(Fのコメント) 得丸さんの考え方に賛成です。どうせ所詮、ほ んとのことは分ないのですから、あまり剥きにならずに、議論しま しょう。 古代史はたのしいと思います。いろいろなロマンがある。その歴史 の可能性を、楽しみましょう。 ken→→ 戦争中、皇国史観の大先生平泉澄京大教授(?)が羽織袴 で出講し、「歴史は芸術である」と説いていた。何を馬鹿な!と思 っていたが、今になってよくわかる、たしかにそうだ。「歴史する 目的」というふうな内外の歴史家の論説をいくつか読んだのはもう 30‐40年も昔のことで、すべて忘れ去ったが、事実を究明してさて 何になるといま考えると、ただ楽しかった事だけが残る。 戦後の 一時期流行った「虐げられた人民の歴史」というようなのは後味が 苦いだけだし、たいしてありもしない埋蔵物のかけらを探し出した ニュースも、絢爛たるシュリーマンの発掘物とついつい比較して、 わがヤマトの国の貧困さがおぞましくなるだけ。 邪馬台国か邪馬 壱国か、畿内か北九州か、こうした議論は、議論そのものが楽しい のであって、それ以上のものにしないのがおトなではなかろうか。 勝って人気が湧き、まけてなお人気の、あの阪神タイガースの楽し みぶりを真似て、ひたすら「美しい芸術としての歴史」を楽しもう ではないか。 司馬遼太郎は美しい歴史幻想を書いて「文化」勲章 をもらった。文章力では司馬遼に勝る鬼才藤沢周平が、たとえ長生 きしたとしても、斬ったハッタの小説では文化勲章にはほど遠い。 いわば「正宗の名刀」と、「村正の妖刀」の違いである。歴史家 でないわれわれ庶民が歴史するとき、この違いを知っておくべきだ ろう。 SHN平田さん 「漢字の渡来が5世紀頃とすると、歴代天皇の名前を 割り付けたのはそれ以降の筈です。それ以前のことは、言い伝えか 創作でしかありません。 ken→→ 神武・綏靖にはじまる歴代天皇のイミナのうち、光仁天皇 までは淡海三船(おうみのみふね)が創ったと、旧友大庭脩氏がい っていました。淡海三船は奈良朝末期の和漢学者で、たしかときの 天皇の近親のはず。いま皇學館大學学長の大庭博士には、<ヤマト の所在を論ずる前に、最低この程度の基礎知識を持って欲しい>と いう触込みで、「親魏倭王」という著書があります。 ============================== こだわりすぎかもしれませんが、ひみこ(卑弥呼か日御子か)に関 して、今朝「歴史読本 特集 卑弥呼 ここまでわかった邪馬台国」 (歴史読本2000年11月号)を見つけて、ざっと目を通してみたとこ ろ、卑弥呼=日御子説について以下のようなコメントを見つけました。 「ちなみに新井白石は『古史通或問』のなかで、卑弥呼に「日御子」 の字を当てて天皇のことだと推定している。これは邪馬台国と大和朝 廷を直接に結びつけた解釈で、単純には同意しかねる、、、、」 (「君の名は・・・・・・」長山靖生) 歴史読本に載るくらいだから、それなりのご意見とは思うのですが、 なぜ「単純には同意しかねる」のかが明らかではない。明かにされて いない。 私は、単純に同意してもいいではないかとも思う。 単純に同意できないのは、それまで自分がいろいろと聞いたり考え たことから、かけ離れているからではないのか。つまり自分中心だ。 自分のプライドや記憶や経験などを捨て去って、まったく無垢な意識 で白石の意見に耳を傾ければ、「大いに同意できる」ことかもしれ ない。 ちなみに、長山氏以外で、「卑弥呼=日御子」説について言及して いるものは気づかなかった。 「邪馬台国の卑弥呼」をめぐる議論は、素人や玄人の歴史家たちの それぞれ勝手な夢とまじりあって、混迷を楽しんでいるかのようだ。 (得丸久文、2000.10.10)