313−3.西洋文明の根底



NO.310−2西洋文明の根底に対して

Fさん(or 清水先生)「そして、現代には、米国を中心としてグロ
ーバリズムを言い始める。しかし、グローバリズムは、西洋の考え
方による世界統一のことで、英語を無理やり標準語化しようとして
いる。日本人には、表現豊かな漢字・カタカナ・ひらがなを持って
いる。このため、概念の広がりが、非常に大きい・・・・。」

→→ken  米国が言い始めたからといって、グローバリズムが西洋
の考え方による世界統一だとは言うのはチョットどうも。むしろ、
日本の伝統だとか風土だとか言って、自分たちを特殊化しようとす
る、いわば「精神の鎖国化」傾向がそうした被害妄想を生む原因に
なっているとは考えられないだろうか。「なにかあるとすぐ[日本の
風土]と特殊化したがる、それがつまりは日本の風土である」と、先
年12チャネルでオーギュスタン・ベルク先生(ref. 筑摩-[風土の日
本])にやっつけられたことを想起したい。米国の言う「普遍的人権
」も同じで、それをいますぐ実行できない中国の方に負の特殊性が
あるのであって、「普遍的人権」やグローバリズムがより理想であ
るのは言うまでもない。

 英語は米国によって恣意的に世界標準語化されているのではなく
、産業や世俗文明で彼らがあまりにも勝ちすぎたためのなりゆきに
過ぎない。 じじつ今でも、米国でちょっとハイカラぶろうとすれ
ばラテン語を使い、フランス語の高級ブランド商品が存在し、電気
製品でもPanasonicという代りにMatushitaと言いたがるシリコンバ
レー人たちが居ることを知るべきである。 

日本語の表現が豊かで、概念の広がりが大きいのは結構なことだが
、反対に、定義付け(definition)を求めるばあいはどうにもなら
ない。はやい話が「神社と寺院」や「神と仏」の区別を知っている
日本人は殆ど居ない。京都見物のガイジンに「これが清水テンプル
で、あれが平安シュライン」と説明すると、「ちょっと待った、テ
ンプルとシュラインはどこが違うのだ」と聞かれ、テンプルはお寺
で、シュラインは神社と、目では分っていても、さてその神と仏が
どうちがうか、絶句せざるを得ない。
(フランスのリセの教科書「哲学講義」では、その第2巻の前半数十
頁を割いて「神」の定義を説明している。)

 語の意味を特定したいとき、ボクはまず縦軸に日本語を置き、横
軸に英語なりフランス語なりを置いてその交わる点で、その語の意
味を特定することにしている。
日本語だけでは意味が紛らわしくて他人に誤解を与えるから。
もっと困るのが日本語の読み方。満州にあった建国大学出身の韓国
人の友人が言う、「いちばん困るのは日本女性のなまえの読み方。
勝手気侭な漢字の読み方だから、どんな漢字が書いてあっても女性
ならヨシコさんと呼ぶことにしている。するとほぼ50%あたってい
る」文学言語としての日本語の情緒性は誇るべきかも知れない。
が、産業言語としては、もうどうにもならないような気がします。

Fさん 「英語による国際化は、日本も避けて通れないと考えてい
ます。このため、日本語のほかに英語ができる人を多くした方がい
いと思います。英語は日常使わないと、直ぐにおかしくなるため、
日常の中にもっと英語があってもいいと考えています。日本語がメ
インであるのは、当たり前ですが。」

→→ ken 文学言語としての日本語の情緒性は誇るべきかも知れな
い。が、産業言語としてはもうどうにもならないような気がします。
はじめ「集積回路」と称したのが、ほぼ「IC」で統一されかけてい
る時代に、新たに出現した「e-mail」 をなぜか「電子メール」と
呼んでいる。日本は初めからテレビだったのに、台湾では電視機と
称した。 
魔法瓶、蓄音機などは明治情緒ゆたかで結構だが、弁証法や演繹法
などという言葉は、いまどきそうとう日本語の出きる人でも意味を
測り兼ねている。これからの時代は日常の中にもっと英語を取り入
れるべきでしょう。Fさんの主張に全面的に賛成です。 

Fさん 「日本の歴史は、自然との調和を大切にする文化とともに発
展し、日本が他国を侵略するのは、例外事項であった。欧米の文化
にはいつも侵略、強奪、戦いの匂いがする。このため、精神的にい
つも張り詰めている文化です。それに比べると、日本の文化は、く
つろぎがある。和気藹々とした平和な環境にある。」

→→ken 日本が他国を侵略するのは例外事項であった・・・は、侵
略するほどの力が無かっただけで、力さえあれば大いに侵略したか
ったのではなかろうか。太閤秀吉が脳梅毒であったにしろ、倭寇の
大将が王直という中国人であったと言い訳したにしろ、日本人の海
外雄飛の精神、つまり侵略志向は、残念ながら脈々と伝えられてい
たと解釈する方が正解。 桃太郎の鬼が嶋征伐や、冒険ダン吉を嬉
々として受け入れ、青島から済南鉄道までをわが版図に組み入れよ
うとした侵略志向や、三国干渉で遼東半島を還さねばならなかった
ときの全国民あげての悲憤慷慨ぶりは、たとえ満州国五族協和の精
神がほんとうであったとしても帳消しできないわれわれの恥部です。
 なるほど日本文化にはくつろぎがある。しかしそれは花鳥風月、
自然にたいする情緒にほぼ限られ、こと他人に対する思いやりの無
さについては、innocent(無邪気?)だけでは済まされないと思い
ます。 ものごとを客観的に見ず、「事実よりも意識において激し
く興奮するサガ」を起爆剤として、相手が弱そうならば猛然と戦い
を挑むファナティクな性質を、われわれが持っている(可能性があ
る)ことを、謙虚に反省すべきである。 過去の歴史を見るかぎり
、侵略が西洋人の専売特許とは思いがたい。だからこそ、近隣諸国
がいまなお「東洋鬼」としてわが国を警戒しているのではなかろう
か。

Fさん 「地球が有限であるため・・・必要なのは、和や自然との融
合の文化です。この問題は再度、議論したいと思います。日本の
役割を考えてください。」

→→ken 「自然との融合の文化」はわれわれが誇る伝統的文化遺
産といってもいい。しかし、「和」の方はどうか? 聖徳太子を持
ち出して説く「和」は、論理やけじめを無視し、その場かぎりの妥
協を得るための便法に過ぎぬのではなかろうか。 
例えばこの「国際戦略コラム」。議論のほぼすべてが世界の国々を
相手どり、マキャベリやメッテルニッヒのごとく 、小説の世界のご
とく作戦を練ろうとする気構えが躍動してい、相手の立場を積極的
に理解し、同情しようとする態度がはなはだ希薄であると、見たの
はボクの僻目であろうか。それにもかかかわらず世界は善意外交の
方向へ徐々に進んでいる。その適例が隣りの半島にある。国際戦略
(学?)の専門家がいかに分析しようと、最近の南北歩みよりの最
大の原因は、両国首脳がお互いに相手を抹消しようとする旧来の態
度を引っ込めたからに他ならない。これは倫理道徳の問題ではない
。きびしい国際戦略の一技術として、「善意の相互共存」という
strategyが採用され、それが成功を収めつつあるのである。

それが、わが国際戦略家たちは、いまなお外国を不信の目でみるこ
とに熱中し、60年まえ、100年まえ、300前に彼らがいかにわれわ
れを侵略したかをあげつらい、あるいはまたまだ近代化されていな
い地球上の一部の国々の争いを見て、われわれ先進国間の問題に当
てはめ、それを他山の石として戦略を練ろうとしている。 善意と
いうstrategyにまで気が及んでないような気がする。この状態では、
日本が平和のための役割に参加するなどとはおこがましいのではな
いでしょうか。 最悪の状態は想定し、その用意はしておくべきだ
ろう。だからといって、それを理由に最強の武器である善意外交を
おろそかにすべき時代はとっくに過ぎ去った。 いまや善意外交の
技術を、腕に撚りをかけて磨くトキなのだ。 Fさん、どう思われま
すか? 
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(Fのコメント)
日本だけが、侵略したダメな国ではなく、欧米は500年以上も
他民族侵略をしてきたのです。この事実を認めてほしいと思い、
「破約の世界史」をご紹介した。日本は倭寇で、中国等に海賊まが
いのことをしていたのは事実ですが、国を挙げて侵略した歴史は、
秀吉の朝鮮の役と明治以後です。しかし、中国は戦後チベットを植
民地したり、欧米は日本のそばまで侵略してきて、日本も弱ければ
、植民地にされる可能性があったのです。このため、自分の生存を
かけ、欧米の真似をしたのですが、何時の間にか日本だけが、侵略
国家で、欧米・中国は正義の味方のようになっているのです。最低
でも、それはおかしいと言っているのです。
 私が欧米・中国も侵略国と言うと、直ぐに、日本の方が欧米より
侵略するおかしい国だと言う人が出てきます。しかし、もう少し公
平に事実を見て欲しいと感じますね。

 日本の欧米人対応は、欧米の戦闘的な議論ではなく、寡黙に欧米
人の話を聞いていることではないかと思うことがあり、このままで
は日本が誤解されると、常々感じているのです。
この寡黙さ、微笑は、NOと言いたくない感情と、防衛的な寡黙の
ような気がするのです。ここに日本の環境が影響しているのでしょ
う。
日本では、根回しや腹芸が必要で、会議で喧喧諤諤の議論をすると
、精神的な問題が発生するのですから、微妙な感情を読む必要があ
ります。このような日本にガイジンは、我慢ができないようです。
正常な議論ができないのですから。これは「和」の悪い面でしょう
が、皆が他人の精神状態まで気配りをする日本は、気を使うのです。

日本のような気配りを米国ではしないようです。それの方が私は好
きですが。そのため、自分が何かしようとすると必ず議論や要求を
する必要があります。このシステムも慣れればいいのですが、日本
の同僚に対する気配りは凄いスキルのような気がします。このため
、日本では同僚ではない他人に対する気配りは基本的にできません。
 このため、欧米に比べて、NGOやボランティアのような赤の他
人に興味を向けることができないのです。

 もう1つ問題ですが、現実の日本は、全ての局面で負けています
。米国から金利を下げろと言われれば、そのようにして日本人1人
1人が貯金した資金を米国に貸し出し。中国からODAが欲しいと
言われれば、出し。

 中国から軍事的な脅しを掛けられても、黙っていろという意見が
、出てくるような国ですから、もう少し日本の主張を出してもいい
のではないですかと言っているのです。あまりにも、日本は受動的
だと思われるのです。日本は軍事大国になる必要もないが、米国の
属国である必要もないと感じます。日本は今後も、世界に対して、
援助大国であった方がいいし、戦争や暴力で他国と戦うのは、絶対
よくない。平和を志向するべきであり、世界の善意の相互作用を促
進するような援助やNPOに参加するべきだと思います。

 しかし、現実問題として、紛争地域はあり、日本の大使館がそこ
にあるときは、日本人保護を考えると、大使館の防衛はどうするか
ということも考える必要があるのです。理想だけではダメでしょう。
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いつも大変興味深く拝見しています。
今回の西洋文明に関して、私もちょうど今ロシアにいるので、こち
らに来て感じたことなど、少し発言させてください。

まさに、おっしっしゃるとおり、西洋人というのは人種を問わず、
自分を正統化するためになら、どんな理屈でもこじつける人々だと
実感しています。

ロシアはある面、西洋と東洋の混じったところがありますが、それ
でも、タタール(モンゴル)は単なる野蛮人であったような、歴史
的にもそういう理解しか、ほとんど示していない気がします。

また、自分の国の栄光のためなら、適当に歴史を書き直すのは、ソ
連時代か、いつからかやってきたことのようで、アルメニア人の知
識人に言わせると、モスクワ発見者と今や称えられているユーリー
・ドゴルスキーという人物ですら、実際はアルメニア人で、それを
後にスラブ名に勝手に変えてしまったという話です。
(これは、実証されてはいませんが、彼の郷土の寺院の紋章はたし
かにアルメニアの正教会のものに、極めて似ていたのはたしかです)

実際、一般市民には全く侵略や共産主義によって、隣国に対して
どれくらいの被害を被らせたか、などという自覚は皆無で、たしか
に、彼らの単純さゆえ、悪気がないのは分かるものの、日本人のよ
うに、一切のことを自らの罪にしてしまう民族との(やってないこ
とまで、謝ってしまうような国民性?)あまりの落差に愕然とする
ことが、しばしばあります。

特に戦争関係の記念日でも、いまだに国民的な祝日で、大々的にそ
ういうときにだけ、派手なことをする辺りも、まったくもって、
反省という文字のかけらも感じられず、チェチェン人は「人種的に
教育を施してもどうしようもないような、野蛮人である」と、一般
の人も思い込んでいて、実際にどうなのか知りませんが、そういう
人種偏見はいまだに根強いです。
(ちなみに、ユダヤ人に対してもかなり偏見があるようです)

私はロシア人のことが決して嫌いではないし、全面的に西洋的な
合理主義でないところが、ロシアの深さだと思っています。
それでも、一般に社会的な常識程度の低さには、正直言って参って
いますし、だから、経済が発展しないというのも、実によく分かる
のです。
(個人の責任感というものがほとんどない)
また、公共の道徳というものが、あまりにも欠落しているというか。
特にモスクワはひどいです。

店などに行くと、例によって共産主義の化石みたいな店員がいて、
「ありがとう」という言葉はロシア語では死語か?
と思いたくなることも、しょっちゅうです。
そういった、一般常識の欠落、社会性のなさを、ソ連時代のせいに
なんでもしたがる傾向がありますが、それは単にロシア人の教育が
精神面で、欺瞞的であることの結果のように思ったり。

最近はそれに加え、ソ連崩壊後の精神面のダメージと、アメリカの
持ち込んだ物質的な文化が浸透しつつあり、いい意味で守ってきた
ロシアの精神文化を凌駕する寸前の危機的状況です。

しかし、どう贔屓目に見ても、ロシアという国自体は、いまだに国
民を騙し続けて戦争をして、さらに偽の歴史で自分の国の非はほと
んど認めないような教育をしているのは間違いないです。
そういう大国主義の色彩は、嫌というほど感じます。

そして、一般市民で多少、目先のことを考える人は、ロシアにいた
ら、いつまでもよくならないから、てっとり早く、経済面などで都
合が悪くなったら、さっさとビザもらって国外に出てしまえばいい
、という自分勝手な感覚もあるようです。

こういう諸問題の根本には、ロシアのインテリゲンツイヤの作り上げ
た知識偏重の世界に、脆さがあるような気がしてなりません。
まさに、この国でも組織ばかりが大きく全く小回りが効かないで、
沈んで行こうとするのに、誰も止められない悲劇が、あの原子力潜
水艦クールスクではありませんが、どうも他人事と、思えない面も
あります。
(日本も似ているのではないかと、いらぬ心配をしてしまうのです)

こういったロシアのインテリ意識や思想に影響を受けてしまったま
ま、今だに象牙の塔に篭った日本の知識人(特に大学・官僚)の脆
弱さと絡めて考えると、ときどき、非常に空しくなることもありま
す。
しかし、こういったMLでたくさんのまともな方が語らっていること
には、大変励まされるものがあります。

私としては、多少の見解の違いなどどうでもいいです。
言葉で表現すると、絶対に微妙な誤差は出てしまうものではないで
しょうか。大事なのは、自分の生まれた国を誇り、愛することがで
きる、素直な気持ちと、勇気を持つことではないかと思います。
これからも、いろいろな方の意見を知り、自分を研鑚したいもので
す。お世話して下さってる、お二方、いつもありがとうございます。

それでは また CHOCO
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(Fのコメント)
 CHOCOさん、ありがとうございます。やはり外国にいる日本人の方
は日本と住んでいる国を比較できるので、客観的な見方になりやす
いようなですね。今後も面白い記事を期待しています。

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