314−4.靖国神社について



何時も楽しく、この国際戦略コラムを読ませて頂いています。
さて、靖国神社の話から第2次大戦の評価を問う話となっています
が、先日読みましたヘレンミアーズ女史の「Mirror for Americans
:Japan」は非常に参考になります。

当時のマッカーサー占領時代に発禁となり、1953年、「アメリ
カの反省」として発行、歴史に埋もれ、1995年に再発行されま
した。 タイトルは「アメリカの鏡・日本」です。

豊富なアメリカ側からの資料を駆逐して日本の行動がアメリカの鏡
、そして西洋の正義、そのものだったと説いています。 非常に
説得性があり、戦争の評価に幅を与えています。 ご参考までに。
「kobewine」より(六甲山、港、ルミナリエそして神戸ウィン)
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(Fのコメント)
kobewineさん、ありがとうございます。その通りですね。
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ふる@鶴川 (BBSより)
「NO.306-3靖国神社」での、靖国神社の戦犯合祀問題について

kishizukaさんwrote
> それから閣僚の靖国神社参拝が問題になるのは、戦犯が靖国神社に
> 祭ってある為に中国などからなぜ東京裁判で戦犯になった人を閣僚
> が参拝するのだという抗議になっているようです。
> 東京裁判自体がでたらめなのは、いまや周知の事実ですし、
> 日本の宗教観からすれば、死ねば戦犯だろうが、犯罪者だろうが「
> ただの人」という意識と悪い人は「死んでも悪い人」という海外の
> 意識との差が問題になっているのでしょう。

Fさんwrote
> 中国の反対は、A級戦犯も合祀しているためですから、野中幹事
> 長は、A級・B級戦犯を別に移すと言って、大問題になったことが
> あります。これは、日本の伝統に従うしかないはずです。野中さん
> に私も反対です。

 お二人の意見が別物と理解されそうなので補填します。戦犯合祀
問題は、kishizukaさんの言われた民族的思考・宗教観の差が根本問
題です。日本人は、死ねばたとえ悪人でもあっても慰霊されるが、
中国・韓国では死んでも悪人は悪人。
 
 中国の南宋(十二世紀)の民族英雄・岳飛をまつった杭州郊外の廟
内には、彼を謀殺した時の宰相・秦檜の石碑が建てられており、廟
を参拝した人が石碑につばをはき、憎しみを表す習慣があるそうで
す。
 従って、善悪をはっきりさせる彼らからすると、A級戦犯を合祀
(ごうし)した靖国神社に閣僚らが参拝するのは、「戦争犯罪人を神
として崇められるのか!」という理屈になるのですね。

 産経新聞の記事ですが、日露戦争での二〇三高地攻防戦に先立ち
両軍が死闘を演じた中国・旅順郊外の東鶏冠山に、日本の戦友会が
建てた戦死者の慰霊碑のある丘の頂上から少し下った所に小さな日
本語で刻まれたロシア軍指揮官の小さな慰霊碑があるそうですが、
「これは日本人がロシア軍をからかうために建てたものです」とベ
テランの中国人通訳が言ったそうです。
 同行した日本人記者が異議をとなえて、「死者に敵味方はない。
立派に戦った敵将に敬意を表すのが日本の武士道精神だ」と述べた
ところ、通訳は驚いた表情で言葉を失い、数日後、「長い間日本人
と付き合ってきたが、日本人の考え方を初めて知った。なぜ靖国神
社にA級戦犯をまつるのかも」と話したそうです。
 
 なかなか他国の文化・歴史・国民性は理解されにくいですが、
それを理解されるために、国内外に配信するのもメディアの役割だ
と思うのですが、日本のメディアは何のためにあるんでしょうね。
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干し柿仙人です

   以前にも表明した通り、カレン・ヴァン・ウォルフレン氏の賛
同者です。
彼の『人間を幸福にしない日本というシステム』の中に日本の
民主主義はまだ可能性でしかないことが記されています。
   私は自分自身の行動で、日本には、権力からの不当な制限に対
し意見をのべ行動する市民がいないことを不気味に感じた後、上記
の本を読んだのでウォルフレン氏の主張が非常によく理解できまし
た。

   ただ、出版元の毎日新聞社も著者自身も本気で日本の民主化を
行なう気はないようですが。

   そのウォルフレンの主張自体、日本人に受け入れられることが
なかったのに、なぜ私如きに、皆さんに「日本が民主主義国でない
」ことを納得させられるでしょう。無理だと分かっているから、
仙人になろうとしてがけから転落した先人の名を借りて活動してい
るのです。

   本当は、日本だけが特殊な国であることを示す書籍が探せば、
かなり存在するのですが、政治に興味のある人が読むような本では
ないので、このMLをお読みの方の眼にふれることはないでしょ
う。
長い海外体験のある方や日本での暮らしの長い外国人が日々の生活
を書いたような本を読んでみてください。特に日本で子供を育てる
ことだけはしたくないという外国人(西洋、東洋とわず)が多いこ
とが分かるはすです。

話は変りますが

>話を戻します。
>私が質問しているのは、何故問題になるにもかかわらず、
>閣僚が「国家の代表」(公人)として一宗教団体の行事に参加
>し続けるのでしょうか。
>             神楽坂 紅梅

同意見です。どんなに言葉を重ねられても、直接の答えは一度も
帰ってきていませんよね。
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(Fのコメント)
日本国家と個人の契約履行するため、公人の参拝を必要としている
のです。それが過去のことであっても、そこでの契約はやはり、
契約なのです。戦後はそのような契約を国民との間で行っていない
ため、個人の自由に任せることも必要なのでしょう。
私Fは、それ以上の意見を持っていない。それ以上明確に答えるだ
けの見解はない。最低、個人の宗教の自由や、政治家個人の自由は、
許す必要があると思うだけです。

 日本の民主主義の仕組みを改革しても、そこにいる日本人の意識
が変わらないと、ウォルフレンの言うような日本になるのでしょう
が、それは、制度の問題ではないため、政治だけでは解決できない。
 それを政治に求めて、独裁主義にするような暴挙はやめた方がい
いと思うのです。

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