315−2.岸田秀の史的唯幻論



(管理者Tからのコメント:この論文は引用が多すぎます。著作権
法上、問題の可能性あります。もし、問題であればメールください
。対処します。また、あまり関係ない部分は削除しました。)

いつも興味深く読ませて頂いています。
岸田秀という心理学者をご存知ですか。彼は史的唯幻論と言う説を
唱え、国家や集団を一つの人格と同じようにとらえ、精神分析し、
歴史を検証します。参考までに「二十世紀を精神分析する」から一
部以下に引用します。

S.Y.

二十世紀を精神分析する

  一、史的唯幻論

 わたしは史的唯幻論という説を唱えている。ソ連の崩壊などで今
や放棄されたかに見える史的唯物論がまだ多くの人たちに普遍的真
理であるかのように信じられていた頃、物質的経済的条件で歴史を
説明していたこの理論に対抗して、歴史を動かす最大の要因は幻想
であるというわたしの考えをいくらかふざけて、そして実は大まじ
めにそのように命名したのである。
 今回の連載では、この史的唯幻論にもとづいて二十世紀のいろい
ろな事件や現象を考察してみるつもりである。その前にまずこの説
を簡単に説明しておこう。
 そもそも歴史をもっているのは人間だけである。それはなぜかと
言うと、人間だけが過去を気にする動物だからである。なぜ過去を
気にするかと言うと、一つには、人間には行動選択の自由があり、
あのときああすればよかった、こうすればよかったといろいろ後悔
するからである。なぜ人間に行動選択の自由があるかと言うと、本
能にもとづいて自然のなかで調和的に生きている動物と違って、人
間は本能が壊れ、その行動が本能によって決定されないからである。
 本能とは行動規範であるが、本能が壊れた人間は本能に代る行動
規範をもたねばならない。それが自我であり、人間は自我にもとづ
いて、たとえば自分は男であるとか、社長であるとか、日本人であ
るとかの自己規定にもとづいて行動を決定する。ここに、人間が過
去を気にする第二の理由がある。自我というものを構築した以上、
人間は自我の起源を説明し、自我の存在を価値づけ正当化する物語
を必要とするが、この物語をつくるためには過去を気にせざるを得
ない。
 ところで「人間はいろいろ罪深い、不安な、恥ずかしい、あるい
は屈辱的な経験をせざるを得ないが、そうした経験は自我の物語に
とって好ましくなく、できれば、そのようなことは起こらなかった
と思いたい種類のものである。
 そこで人間は現実の経験を隠蔽し、偽りの自我の物語をつくるこ
とになる。この偽りの物語でうまくやってゆければ好都合であるが
、そうは問屋が卸さない。偽りの物語にもとづいて行動すれば、そ
れが偽りであることを知っている人たちとの関係、それが偽りであ
ることを知っている自分の別の面との関係、現実との関係が障害さ
れ、当人は精神的に病むことになる。このメカニズムは、個人の場
合も、民族や国家などの集団の場合も同じである。個人も集団も何
らかの不都合な経験を隠蔽しているから、多かれ少なかれ病んでい
る。狂い方はそれぞれ異なるが、日本もアメリカもフランスもロシ
アもみんな狂っている。
 要するに、すでにどこかで述べたことがあるが、世界は医者のい
ない巨大な精神病院であり、歴史とは狂った個人、狂った民族、狂
った国家がつくってき、つくりつづけているものである。したがっ
て、世界の歴史は合理的現象としてでなく、病的現象として理解す
る必要がある。この観点から現代を解読してみたい。

 ニ、ペリー来航と真珠湾

 人間は行動の動機を必ずしも意識していない、あるいは当人が意
識している動機は必ずしもその行動の真の動機ではないというのは
精神分析の説くところである。このことは個人にも集団にも当ては
まる。
 歴史を主として動かしているのはそこに参加した人たちが意識し
ていない動機である。その例として、日米開戦と真珠湾奇襲だ。
 当時の政策決定者が意識していた理由は、ご存じのように、アメ
リカに石油を禁輸され、中国と仏印からの全面撤兵を要求され、追
いつめられた日本がこのまま座して死を待つよりはと、戦争に活路
を求め、そのためにはまずアメリカの太平洋艦隊をたたく必要があ
るので、真珠湾に奇襲をかけたというものである。敗戦後、生産力
が日本の十数倍もあるアメリカに戦争を仕掛けるなんて無謀極まり
ないど非難されたが、この開戦の理由は、当時としては一応合理的
である。
 もちろん、アメリカの言いなりになるという選択はあったが、そ
れでは戦わずして負けるのと同じであった。また、アメリカの言い
なりにならずにがんばったとしても、日本は石油を産出せず、石油
の備蓄は数カ月分しかなかったから、このままでは数カ月経てば日
本軍は確実に無力化する。言ってみれば、放っておけば間違いなく
死ぬ、手術はできないことはないが非常に危険で、たいていは助か
らない、しかし、一纏の望みがないことはないといった患者のケー
スで、手術することを日本は選んだのである。
 しかし、この理由が合理的と見えるのはそう見えるだけのことで
あり、日本のこの選択と決断には多くの不合理な動機が隠されてい
る。
 わたしはかねてから、日本は一八五三年にペリーに強姦され、そ
の屈辱感を抑圧したために、アメリカを崇拝する外的自己と、憎悪
する内的自己とに分裂し、一種の精神分裂病者になったと言ってい
るが、わたしの考えによれば、真珠湾奇襲の真の動機はこの内的自
己の暴発である。日本はペリーによる強姦に対して復讐したかった
のである。日本はアメリカと戦争したかったのである(しかし、全
面戦争をしたかったのではなく、ペリーにやられたことをやり返し
たかっただけである。ペリーは戦艦を四隻つれてやってきたが真珠
湾で日本軍は戦艦を四隻撃沈して引きあげている)。そのため・イ
ギリスとオランダだけに宣戦するという、より合理的な方策は検討
すらされない。交渉の余地のあるハル.ノートを最後通牒と見なす。
そのようにして日本はみずからをアメリカと戦わざるを得ないとこ
ろに追い込んでゆく。
 そして、日本軍は真珠湾のアメリカ艦隊を攻撃したが、燃料タン
クや市街地を攻撃しなかったことは、かつてペリーの戦艦に脅迫さ
れたが、それ以上のことはされなかったことと関係がある。また、
日本軍が戦略的には当然やるべき第二次攻撃をやらなかったこと、
真珠湾奇襲以後はアメリカ軍に対する勝ち戦さがほとんどないこと、
それ以後の戦さはどういう目的と戦略があって戦ったのかさっぱり
わからないものばかりであることは、真珠湾の第一次攻撃でペリー
への復讐を遂げて満足してしまったからだと考えられる。

  三、戦争犯罪と謝罪

 ドイツは第二次犬戦中のナチスの罪悪を悔い改め、徹底的に追及
しているが、日本は十五年戦争中の日本軍の罪悪を真剣に反省せず
、適当にごまかしているとよく言われる。確かにそう見られても仕
方がない点は少なくない。しかし、そのあとに「だからこのままで
は日本はダメで、ドイツのように……」とつづくと、昔ながら毎度
おなじみのメロディのリフレインであることがわかる。
 外国と日本との相違にも、場合場合によってそれなりの理由があ
るのであって、その理由を検討せず、日本が外国のようになれば一
件落着というわけには必ずしもゆかない。
 この場合の日独の違いについても、いろいろな理由が考えられる
。一つは、過去に対する日本人と欧米人のこだわりの程度の違いで
ある。日本人は過去を水に流すのをよしとし、自分の罪悪だけでな
く、相手の罪悪も欧米人ほどしつこく追及しない。戦後の日本人は
日本国民に多大の不幸と惨禍をもたらした日本軍部の指導者たちを
もあまり深く追及していない。
 次に、ナチスの戦争犯罪(戦争犯罪とは捕虜を虐殺したとか、戦
争行為に付随して起こる犯罪のことであって、ナチスはユダヤ人と
戦争していたわけではないのだから、ナチスのユダヤ人虐殺は戦争
犯罪ですらないと西尾幹二氏は言っているが)は敵国人ではないユ
ダヤ人を公的機関が計画的に大量虐殺したものであって、日本軍の
犯罪とは根本的に異なる。敵国人でない者に対する犯罪という点で
これに匹敵するのは日系米人を強制収容所に入れたアメリカの犯罪
ぐらいであるが、アメリカは収容した日系人を虐殺してはおらず、
その罪はナチスよりはるかに軽いにもかかわらず、この問題につい
ては公式に謝罪している。そのアメリカも原爆投下については謝罪
しないし、日本兵捕虜の虐殺についても謝罪しない。
 第三に、きわめてそっけない言い方であるが、国の謝罪というも
のは、実際問題として良心の発露としてというより、勢力関係のな
かで行われる。スペイン人はこの上なき卑劣さと残虐さでインディ
オを騙し、大量虐殺したが、スペイン人がインディオに謝ったこと
はなく、わたしの知るかぎり、そのことでスペイン人を非難した欧
米人はいない。イギリスがインドやビルマに、フランスがインドシ
ナ三国に、オランダがインドネシアに謝罪したという話もまだ聞か
ない。
 ドイツがナチスの罪過を謝るのは、ユダヤ人の国であるイスラエ
ルが同盟国アメリカに大きな発言権を持っていることと無関係では
ない。ソ連がシベリア抑留日本兵の問題について謝罪とまではゆか
ないが、いくらか遺憾のジェスチャーを示しはじめたのは、日本の
援助が欲しくなってからである。
 最後に、東京裁判のために戦後の日本人の罪悪意識がずれてしま
ったことも理由の一つであろう。日本人は、中国人や朝鮮人をはじ
めとするアジア人にはすまないことをしたと思っているが、正直な
ところ、アメリカ人、イギリス人、オランダ人などには悪いことを
したとは思っていない。さきにアジアを植民地化し、日本を脅迫し
た奴らのほうがもっと悪い、少なくとも喧嘩両成敗だと思っている
。日本人が罪の負い目を負っていないアメリカが正義の名のもとに
日本を戦争犯罪人として裁き、処罰したため、何やら不当に因縁を
つけられて無実の罪で罰せられたといった思いが尾を引き、本来持
つべきアジア人への罪悪の自覚が妨げられていると思われる。

  四、ソ連邦の崩壊

 昨年はあれほど堅固だと思われていたソ連があっさり消滅して世
界を驚かせた。ロシア革命のためにどれほど多くの血が流され、ソ
連の体制を守るためにどれほど多くの人が粛清されたかを思うと、
一体全体この大いなる犠牲は何のためだったのかと、底知れぬむな
しさを感ぜずにはいられない。
 しかし、ソ連は崩壊すべく崩壊したのである。わたしはすでに十
年以上前にあるところに「ソ連帝国のように内外に多大の無理を重
ねている国家が長つづきするはずがない」と書いているが、まさに
ソ連は「内外に多大の無理を重ね」たために崩壊したのであった。
もちろん、ソ連は伊達や粋狂で無理を重ねたのではなく、そのよう
に追いつめられたのである。ここにわたしはソ連帝国と大日本帝国
との類似を見ざるを得ない。両帝国には共通点があり過ぎるほどあ
る。
 第一に、大日本帝国は一八六八年(明治維新)から一九四五年(敗戦
)までの七十七年間、ソ連帝国は一九一七年(十月革命)または一九二
二年(ソ連の成立)から一九九一年までの七十四年間または六十九年間
つづき、その存続期問がほぼ同じである。これは国家というものが
無理してがんばれる限界の年月なのであろう。
 次に、両帝国とも西欧への劣等感、被害者意識、侵略される恐怖
が建国の動因であり、国策の基本であった。ソ連は、かつてモンゴ
ルに支配され、近くはナポレオンに侵略されたロシアの被害者意識
を受け継ぎ、さらに革命時の諸外国による干渉戦争によってますま
す被害者意識に凝り固まったが、この点はペリーによる強姦の屈辱
、欧米列強に植民地化される恐怖を動機として文明開化と富国強兵
の道を進んだ明治政府、ひいては大日本帝国も同じであった。
 ロシアが共産主義に飛びついたのは、西欧への劣等感から逃れる
ために西欧より上位に立つ必要があったからである。共産主義の理
論によれば、人類社会は原始共産制奴隷制-封建制-資本制-共産制と
いう段階を辿って進歩する。西欧先進国はブルジョワ革命を経て封
建制を脱し、資本制の段階にある。したがって、西欧を陵駕するた
めにはプロレタリア革命を遂行して共産制へと進めばいいわけで、
ロシアが西欧より上位に立つには、共産主義理論を信じて、共産革
命を実現するしかなかったのである。
日本が西欧への劣等感から逃れるために信じたのは、万邦無比の国
体、万世一系の天皇であった。
 被害者意識、侵略される恐怖は必然的に軍事大国化を招く。軍事
予算が国家予算の過大な部分を占める。工業化をあせる。その結果
、これまた必然的に民生が無視され、弱い層である農民が収奪され
る(ソ連の穀倉地帯であるウクライナの農民の大量餓死、日本の女
工哀史)。民衆の不満をごまかすために元首が崇拝される(スターリ
ン崇拝、天皇崇拝)。被害者意識の強い者ほど恐ろしい加害者にな
るという法則通りに、ロシアはヨーロッパ、イスラム圏、シベリア
の多くの民族を支配してソ連帝国を築き、日本は朝鮮、満州を植民
地化し、アジアの諸民族を支配して大日本帝国、大東亜共栄圏を築
く。そして、両帝国とも口を揃えて諸民族の融和を説く。ソ連はわ
がソビエトには民族問題は存在しないとうるさいほど強調していた
し、大日本帝国の友邦である満州国は五族協和の国であるはずであ
った。

  七、コメ問題

 わたしはかねがねコメの自由化拒否は、何でもさせる娼婦がキス
だけは拒否して辛うじて誇りを保っているようなものだと言ってい
るが、これも敗戦後の内的自己の表れの一つであろう。実際、日本
政府はアメリカに対して他の点では卑屈なほど協調的であるだけに
、この点に関するかたくなさはひときわ目立っている。
 言うまでもなく、コメの自由化拒否には合理的現実的根拠がない
。いろいろ根拠は挙げられるが、つまるところ一種の攘夷論である
。「一粒たりとも入れぬ」という言い方からもそれはわかる。「い
ざというとき、コメぐらい自給できるのでなければ、日本国民は餓
死の危険にさらされる」ということも言われるが、「いざというと
き」とはどういうときなのか。世界の国々に断交され、いっさいの
輸入が途絶えたときのことか。それなら要するに戦争状態であるが
、人口が三千数百万だった江戸時代ならいざ知らず、現在の日本で
輸入が途絶えれば、日本は確実に飢饉になる。米作だけが健在であ
ってもどうにもならない。
 日本の米作を守るためにそのような戦争状態を想定し、そのとき
に備えるためという根拠を持ち出すこと自体、米作を守るというこ
とがどういう心情に発しているかを語るに落ちている。コメは内的
自己の砦、自主独立の誇りのシンポルなのである。そして、日本の
自主独立の誇りは現実には傷つけられ危くされているだけに、せめ
てそのシンポルだけは是が非でも守らねばならない。
 したがって、コメ問題は合理的な損得勘定では動かない。日米交
渉において、日本はコメの自由化拒否を認めてもらうために他の問
題での多大の譲歩をたびたび強いられている。アメリカは自国の自
動車産業に関して実際には自由貿易の原則に反する政策を取ってい
るが、コメで弱味のある日本は文句が言えない。コメの自由化を拒
否する日本政府の対外的言いわけは、理屈にも何にもなっていない
ので、しばしば嘲笑されるが、日本は嘲笑に甘んじていなければな
らない。しかし、こうした大きな犠牲を払っても、コメだけは守ろ
うとするわけである。
 コメを自由化すれば日本の米作はたちまち潰滅してしまうという
被害妄想的思い込みも、コメが単なる食糧ではなく、日本人の誇り
のシンポルであることを示している。外の風に当たればたちまち消
えるか細いローソクの火のようなコメは、アメリカの力にさらされ
て危くされっ放しの日本人の誇りのシンボルでなくて何であろうか。
危くされている誇りについての不安がコメに投影されているのである。
 日本の米作農民は、単なる食糧生産者ではなく、日本人の誇りを
守るという国家的事業に携わっている国家公務員である。農地法は
この国家公務員の世襲制と身分を保証するための法律である。莫大
な補助金は国家公務員の給料とでも考えなければ説明がつかない。
 「一粒たりとも入れぬ」というコメ自由化拒否のスローガンの勇
ましさは、幕末の攘夷論の勇ましさ、敗戦前の本土決戦論の勇まし
さと一連のものである。ある朝めざめたら開国あるいは降伏という
ことになっていたのと同じようなことが、コメに関しても起こるで
あろう。

  八、資本主義はなぜ世界を制覇したか

 国内の話をつづけたので、今回は世界に眼を転じてみよう。ごく
おおまかに言えば、近代という時代は西欧(アメリカも含めて)の資
本主義をめぐって転回したと言えよう。西欧資本主義のために世界
が荒され、多くの文化が滅ぼされ、あるいは滅ぼされないまでも脅
やかされ混乱させられた。十九世紀半ば過ぎの明治維新も二十世紀
初頭のロシア革命も、西欧資本主義の脅威に対するリアクションと
考えることができる。
 ロシアが西欧の脅威に対抗してつくりあげたソ連帝国はさきほど
崩壊した。ロシアの共産主義は西欧の資本主義に敗北した。だから
と言って、資本主義のさまざまな欠陥の批判から出発した共産主義
が理想としてまで消滅したわけではないと言えるし、世界にはまだ
中国をはじめとしていくつかの共産国家が残っているのだから、共
産主義が現実の政治勢力として滅亡してしまったわけではないが、
はっきり言って、資本主義対共産主義の勝負はすでについたと思わ
れる。
 他方、日本は西欧資本主義に対して大日本帝国という形で対抗し
ていったんは失敗したものの、その後めざましい経済発展を遂げ、
今や西欧に追いつき、ある面では追い越している。資本主義は西欧
に発生し、西欧以外では日本に根づいたわけである。
それはなぜかの問題に答えるためにはまず、資本主義とは何か、西
欧とは何か、日本とは何かの問題に答えなければならない。このよ
うな大問題に簡単に答えられるわけはないが、あえて簡単に答えて
みよう。
 いつものことながら、人間は本能の壊れた動物であるというのが
わたしの出発点である。本能が壊れたままでは生きてゆけないので
、人類のさまざまなグループは壊れてバラバラになった本能の諸断
片を拾い集め、何とかある人為的な形にはめ込み、その形にもとづ
いて生きてゆこうとした。この形がすなわち文化であり、それぞれ
特定の文化を形成したグループが部族とか民族とかである。
 それぞれの文化はそれぞれの部族や民族に固有の自前のものであ
った。信じている神も自前のもので(部族神など)、一般にはその部
族や民族(以下、単に「民族」とする)の始祖とか創造者であった。
その文化とその民族とは内在的にわかちがたく結びついていて、そ
の民族はその文化のなかで比較的に安定していた。もちろん、本能
の壊れていない動物が自然環境のなかで安定しているほど安定して
いたわけはなく、壊れた本能の諸断片を一定の形に無理やり抑え込
んでいるわけだから、つねにその形を突き破って噴き出てこようと
する本能の断片に脅やかされてはいたが、祭りなど、その種の葛藤
を解消する装置も文化に組み込まれており、比較的には安定してい
たのである。
 しかし、例外があった。他の文化を押しつけられ、固有の自前の
文化を放棄させられた不幸な民族がいた。ヨーロッパ民族である。
ヨーロッパ民族だって、ゲルマン神話などからわかるように、はじ
めは固有の神、固有の文化をもっていた。それを口ーマ帝国の植民
地になったために放棄させられたのである。ヨーロッパ民族のこの
不幸が人類の災厄の根源となるのである。

 九、続・資本主義はなぜ世界を制覇したか

 自前の固有の文化のなかに住んでいる民族においてすら、民族と
文化とのあいだには、動物とその自然環境とのあいだにおけるよう
な調和はなく、多かれ少なかれ齟齬があるのだから、固有の神、固
有の文化を放棄させられ、他の神、他の文化を押しつけられたヨー
ロッパ民族においては、その齟齬ははるかに大きく、したがって彼
らはその文化のなかでより居心地がわるく、文化の枠を破って躍り
出ようとする壊れた本能を抑え込むのにより困難を感じていたと考
えられる。
 第一に、自前の神ならば寛大に鷹揚にふるまって民族の信仰と服
従が得られるが、外来の神であるキリスト教の神をヨーロッパ民族
に信じさせるためには、いやが上にも厳しい戒律が必要であった。
キリスト教が普遍性を僭称したのも、普遍的であるとしなければ押
しつけを正当化できないからであった。さらにその上、ヨーロッパ
民族は、押しつけられたローマ帝国の宗教と文化をあたかもみずか
ら進んで採択したかのように歴史を歪曲し隠蔽した。
 この自己欺瞞を補完するため、ヨーロッパ文化とは何の関係もな
く、あとからイスラム文化を介して間接的に伝わってきたに過ぎな
いギリシア文化をおのれの直接の起源とし、イスラム文化の影響を
否認した。ヨーロッパ文化がギリシア文化の嫡子であれば、ギリシ
ア文化の後塵を拝するローマ文化と肩を並べることができ、ローマ
文化に支配された事実を隠蔽できるからである。
 これらの自己欺瞞によって、ヨーロッパ文化は内部に脆さを抱え
込んだ。人類文化を一つの生命体に譬えれば、ヨーロッパは病原菌
がいちばん多く巣喰っている患部であった。近代にこのもっとも脆
い個所が裂けて、人類の壊れた本能のマグマが噴き出したのである
。噴き出したマグマが資本主義という形を取った。
 本能が壊れたということは、糸の切れた凧のように環境条件から
切り離され、限度を知らない無数の欲望があらゆる方向に飛び跳ね
ているということである。すでに述べたように人類のさまざまな文
化はこの状態を何とかある形にはめ込み、限度のない欲望にブレー
キをかけてきた。そのブレーキがヨーロッパではじめて外れた。そ
の結果、人類の文化が封じ込めていた、本能の壊れたままの状態が
再現した。これは恐るべき無秩序の状態であるが、ある意味では人
類の本来の自然な状態であった。これがすなわち純粋な資本主義社
会なのである。言いかえれば欲望の無制限な解放と弱肉強食の世界
であった。
 資本主義はいわばブレーキなき文化であるが、ブレーキなき文化
は、当然、ブレーキのある文化より強い。早い話が、武器というも
のはおたがいの害にしかならないので、ブレーキのある文化では発
達が抑制されるが、ブレーキなき文化では武器の発達にもブレーキ
がない。両文化の武力対決の結果は明らかである。また、ブレーキ
のある文化はブレーキによって辛うじて欲望を抑制しているのだか
ら、あとさきのことを考えなければブレーキなき文化はどうしても
魅力的に映る。その魅力は麻薬の魅力と相通じている。資本主義文
化が世界に蔓延した一つの理由である。

  十、続々・資本主義はなぜ世界を制覇したか

 西欧(アメリカを含む)以外で、なぜ日本だけが西欧の資本主義文
化を受け入れることができたのであろうか。
 一言で言えば、それは日本が一つの首尾一貫した体系としての固
有の文化を持っていなかったからである。通例、民族の文化は民族
の存在そのものと一体不可分であって、文化を失えば民族は滅亡す
る。近代西欧諸国の脅威に直面した日本以外の諸民族が西欧に敗退
しつづけたのは、おのれの固有の文化に執着したからである。彼ら
は愚かだったのではない。西欧に滅ぼされた民族は、固有の文化を
捨てて生存することに価値を見出せず、それよりは滅亡することを
選んだのである。中国だって、西欧に対抗するためには西欧の技術
を採用する必要があることは十分知っていたが、技術と結びついて
いる西欧の思想を容認できなかったため、不利を承知の上であえて
採用しなかったのである。
 ところが、固有の文化を持っていない日本は西欧の技術ひいては
文化を採用しても、たいしてアイデンティティを脅やかされなかっ
た。もちろん、それまでの伝統文化はあったが、いわば借り着であ
ったから、容易に脱ぎ捨てることができた。固有の文化を持ってい
ないという点で、日本は西欧と同じく世界の諸民族における例外な
のである。また、このことを隠蔽し、歴史を歪曲したという点でも
日本は西欧と同じであった(日本がどのように歴史を歪曲したかに
ついては長くなるので、別の機会に述べたい)。ユーラシア大陸の東
端と西端に同じように固有の文化を持たない二つの奇妙な民族が成
立していたのである。
 要するに、日本が西欧文化を速かに採り入れることができた理由
は、西欧文化が近代に至って急激に発達した理由と同じなのである
。西欧も借り着の文化なので、従来の伝統を捨てて次から次へと新
しい服に着換えることができたのであり、それが「進歩」とか「発
展」とか呼ばれたのである。
 日本と西欧は、同じく借り着の文化とは言っても、もちろんいろ
いろ異なる点はある。その違いは、日本と西欧がそれぞれ影響され
たり支配されたりした中国帝国とローマ帝国の違いに起因すると考
えられる。ローマ帝国は周辺の民族を植民地化し、その固有の文化
を奪って徹底的にローマ化しようとしたが、ご存じのように、中国
帝国はそれほど押しつけがましくなく、頭を下げて学びにくれば教
えてあげましょうといった態度であった。とくに日本は、その列島
が大陸から文化の影響を受けないほど遠くはなく、容易に侵略され
るほど近くはないという幸運な位置にあったため、中国の先進文化
に圧倒されながらも、ある程度自主的に中国文化を取捨選択し、日
本固有の文化のいくらかの要素は残すことができた。
 しかし、ローマ帝国に直接支配された西欧にはそのような余裕は
なかった。歴史上、西欧民族ほどそのアイデンティティを根こそぎ
にされ、ひどい目に遣わされた民族はいない。最初に文化のブレー
キが外れ、資本主義という病気を発病したのが西欧であったのはそ
のためである。西欧ほどひどい目に遣わされなかったが、いろいろ
な点で西欧に似ていた日本が次に発病するのである。

  十一、近代国家の成立

 本能が壊れていない動物においては、本能にブレーキが組み込ま
れている。ある条件下、ある限度内でしか攻撃行動をしないとか、
発情期に一定の形でしか性行動をしないとか。本能が壊れた人類に
おいては、本能のブレーキの代りに文化のブレーキが設定された。
さまざまな民族がつくった固有の文化には神々がいて、いろいろな
タブーが張りめぐらされていた。当の民族はそれらのタブーの起源
や理由を知らないのだが、全体として社会秩序の維持に役立ってい
るのであった。
 固有の文化を放棄させられた西欧民族においては、固有の文化に
伴っていたタブーも消し去られ、その代りにキリスト教の戒律が押
しつけられた。この戒律は、自生のものであるタブーと違って押し
つけられたものであるだけに、どうしてもある程度は従わせられる
低抗感があり、したがって人々に納得させるためにその起源と理由
を説明する必要があった。そのため、キリスト教の戒律はタブーと
違って必然的に意識的、自覚的なものとなる。つねにその正当性を
立証しつづけなければならない。西欧に神学やスコラ哲学が発達し
たのはそのためである(この伝統は哲学や思想に形を変えてまだつづ
いている)。
 しかし、その努力はもとより無理な努力であった。人々を納得さ
せる決定的な理由などあるわけがないからである。その無理は必然
的にあちこちで綻びはじめた。世界の諸民族のなかで西欧民族ほど
、とくに中世の終り頃から、凄まじい殺し合いをしてきた民族はい
ないが、それも綻びの徴候であった。そして、近代においてついに
決定的な破綻が訪れた。神を信じつづける者もいたが、一部の者は
無理な努力に疲れ果て、神を殺してしまった(ニーチェ)。もちろん
、外来の神だから殺すことができたのであった。
 神を殺し、神の戒律を破棄した西欧人は解放感を味わった(近代の
自由)が、同時に恐るべき無秩序に直面した。この無秩序、欲望の無
制限な解放と弱肉強食の状態が資本主義の出発点であった。もちろ
ん、無秩序状態のままでは人間社会は成り立たないから、何らかの
秩序、何らかのブレーキが必要である。そこで発明されたのが理性
という幻想であった。神の秩序にもとづく社会に代るものとして、
理性に秩序づけられた社会が構想された。ルソーの社会契約論はそ
の一例である。すなわち、各人は理性を具えており、理性にもとづ
いて最善の社会形態を判断し、相互の対等な契約によってそれを実
現するというわけである。このような考え方にもとづいて成立した
のが近代国家であるが、資本主義の無秩序を抑え込むための装置で
あったと言うことができる。
 近代以前の国家とくらべての近代国家の特徴を列挙すれば、国家
主権の至上性を主張すること、国境に神経質なこと、絶えず拡張し
ようとし、植民地を持ちたがること、しょっちゅう戦争しているこ
と、そのほか、ナショナリズム、法治主義、公教育制度などである
が、これらの特徴はすべて、前記の目的とからんでいる。そして、
近代国家はこの目的を実現するのに失敗するのである。近代国家が
次々と成立したため、全体として世界はますます無秩序へと転落し
てゆくことになる。

  十二、近代国家の罪過

 理性にもとづく秩序を打ち立てようとした近代国家がなぜ逆にま
すます無秩序をもたらしたのか。それは理性というものが人間のご
く狭い一面しか表しておらず、したがって理性を規準にすれば、こ
の規準に合わない多くの要素を排除しなければならず、排除された
多くの要素がいつかは反乱を起こすからである。
 近代国家が国家主権の至上性を主張し、神経質に国境を守ろうと
し、すきあらば拡張しようとするのも、国境の内と外とを厳密に区
別し、無秩序(エントロピー)を外へ排泄して、内において理性の秩
序を確立するためであった。そして、理性の秩序をできるかぎり広
めようとするわけだから、当然、拡張主義となる。必然的に衝突が
起こり、戦争が頻発する。近代戦争とは自国に発生する無秩序を相
手に押しつけるためのものであり、近代国家は戦争をやっていない
かぎり内の秩序は安定しないのである。
相手が同じ近代国家ではなく、軍事的に弱い国かいわゆる未開民族
の場合には、一方的な侵略と植民地化が行われる。近代西欧国家の
植民政策の特徴は、植民地化された民族の文化を徹底的に破壊し、
理性にもとづくと称する西欧文化を押しつけ、そして、その押しつ
けを野蛮人を教化する善なる行いだと正当化していることである。
 これは強い者にやられたことを弱い者に対して反復するという心
理的にはごく単純な、よくあるメカニズムである。いじめられっ子
が自分より弱い奴を見つけると、その子を自分がやられた通りにい
じめるのがその一例である。西欧民族は、野蛮人と見なされておの
れの文化を破壊され、他の文化を押しつけられたという、かつてロ
ーマ帝国にやられたことをアジア・アフリカ、アメリカにおいて反
復したのであった。このやり方は、他民族を征服し支配し、苛酷に
搾取しはしたが、被征服民族の宗教や文化には干渉しなかったモン
ゴル帝国のやり方と際立った対照を成している。
 国外の他民族を、理性を欠いた未開民族と見なして理性の文化を
押しつけようとし、押しつけに従わなければ絶滅させようとした同
じやり方が国内の、理性を欠いていると見なされる人たちに向けら
れる。理性にもとづく秩序を維持するためには各人が理性を具えて
いなければならないから、理性を欠いている人たちを何とかしなけ
ればならない。たとえば精神病者である。理性を取り戻すまで精神
病者を収容しておく施設として精神病院が創設され、精神病者に理
性を取り戻させる方法として精神医学が誕生する。しかし、これは
マッチポンプのようなものであって、精神病そのものが近代の理性
主義の産物なのである。理性的であることを強要された個人は理性
に反する心的要素を排除して無意識へと抑圧せざるを得ず、抑圧さ
れたそれらの要素が抑圧の壁を破って溢れ出てきたのが精神病の症
状なのだから。
 同様に、まだ理性を発達させていない存在として子どもが発見さ
れ、子どもの理性を発達させるための施設として学校が創設され、
公教育制度が成立する。子どもは理性を具えたおとなになるまで学
校という施設に強制的に閉じ込められる。

  十二、近代国家の妄想

 近代西欧人が理性と呼んだものは、要するにキリスト教の唯一絶
対の神の後釜であった。このことは神と理性の多くの共通点からも
明らかである。神と理性との唯一の違いは、神は個人の外にあり、
理性は個人の内にあるという違いで、それ以外の違いがあるとして
も、この唯一の違いから派生した違いに過ぎない。理性とは、いわ
ば外なる神を殺して内在化したものであって、なぜ西欧人がそのよ
うなことをしたかは、すでに述べた。
 神と理性の共通点を挙げれば、まず第一に全知全能性である。も
ちろん、個人の内にある理性が全知全能であるということは、あま
りにも事実に反しているので、あからさまには主張されないが、こ
の誇大妄想は、あれこれの条件つきであれこれの口実のもとにスキ
があれば噴き出してくる。
 理性はときには誤るかもしれないが、究極的には無謬であって、
いつかは真理に到達できるという信仰もこの誇大妄想の一形態であ
る。そして、全知全能の神が世界を創造したのだから、全知全能の
理性だって同じことができないはずはないと考えられ、この誇大妄
想にもとづいて世界の創造が試みられた。その第一回目の試みがフ
ランス革命である。
 フランス革命は『創世記』に記述されている世界創造のやり直し
であった。まず、時間と空間がつくり直される。一週間が七日とい
う神の秩序が廃止され、一週間は十日となる。メートル法が採用さ
れて空間が合理的に組織される。ルイ十六世をはじめとする王侯貴
族、そのほかとにかく旧秩序に属すると見なされた人たちが大量に
ギロチンで処刑されて世界の住人が新しくなり、パリの街路のほと
んどは改名されて世界は新しい名で呼ばれる。神の秩序の代りに法
の秩序が制定される。「全地は同じ発音、同じ言葉であった」(『創
世記』第十一章)原初にならい、少なくともフランスの国家権力が及
ぶかぎりフランス語で統一しようとして、アルザス語やブルトン語
などの方言が弾圧される(成功しなかったが)。
 これらのことからもわかるように、フランス革命は抑圧された民
衆が腐敗した支配階級を打倒して権力を握ろうとした運動ではなく
、必ずしも抑圧された民衆ではないある種の人々が全知全能の理性
にもとづいて新しい世界を創造しようとした誇大妄想的企てであった。
 ロシア革命はフランス革命のコピーであるが、コピーはオリジナ
ルより過激になるという一般法則の例に漏れず、理性の誇大妄想性
をさらに強める。たとえば、共産主義の計画経済は、国家と人民に
とっての最善の需要と供給のあり方を理性によって計算し、実行で
きるという前提に立っていたが、この前提は誇大妄想の最たるもの
であろう。
 神と理性の第二の共通点は、その普遍性、絶対性である。このこ
とは必然的に、普遍的、絶対的である神または理性に従わない人々
に対する軽蔑、差別、残忍さを招き、かつそれを正当化する根拠と
なる。理性信仰は絶対神信仰に優るとも劣らぬ大量殺人をもたらし
た。この殺人の恐ろしいところは、単に大量に行われるだけでなく、
正義の名のもとに平然と行われることである。

  十四、フランスの狂気

 すでに述べたように、個人の場合も集団の場合も、そのようなこ
とは起こらなかったと思いたい苦痛な、不安なあるいは屈辱的な事
件が避けがたくときには起こる。そのとき、誰しもそのような事件
の経験を否認し、その記憶を抑圧し、その意味を歪曲しがちである
。そうすれば、一時の気休めにはなるが、その結果必然的に狂気に
陥る。狂気とは現実からの離脱であり、個人も民族も国家も都合の
悪い現実から眼を起らせば、眼を逸らした程度に正確に比例して狂
うことになる。
 どのような個人も集団も都合の悪い現実から多かれ少なかれ眼を
逸らしており、したがって多かれ少なかれ狂っているが、フランス
という国家に関して言えば、近代においてこの国が狂いはじめ、い
まだに狂いつづけている端緒となった事件はフランス革命である。
大革命は誇大妄想に駆られたあげくの一大愚行であった。一七八九
年のバスティユ襲撃から一八一四年の王政復古までの二十五年間に
、外国人の被害は別としてフランス人だけで二百万人が死んで(殺さ
れて)おり、経済的、社会的、文化的損害は測り知れない。それだけ
大きな犠牲を払って実質的に得たものはほとんど何もない。得たの
は「自由、平等、兄弟愛」というむなしいスローガンだけであった。
ここで都合の悪い現実の隠蔽と正当化のメカニズムが働く。フラン
ス国民はこの大きな犠牲がムダだったと思いたくなかった。愚行を
犯したとは思いたくなかった。そこで実質的成果の伴わない「自由
、平等、兄弟愛」のスローガンが普遍的、絶対的価値のある高慢な
理想にまで高められ、この理想を実現するためだったとして、すべ
ての犠牲と愚行が正当化された。フランス国民は人類普遍の理想を
最初に掲げ、その実現へと邁進した栄光ある国民だということにな
った。
 それ以降、フランス国民は空虚な理想の追求と、その理想に反し
た現実とのあいだに引き裂かれ、行きつ戻りつを繰り返している。
実際、「自由」は混乱と無秩序とテロルをもたらしただけであった
。フランスは現在なおがっちりした階級社会であって、「平等」が
実現されたことはもちろん、真に追求されたことも一度もない。フ
ランス人は自分のことを自由を愛する個人主義者だと思っているこ
とが多いが、現実のフランス人はその逆とは言わないまでもその点
で他の国民より際立っているわけではない。つまり、現実のフラン
ス人は「自由」にも「平等」にもあまり関係がないが、断乎として
そのことを認めない。それを認めれば、大革命が大いなるムダ、愚
行であったこと、フランス国民が栄光ある国民ではないことを認め
なければならなくなるからである。
 革命以後のフランスの歴史はこの都合の悪い現実を見まいとする
が見ざるを得ず、またふたたび見まいとし、またふたたび現実に引
き戻されるという葛藤を繰り返している歴史である。ルイ十六世を
殺しておいてナポレオンという独裁者を引き込んだというのが典型
的だが、第一共和制から第一帝制、王政復古、七月王政、第二共和
制、第二帝制、第三共和制、ヴィシー政権、第四共和制、第五共和
制(実体はドゴール独裁制)へとめまぐるしく逆転するフランスの政
体はこの葛藤の症状であろう。

  十五、続・フランスの狂気

 フランス革命の愚かさと無意味さを隠蔽し、正当化するために、
フランス国民はフランスこそが人類普遍の理想、自由と平等と人権
の思想の発祥地であり、したがって普遍的文明の中心であるという
一種の中華思想、大国意識を持つに至った。古代から一大文明の発
祥地、中心であり、現在も領土的、人口的に世界に大きな割合を占
めている中国が中華思想、大国意識を持つのはわかるとしても、フ
ランスのそれはいかにも奇異である。しかし、フランスにはそのよ
うな自己欺瞞的誇大妄想を持たざるを得ない心理的必要があったの
である。一つ嘘をつけばその嘘がバレないようにするために嘘に嘘
を重ねなければならなくなるのは、自分に対する嘘、すなわち自己
欺瞞の場合も同じである。フランスは、それ以後その中華思想、大
国意識のために身を誤り続けることになる。つまり、国力の正しい
評価ができず国力以上のことを企てて失敗したり、大国の誇りを傷
つけられるようなことが起こると、それを認めまいとしてかえって
傷を大きくするといったことを繰り返す。
 ナポレオン時代の再現を夢見て、ナポレオンの甥というだけの凡
庸な男を大統領に選び、ついで皇帝にしてしまい、メキシコ遠征や
普仏戦争の愚を犯させたのもその一例だが、根拠のない大国の誇り
を持とうとしたフランス国民のあがきがもっとも典型的に見られた
のは、第二次大戦中のナチによる占領の屈辱に対する反応において
であろう。
 フランス国民はひたすらこの屈辱を否認しようとした。そのため
につくられたのが例のレジスタンス神話である。実際、第二次大戦
中ドイツに占領された国でドイツと一体化しようとした国はフラン
スだけで(ヴィシー政権)、占領下のフランス人はナチにむしろ積極
的に協力していた。ナチに対して勇敢に抵抗し、反逆したのは、一
九四三年のワルシャワ・ゲットーの反乱、四四年のワルシャワ市民
蜂起に見られるように、ポーランド人であった。ところが戦後、ポ
ーランド人のレジスタンスのことはあまり語られず、フランス人は
ナチに占領されるとただちに国民が一丸となってレジスタンスをや
ったかのように喧伝された。やった者がやったことをあまり知られ
ておらず、やらなかった者が大いにやったかのように伝えられてい
るというこのコントラストは非常に面白い。
 コントラストと言えば、ナチに対する勝利において大いに功績の
あったチャーチルが戦後のイギリスであまり人気がなく、すぐ政権
から追われ、戦争中は安全なロンドンから負け犬の遠吠えをしてい
ただけのドゴールが戦後のフランスで救国の英雄のようにもてはや
され、死の前年まで大統領の地位にあったというコントラストもこ
れまた非常に面白い。イギリス国民は戦争がおわれば戦争屋のチャ
ーチルにはもう用がないと冷静に判断したのだが、屈辱を否認しよ
うとしていたフランス国民は大国フランスの幻想をふりまくドゴー
ルを必要としたのである。ドゴールは内容のない誇りを高く保とう
とするという点でフランス人の代表のような人物であった。そのほ
か、時代の趨勢を見ず、いたずらに植民地のインドシナとアルジェ
リアにしがみついて彼我に多大の無用な損害を招いたのも大国フラ
ンスの幻想を手離したくなかったからであろう。

  十六、植民地解放

 二十世紀も終りに近づいたが、二十世紀初めの世界と現在の世界
を比べてみると、目につく違いの一つはあれほどあった植民地がほ
とんどなくなったことである。とくにこの前にはソ連帝国が崩壊し
たため、東欧が解放されただけでなく、共和国という名の旧ソ連の
植民地も解放されつつあり、今や残っている植民地はごくわずかで
、それもそのうち解放されるであろう。
 このような植民地の消滅は人類が進歩し、ますます正義が実現さ
れるようになったためであるとも考えられるが、必ずしもそうとは
言えない。正義には何種類もあるからである。二十世紀初めには、
非西欧世界を支配し、西欧文明を伝えるのは西欧人の権利であるだ
けでなく、義務でもあると西欧人は考えていた。西欧人は、非西欧
人を虐待し搾取しているつもりはなく、主観的には正義のために重
荷を背負っていたのである。西欧人が植民地を獲得し維持し得たの
は、このような正義の幻想を信じていたからであり、植民地人もま
た西欧人のこの幻想を受け入れ、そして、西欧人の力を信じ恐れて
いたからである。ソ連とその植民地に関してもまったく同じであっ
て、ソ連帝国が存続し得ていたのはひとえに共産主義の正義が信じ
られ、ソ連軍の強さが恐れられていたからであった。
 要するに、植民地は植民勢力の正義の幻想と力の幻想との二つの
幻想に支えられているのだから、この二つの幻想が崩れさえすれば
植民地はたちまち消滅する。アジアにおける西欧の植民地を支えて
いた二つの幻想が崩れたのは、日本が戦争を惹き起こして西欧植民
勢力に挑戦し、一時的に勝利し、最終的に敗北したからである。
 一時的に勝利した日本軍は占領地のアジア人の眼の前で捕虜にし
た西欧人を支配し使役し侮辱した。西欧人女性を慰安婦にした。こ
のことが西欧人は強く、服従するほかないとのアジア人の幻想を打
ち砕いた。支配1-服従関係は幻想にもとづいているのだから、幻想
が崩れれば終りであった。たとえば、日本敗北後のインドネシア独
立戦争で、日本軍が訓練したインドネシア兵が独立軍の主力になっ
たとか、日本軍が連合軍に禁止されたにもかかわらず、独立軍に武
器を横流ししたとか、多くの旧日本兵が独立軍に加わったとかのこ
とはあったが、そうしたことよりも、日本軍の占領中に日本人に卑
屈に服従していたオランダ人を見てオランダ人に関する幻想が崩れ
、日本敗北後に戻ってきてまた主人づらをしようとしたオランダ人
をインドネシア人が腹の底から馬鹿にしていたことが独立に成功し
た最大の原因であった。日本軍がとくにその独立のために力を貸さ
なかったベトナムでも、戻ってきたフランス人が結局は追っ払われ
たことからも、それはわかる。
 連合国は正義の名のもとに、敗北した日本を侵略者と決めつけ、
植民地を放棄させたが、この正義の原則にもとづき、西欧植民勢力
を含む連合国が全面的に正義で、アジアの植民地解放のために戦っ
た面がないではない日本を単なる侵略者とするのは無理であった。
この無理が回り回って結局は西欧の正義幻想を疑わせ、揺るがせる
ことになった。アジア各地を占領し、一時的にせよ植民地化した日
本を侵略者として非難すれば、その非難は植民地をもつ西欧諸国に
返ってくるからである。日本軍に協力してインパールに攻め込んだ
インド国民軍の兵士を反逆罪で裁こうとしたイギリスの裁判がイン
ドの民衆の反発を招いて頓挫し、イギリスの正義が貫けなかったこ
とがインド独立のきっかけとなったのもその一例である。もちろん
、日本は日本のために戦ったのであって、アジア解放を第一目的と
して意図したわけではないが、意図したかどうかはさておき、日本
がアジアの植民地解放に果たした役割は大きかった。

  十七、侵略者か解放者か

 前回は日本がアジアの植民地解放のために貢献したかどうかの問
題を論じたが、この問題に関しては正反対の二つの見方がある。一
つは皇国史観の見方で、東亜の盟主、日本はアジアを搾取する西欧
植民帝国に義憤を感じ、アジア解放のために断乎立ちあがったとす
る。もう一つは、東京裁判史観の見方で、帝国主義国家、日本はア
ジアを侵略し、植民地にしようとしたのであって、アジア解放はそ
の口実に過ぎなかったとする。
 この二つの見方はともに一面的であろう。アジア解放が日本の侵
略の口実に過ぎなかったかどうかは微妙な問題であってそう簡単に
は決着がつかない。日本の軍部の首脳のなかにも、主観的には心か
ら日本はアジア解放のために尽くすべきだと考えていた者はいたし
、末端の日本兵にはこの目的のために真剣に戦っていた者は大勢い
た。
精神分析においては、ある主観が自己欺瞞かどうかを判定するには
、行動とその行動がもたらした現実の結果を見ればよいわけで、主
観と現実の結果とが矛盾していれば自已欺瞞だと判定して間違いな
いのであるが、日本の対米英蘭戦争は現実の結果としてアジア解放
をもたらしており、言ってみれば、主観と現実の結果が一致してい
るわけで、この場合の日本の主観が口実でしかなかったとするのは
いささか無理である。
しかし、日本は現実に朝鮮と満州(中国東北部)を植民地にしており
、占領地の人間を労役に使い、産物を奪い、大いに搾取してもいる
わけで、侵略者の面は否定できない。
 この問題はアメリカの南北戦争で北軍が掲げた奴隷解放のスロー
ガンが南部支配の口実に過ぎなかったかどうかの問題とよく似てい
る。小中学生向けの歴史教科書にはもちろん、北軍はこの崇高な目
的のために戦ったことになっているし、実際、北軍の将軍や兵士の
なかに主観的にはそう信じていた者が少なからずいたことは確かで
ある。北軍に加わって戦った黒人も大勢いた。
 しかし、このスローガンは戦争がはじまってしばらく経ってから
唱えられはじめたこと(日本のアジア解放のスローガンも宣戦布告文
のなかにはなく、戦争がはじまってしばらく経ってから唱えられた
)、また、肝腎のリンカーンが必ずしも奴隷解放論者でなかったこと
はよく知られており、要するに、北部はその発達した産業資本の勢
力下に南部をおきたかっただけであって、奴隷解放のスローガンは
、道義的に南部を追いつめるため、また、イギリスやフランスが南
部の側につく道義的理由を奪い、それを防ぐためのものでしかなか
ったと言えなくもない。奴隷解放を唱えながら、北部自体の内部で
はけっこう黒人を差別しており、タテマエとホンネの矛盾も目立つ。
しかしまた、南北戦争の現実の結果として、黒人奴隷が解放されは
じめたことは事実であって、奴隷解放におけるこの戦争の意義は否
定できない。
 日本の問題に返れば、日本はアジアに対して侵略者と解放者とい
う二つの矛盾した顔を持っているわけであるが、この矛盾は明治維
新が孕んでいた矛盾であり、近代日本が抱えつづけている矛盾であ
る。脱亜入欧をして、西欧の一員となり、西欧と同じようにアジア
を侵略し搾取するか、あくまでアジアの一員として他のアジアの諸
国と手を組んで西欧に対抗するか。日本はまだこの矛盾から解放さ
れていないと思われる。

十八、日本人はなぜ不機嫌か 外的自己と内的自己の相剋の中で

 近代日本が一八五三年のペリー・ショックのために、欧米諸国を
崇拝し、欧米諸国に屈従する外的自己と、欧米諸国を憎悪し、誇大
妄想的自尊心に立て籠る内的自己とに分裂し、その分裂状態はまだ
続いているという見解を発表してからもう二十年ぐらいになるが、
今なお事態は全然変っていないようである。
 ここでは分裂し、内的自己から切り離されて浮遊する外的自己の
症状を主として問題にしてみよう。個人の精神分裂病の場合も同じ
であるが、外的自己は、内的自己から切り離されているため、自分
と敵(内的自己から見たところの-以下同じ)と同一化し、敵の立場に
立って内的自己を攻撃する。敵を崇拝し、敵と同じようになろうと
する。外的自己には、自分が敵と同じような正しい優れた存在にな
るのを妨げているのは内的自己であると見え、外的自己は内的自己
の「無知と傲慢さ」にいらいらする(他方、内的自己には、外的自己
は「恥知らずの裏切り者」と見える)。近代日本において、外的自己
の症状はさまざまな形で表れたが、とくに戦後から現在に至るまで
の症状を列挙してみよう。
 第一の症状は占領軍を解放軍として歓迎したことである。大東亜
戦争を無謀で愚かな侵略戦争と断定し、東京裁判史観の立場に立っ
て戦争遂行に力を貸した日本のあらゆる要素を断罪し、それまでの
歴史と絶縁した新しい民主主義日本を建設しようとしたのは典型的
な外的自己の症状と言えよう。戦前の皇国史観、戦争中に猛威を振
るっていた本土決戦、一億玉砕、神州不滅の妄想などの内的自己の
症状に対する反動としてこれらの症状が生じてきたのであろうが、
一瞬にして正反対の極に走るのが精神分裂病の特徴である。
 次にこの症状は占領軍総司令官マッカーサー元帥への日本国民の
大量の手紙に表れている血日本をアメリカ合衆国の第四十九番目の
州にして欲しいと頼んでいるのや、元帥の子どもを産みたいので、
どこそこで待っているから来て欲しいという誘いなど、昨日までの
敵の大将に対してよくもこのようなことを考えつくものだと驚かざ
るを得ないようなものが多数あるが、なかでも目立ったのは、誰そ
れは連合軍捕虜を虐待したとか殺害したとかの密告の手紙であった。
なかには根も葉もない中傷もあったが、事実をありのまま通報して
いるのも多く、占領軍はそれらの密告を手掛かりに大勢の戦犯を逮
捕し処刑することができた。占領軍は日本人の「協力ぶり」に感謝
するというより驚いたとのことである。
 第三の症状は全面的なアメリカ崇拝と急激なアメリカ化である。
国家形態から日常生活の些事に至るまで日本的なものはすべて野蛮
で封建的で遅れているとされた。民主主義が水戸黄門の印籠のよう
な有無を言わせぬスローガンとなった。アメリカで起こった社会現
象は数年遅れて必ず日本でも起こると言われ、日本人はアメリカの
現在を見て日本の未来を予測した百終始アメリカ一辺倒の戦後の日
本政府もこの症状の一環であろう。
 言うまでもなく、戦後五十年を経た今日でもこれらの症状は依然
として続いている。
 白人国でもないのにテレビのコマーシャルその他の広告にこれほ
ど白人が登場する国は日本をおいて他にはない。ファッション雑誌
に日本人のモデルが登場することはめったにない。今や日本はいろ
いろな面で世界の最先端を行っているので、白人の知人に「日本人
は白人に劣等感を持っている」と言ってもなかなか信じてもらえない。
ところが、日本にやってきて広告を見ると、彼らは納得する。消費
者は広告に登場する人物と同一化して、その人物が消費する商品を
買う気になるのであるが、日本人は同じ日本人より白人とより容易
に同一化するわけである。ついこの前も『おとなのイギリス人、子
どもの日本人』という本を見かけたが、日本人は欧米人をイデアル
ティプス(理想型)とおき、日本人をまだそこに達していないとして
非難し叱咤する習癖が明治以来まだ抜けないらしい。これも外的自
己の症状である。
 このあいだの細川首相の侵略戦争発言に見られるように、東京裁
判史観はまだまだ根強く生きている。また、マッカーサー元帥への
密告の手紙の主と同じように、敵(内的自己から見たところの)と同
一化し、あたかも日本人ではないかのように敵の立場から、日本人
の戦争犯罪を糺弾する日本人も途絶えることなく次々と輩出してく
るようである。かの密告の手紙の主にしても、推察するに、密告と
いう卑劣なことをしているつもりは全然なく、(アメリカの)正義の
立場に身をおいて日本人の犯罪を告発したのであろう。南京大虐殺
事件に関しても、また同じように最近の従軍慰安婦問題に関しても
日本人の告発者が次々と現れたが、彼らも主観的には正義の士であ
ることに一点の疑いもない。彼らの言説が客観的にも正義にもとづ
く正しい言説であるか、それとも、いたずらに内的自己を攻撃する
のをこととする外的自己の症状であるかは、その言説が論理的に首
尾一貫しているかどうかによって判定できるであろう。たとえば、
日本の戦争犯罪に関する細川首相の謝罪は外的自己の症状であると
言わざるを得ない。彼の謝罪が首尾一貫するためには、彼は日本と
は比較にならないほど雇人な犯罪を諸民族に対して犯しつづけてき
たイギリスにも謝罪を要求して然るべきである。しかし、彼は来日
したイギリス首相に対して日本の犯罪を謝っただけであった。
外的自己はひたすら内的自己を攻撃するのに急で、それ以外のこと
は眼に入らず、言説に一貫性をもたせる余裕はない。
 外的自己のさまざまな症状を挙げてみたが、もちろん、内的自己
が正しいと言っているのではない。内的自己も外的自己に劣らず病
んでいる。病んでいる外的自己と病んでいる内的自己とが対立し葛
藤しているのが明治以来の日本の状況である。このような状況のな
かで生きているわれわれ日本人に心の晴れる日がないのは当然であ
ろう。心の晴れる日がないのは仕方がない。しかし、かつて日本人
は内的自己に引きずられて対米戦争をはじめ、国を誤らせたが、今
度は外的自己に引きずられて同じように国を誤らせるのではないか
とわたしは不安である。
==============================
(FとTから)
 この論文を載せるか、どうか2人で大議論になったのですが、
岸田さんの本論文は、非常に面白いので、著作権問題になったら、
削除することとして、載せました。私たちは、古本屋に行って元本
を買いました。皆さんも、本屋に行って、岸田秀「20世紀を精神
分析する」文芸春秋を買ってください。お願いします。

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