319−3.十代の凶悪犯罪に思う



                                              西山重徳

 最近、十代の若者の凶悪な犯罪が頻発し、世の中を騒がせている
のは周知のところである。親が悪い、社会が悪い、教員は何をして
いる、少年法を改正して厳罰にせよ等々やり玉に挙がるのは分から
ないではないが、もっと根本的なところから考えてみたい。

 文明史家のA・J・トインビー著『歴史の研究』によると優位文明
(西欧文明)の挑戦に対する劣位文明(日本文明等々)の応戦には
ヘロデ主義(開国:ヘロデ王はサロメの父)とゼロト主義(攘夷)
があって世界共通の反応のパターンだという。決して日本だけで開
国だ攘夷だと騒がしかったのではない。日本の開国主義による応戦
は類を見ず、とりわけ幕末から明治期の日本の応戦は見事で、特に
日露戦争は非西欧文明の反撃の嚆矢となり、勇気づけられた非西欧
諸民族は独立運動や公民権運動を開始し、第2次世界大戦後にかけて
続々と西欧の植民地は独立し人種差別も表向きはなくなり、現在に
至っている。もはや西欧人だけの地球ではない。ところがあまりの
模範演技の妙技に危機感を抱いた欧米諸国の共同謀議により日本は
敗北させられた後、日本文明の精神を否定され、その意を汲んだ日
本の自虐的インテリゲンチャの跋扈するところとなり精神的退廃は
行き着くところまでいった状況である。この特筆大書すべき日本の
偉大な功績は西欧人が否定したがるのは当然としても、西欧人と中
国人以外皆認めているのに、日本人は気付きもしないで意気消沈し
、頽廃しているのだ。

 『歴史の研究』によると、いわゆるインテリゲンチャは元来「西
欧文明とのインタープリタ」の存在でしかなく、給料はいいが、西
欧人からは馬鹿にされ、自国民からは軽蔑されるべき運命にあると
いう。「どちらの文明にも属しない」存在であるばかりでなく、前
例に従うばかりで、自分から創造的行為をしない、というか自信が
なく出来ない存在であるからだ。それは自らの文明に疎く、引き合
いに出すのはいつも外来優位文明の事である。常に自国文化をを貶
し、外国を持ち上げる。本来比較しようもない問題についてもそう
するのがインテリゲンチャである。江戸時代の漢学者はチャイナを
指して「我が国」といったらしいし、現代にも中国が祖国だったり
、欧米が祖国だったりする人も多いようだ。

 文明の本質についての違いは本来、進んでいるとか遅れていると
かはない。ただ、近代産業社会の成熟については進んでいるか遅れ
ているかの違いはあるだろう。近代産業社会の成立は、西欧人が強
欲に奪い取った広大な植民地とただ同然の植民地人や奴隷貿易で連
れてきた黒人奴隷の搾取を前提に、有り余る需要とただに等しい材
料の供給から作れども作れども間に合わないというなかで産業革命
が偶然起きたことに端を発し、その有効性と優越性から1775年
以降あっという間に世界を席巻してしまっただけのことで、西欧文
明のその他の要素(つまり、工業生産力以外の要素で所謂文化の伝
播力)は日本より優位かというとそうでもない。一時期はその豊か
で豪華な物質文明に魅惑されたが、日本がその工業生産力を手にし
て思えば、西欧文明は大した文明ではないのだな、これが。たとえ
ばその文明の核である宗教にしても、「天地創造神が人間を創造し
た」のは了としても、ならばその神を創造した者は誰かと問われて
も答えに窮する他はないだろう。西欧の歴史の中で、そんな神が命
じるままに異端、異教徒、異人種を殺せと命じたからと、一体どれ
ほどの人間が殺されていったのか見当もつかない。西欧文明はは異
教徒差別と人種差別と身分差別がまだ残る社会だ。その点、禅宗な
どの日本仏教の方が余程に高等宗教だと私は思う。少なくとも宗教
がらみのジェノサイドがない。そろそろ一神教は絶え間のない抗争
と虐殺しか生まないと悟る必要がある。そんな抗争の中から虐殺の
道具として原子爆弾まで作り出す西欧文明に対して幻滅すべき時が
きているのではないのだろうか。文化の程度は日本文化の程度がよ
ほど洗練されているし、浮世絵やアニメに代表されるように文化の
出力から考えても、西欧文明のお里は知れたと考えていい。

 教育や倫理はその文明固有の伝統的なもので、外来文明のシステ
ムに切り替えることは不可能である。戦後の日本ではどこぞの意を
汲んで自ら進んで「どこぞの属国」になろうとし、切り替え不可能
なものを無理矢理に切り替えようとしているから社会が膿み、精神
的荒廃が進んでいるのだ。大人社会が腐ればいかに道徳を子供に教
え込もうとしても子供は馬鹿にするだけだ。大人は偽善で覆い尽く
されたこの社会に、なんの疑問も抱かないが、子供たちはその偽善
を見抜いて唾棄している。大人を笑っている。気付かないのは飼い
慣らされて鈍感なくせ、やけに深刻ぶってみせる大人だ。十代の若
者の特徴的なことは、大人社会の矛盾を堪えられないほど敏感に感
じているのに、反発する気力に欠け退嬰的にいじめや凶悪犯罪とし
て暴発していることだ。

 この期に及んで英語を第二母国語にしようとか、ゆとり教育で義
務教育を週四日制にしようなど的外れの対策話が進んでいるが、い
よいよ日本インテリゲンチャの本性が現前し、自らを信じられない
インテリゲンチャの自虐と無見識から属国街道驀進中というところ
であろうか。

  文明の強さや創造力、見識などは文明固有のシステムに負うとこ
ろの教育から始まるものでそれ以外はない。強烈な郷土愛や社会へ
の信頼感がないところに愛国心もなければ、矜持もなく、気概もな
い。その先にある博愛も人類愛も芽生えてこない。国際人など夢の
また夢だ。日本人の心が荒廃しているのはこの様な本末転倒のため
だとおもう。ようするに問題解決のためには教育内容やシステムを
日本の風土や文化に合わせることなのだ。日本文明を中国の周辺文
明だなんて軽薄なことを言っているぼんくらには、結局何もわから
ないのだ。 いわゆる「有識者」という名のインタープリタに下駄
を預けて置けば益々日本は悪くなり、このまま衰退することになる
だろう。翻訳機械は心もなければ哲学も持ち合わせがないのだから。

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