323−1.得丸コラム



no.311-12種類の日本人に対して

若い時の苦労は買ってでもしろ、なんてことを言う人がいなくなって
しまったのですね。たまに言う人がいても、自分の都合にいいよう
に若手を使うだけだったりして、、、

どうすればいいのですかね。
得丸
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得丸久文 
no.313-4二世議員について
丘永漢(丘にはおおざとへんがつくのだが)さんの近著「哲学が変
わった」によれば、学者や医者など「者」がつく職業は家業として
受け継ぐべきものだが、画家や政治家などの「家」がつく職業は個
人の資質が大きく作用するので、家業として受け継がせるべきもの
ではないという。非常にわかりやすい説明だと思った。
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Logicさん、お久しぶりです。

Taketomiさん、コメントありがとうございました。

人間は一般に自分の耳に聞こえやすいことだけを聞く傾向がありま
す。

かつて「人間は自分がすでに知っていることしか、新たに知ること
ができない」という命題を紹介しましたが、それと同じです。
では、いったいどうやって「すでに知る」に至るかというと、それ
ほど多くの機会があるわけではないのです。

1 親の教育
2 社会や学校の教育
3 マスコミ
4 本やホームページなど
5 自分で体験して、
6 自分で直観して、神仏の啓示
といったところでしょうか。

1−3は、刷り込みといわれるもので、それらはあなたに対して有
無をいわさずに押し付けられます。嘘も百回言うと本当になるとい
いますが、どんなことでもマスコミや親や学校から言われつづける
とそれを信じるようになります。(共産主義国のプロパガンダも同
じこと)
もちろんたまに反面教師となることもありますが、その場合のほう
が少ない。

では自分で本やホームページを探して、知識を得る場合ですが、
これも危険なのです。

1−3に比べると4のほうがより主体性が発揮されていますので、
知識を得たという実感が得られていいのですが、たどりついた先の
知識が正しいかどうかの保証はありません。

ただ、たとえば一旦井沢元彦さんの本を読んでそれを信じてしまう
と、その本が基準となって、次に他の人の本を読んでも受け付けな
くなってしまうことがあります。

では、5の自分で体験する場合はどうかといいますと、1−4に比
べてより直接的で嘘が入る可能性は少ないのですが、これとてたっ
た一回の経験だったりすると一般化できないので、危険はあります。

6の場合は、オカルト的ですが、自分の意識を清くしておれば、正
しいことを発想できるかもしれません。

申し上げたいのは、1−6のどれも正しいかもしれないし、正しく
ないかもしれない。それらが私たちの判断基準を構築しているとい
うことです。

だから何か新しい意見、自分が知らなかった意見に出会ったときに、
即座に拒否するのではなく、どうしてこの意見を自分は受け入れが
たく思うのだろうか、自分とこの意見はどこが違うのだろうか、相
手の意見を間違っていると思う自分は本当に正しいのだろうかと考
えてみてほしいのです。

この国際戦略コラムとMLは、普段着で、心おきなく意見交換できる
ので大切な場です。

これまでは、他のMLに送ったものも、こちらにコピーとして流して
いたのですが、私の意見が多すぎるというご指摘は受け止めて、こ
れからは改めようと思います。

得丸久文
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(Fのコメント)
得丸さんは、このコラムに新しい芽を入れてくれたように思います。
私もT君も技術者ですので、心の問題を心理学やロジックで解決し
ようとしてしまう。しかし、得丸さんは、違う目で、同じ事を見て
いる。大きく視点が違い、愕然とすることがあり、それをトリガー
に新しい問題の発掘ができることがある。
このため、どんどん違う視点を発言してほしいのです。

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