327−1.わずらわしさの考察



y_daikaiさん
随分と久し振りの投稿になってしまいましたが、いつも楽しく拝見
させて頂いております。初めの頃何度か投稿しておりました一地方
議員です。

「319−2ビジネスクラス・・・」
いやー大変興味深い事です。
僕は現在35歳。東京下町に暮らしております。
僕の住んでいる地域は少し前まで長屋と言われるような場所が多く
その名残で隣家との距離は人一人通れるかどうかと言った処です。
東京は今年の4月から23区が都の内部団体から独立し基礎的自治
体になり、清掃事業を始めそれらの環境が変わりました。例えば
ゴミの収集もこれまで以上に厳しくなり、一人暮しの方や高齢者に
は判り難くなったのかもしれません。先日ある新婚のご家庭から
こういうメールを頂きました。
「出したゴミを近所のおばさんが中を開け『このゴミは燃えない
ゴミだから・・・』と言って持ってきて怒られた」と言う内容のも
のでした。
たぶん殆どの方はこのメールを見れば「おばさん」を批判する事
と思いますが、僕は違います。
寧ろ出してはならないゴミを出した側が間違っているのではないかと考え
ます。
確かにこのおばさんも行き過ぎ?なところもあるとは思いますが
・・・。
最近集合住宅に入る方は町会の会員にならないようです。
勿論任意加入ですからどちらでも良いのですが、いわゆる
近所付き合いを拒否する方が多いようです。
駅から家までにある商店街(全国一安いと言われTVに良く取り上
げられている)すら利用せずコンビニで全て揃えてしまう・・・
そんな若年世代が多くなってきたようです。
★人に干渉されたくない!★ようです。

僕等が育ってきた環境を振りかえると・・・戦後、遅れを取り戻そ
うと必死になって復興に尽力してきた全ての政党や全国の自治体、
産業経済界etc.に生きる親のもと産まれたのが僕等の世代なん
ですよね。
そうした親の教育により現場そのものが現代社会をこう変えたので
はないでしょうか?
昭和40年前半産まれ頃までは先生に殴られる事など日常茶飯事で
した。いつの間にか「人権」という言葉だけが一人歩きして一部の
PTAや教育の現場で間違った解釈がされてきたのではないでしょ
うか?

勿論、親の世代を批判するつもりはありません。
寧ろ、こう言う「人離れ、地域離れ」状況を少しでも打開しようと
努力しなければならないのは、僕等の世代が頑張らなくてはならな
いのでしょう。

幸かどうかわかりませんが、僕は現在アルツハイマーの祖母の介護
をしながらの生活をしているのですが、こう言う職業柄活動時間が
まちまちで陽が上がる前に家を出る時があります。朝早いので音が
うるさいと思い雨戸を開けずに出かけます。
そう言った時など朝8時を過ぎても雨戸が開かないと、ご近所の方
が祖母が寝ている戸を叩いて「お婆ちゃん生きてる?!」と声をか
けてくださいます。
最近では余り見掛けなくなりましたが、お醤油が少し足りないと、
ご近所を訪ねるなんてーのもありましたね!
程よい距離・・・この距離感が難しいようですよ・・・
『現代社会』は。

y_daikaiより
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yochanです。
はじめてメールいたします。
今回の「沈黙の食事時間」のなかで、わずらわしさという言葉が
出てきたので、本論が多少ずれますが、わたしの感じている事を
すこし述べさせて下さい。
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子供達が小学校、中学校と成長するに当たり、その時々の役員を
担当してきました。現在は中学校で学年委員長をやっています。か
つて自分が学生だったころに、文化祭の実行委員会に参加したりし
て、当時から薄々感じてはいましたが、そういった役員というのは、
客観的にはわずらわしい役には違いありません。ボランティアで
かつ時間的制約を受けたり、良かれと思ってやった事に批判を浴び
たり、あまり報われる仕事とは思えないからでしょう。しかしなが
ら、実際にやってみると、意外な効用が色々と出てきます。例えば
全く面識のなかった方と知り合いになれたり、知らない地域情報を
得る事ができたり、行政との接点を見つけたり、いろいろメリット
が出てきます。ただしそれらはやってみないと実感できないだけに
自主的に役員を引受けて下さる方々が少ないのが悩みです。
この事を世間一般に当てはめてみますと、似たような現象があちら
こちらに見受けられるように思います。つまり能動的に何か行動を
起こす人が少ない、逆にあらゆる事に対して受動的であり、批判は
するが、自らは動かない、参加しない人達の多さです。それは政治
にも言える事でしょう。福祉、自然保護、教育、地域活動、あらゆ
るところにそれが見て取れます。わたしにはそれが今日の「わずら
わしさを楽しむ心」とあい通じるものを感じました。
現代では精神的な余裕が無くなってきている傾向にあるのか、それ
とも、精神的自立が育ちにくくなっているのか、憂慮している次第
です。
Iron1さんがいわれている話し掛けられる事を拒否している様にも
見えるヘッドホンを掛けたまま食事している若者は、恐らく自分の
世界に踏み込まれたくない、もしくは自分の事を話す事がわずらわ
しいと思っているのでしょう。わたしも同様の経験がありますので
Iron1さんの御気持ちは察する事ができます。
この件は教育という視点から捕らえてみても良いと思うのですが、
皆様からのご意見があれば、議論を深めてもらいたいと思います。
よろしくお願いします。

以上

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