌
っちゃいました。向こう側に行っちゃうんです。言葉が目に見えて
流れて行くのをつかんでこっちにひきよせていると、自分の声じゃ
ない声が出てくる」

T 他の詩人の詩も朗読する?

伊藤「他人の詩は基本的には朗読しません。

 2、3年前に中也祭で中原中也の詩を読んだら、子供の時から読
んでいたから血肉になっているんですね、すごく気持ちよかった。
アメリカ・インディアンの口承詩は日本語訳でしょっちゅう読んで
ます」

・詩ははさみや栓抜きみたいに実用的

T 詩は「本来はさみや栓抜きのように実用的」だったと書いてまし
たね。

伊藤「インディアンはトウモロコシの種を蒔いた後で、雨を降らし
てくださいと雨の神様に頼みます。ものもらいが出来た時に、母は
米粒3粒流しに流して直ってくださいとかなんとか呪文を言います。
私がやりたいのはそういったオーラル(口承的)なまじないです」

T どれだけ効くか役にたつかで詩の善し悪しを判断するといいのか
もしれませんね。おまじない的な詩も書いてますか。

伊藤「そこは本当に難しい。私は詩はそうあるべきだと思うんですけ
ど、わたしの中で、現代詩とは書いてそれを紙に印刷してというの
がどうしようもなく刷り込まれてます。書くための技術を使いたく
なり、うまく書いてしまいシンプルな言葉にならない。いけないい
けないと思うんですが、ついついそれにとらわれてしまう。

 まじない的に人を癒すのはむしろ講演でやっています。言葉を出
して母親たちの疲れをほぐしてやったり、拒食症や薬物依存の子た
ちの苦しみをわかちあってやったり。

T それは一種の散文詩?

伊藤「詩と呼べます。わたしたちは詩を現代詩の様式や長さや媒体
にとらわれて考えすぎです。そうじゃなくて、今ここで話している
言葉のひとつひとつが詩です。書かれたものだろうとしゃべったも
のだろうとあらゆる言葉の中に詩はあります。言葉を使わない声だ
けでもいいと思います」

T 「詩人は日ごろのご恩を世間様に返さねば」と書いてるのは、
西洋にはない日本的な言葉です。

伊藤「わたし、古い日本の女なんです。日本的な神秘性を外にも押
し出していこうと思います」

11月2日、ロイヤルフェスティバルホールにて

伊藤比呂美、1955年東京都生、詩集に「青梅」、「家族アート」
、「わたしはあんじゅひめ子である」、「手・足・肉・体」がある
ほか、エッセイ集に、「良いおっぱい 悪いおっぱい」、「居場所
がない!」ほか多数。

デー、スイーテシタ、レトル、オメン(the sweetest little women)、
といつか彼はわたしに教えた、
デー、スイーテシタ、メーン(the sweetest man)、
とわたしもそれを真似した、
口うつしの言語たち、
息、息、
異質の、かえるに似た、こおろぎに似た、
彼はやすやすとそれを発音する、
いちばん最初は、
ナシテ、モーネン(nasty morning)だった、
それからアエ、ハブ、エテン、プレンテ(I have eaten plenty)、
それからアエ、ハブ、ナタ、ハングレ(I have not hungry)、
それからユウ、アーラ、ナタ、ハングレ(You are not hungry)、
あの日わたしははじめて彼の言語に触れえた、
触れてみたら、
言語に対して嫉妬を感じた
この言語をもって、彼は外界とつながっているのである、
(「ナシテ、モーネン」より、「わたしはあんじゅひめ子である」所収)

カノコを捨てたい
汚ないカノコを捨てたい
乳首を噛み切るカノコを捨てるか殺すかしたい
カノコがわたしの血を流すまえに
捨てるか殺すかしたい
わたしは嬰児殺しをしたこともあります
死体遺棄したこともあります
産んですぐやればかんたんです
みつかりさえしなければ中絶よりかんたんです
みつからずにやってのける自信は
いくらもあります
カノコはいくらでも埋められます
埋められたカノコおめでとうございます
おめでとうございます
しないではいられない性交
(「カノコ殺し」より、「伊藤比呂美詩集」所収)

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