312−2.概念を使わない議論



今朝、富山に帰ってきました。9月はほとんど富山にいませんでし
た。そのためにお返事が遅れてすみません。

私の記憶はあまり信頼できるものではないのですが、Kenさんとお
目にかかったのは、中村雄二郎先生の哲学アゴラの場だったでしょ
うか。
私の提案した「概念を使わない議論」に賛同してくださった方では
なかったでしょうか。

私は概念というものを、危ないものだと思っています。だから、
できるだけ使わないようにしていますし、使うときも定義をきちん
としてから使いたいと思っています。
でも、なかなか思うようにはいかないものですね。

得丸久文
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岩波書店のHPを覗いてみましたが、すでに中村雄二郎先生のインタ
ーネット哲学アゴラは閉じているのですね。
私がインターネットに興味をもったのは、毎日新聞で哲学アゴラを
紹介した記事を読んだからでした。

私なりに礼を尽くして、中村先生に質問を差し上げたのですが、と
うとう一度もお返事をいただくことなく終わってしまいました。
ちょっと物足りなかったです。出版された本の中で、「宗教」と「
哲学」には、たしか私のお送りしたコメントも掲載されています。
それは対話にはなっていませんし、中村先生のコメントもいただけ
ませんでした。

でもこの国際戦略コラムが、さまざまな方との討論の場として機能
しているので、やはりインターネットをしていてよかったと思いま
す。

で、哲学アゴラの時に思ったのは、いかにして概念を使わないで議
論をするかということです。
アゴタ・クリストフの「悪童日記」に出てくる真実のルールにした
がって(5は私なりの解釈ですが)、
1 自分が見たこと
2 自分が聞いたこと
3 自分がしたこと
4 そこにあるもの
5 自分が感動したこと
に限って語る、というのが私の原則です。(つねにそれが守られて
いるわけではないのは、お恥ずかしいかぎりですが)

これからもできるだけこの原則にしたがっていこうと思います。
よろしくお願いします。
得丸久文
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得丸です。

福岡からお送りしたメールの要点だけ整理しました。

要するに、魏志倭人伝であろうと史記であろうと司馬遼太郎であろ
うと国際戦略コラムのMLだろうと掲示板だろうと、「書いたもの」
という点においては、等価ではないかということです。
書くという行為は、鉛筆なり筆なり筆記用具さえあれば(あるいは
パソコン)、誰にでもできるものです。

こうやってできあがった「書かれた」もののうち、何を信じて何を
信じないのか、どうして一部を信じて一部は信じないのか、その基
準は私たちの意識の中にあるのです。

その基準を疑え、ということをSHUNさんに言いたかったのです。
別の言葉を使えば、書いたものはすべて概念です。その実在性につ
いては、保証のかぎりではありません。

もちろん、これは私が書くことであっても同じです。
で、私たちは、何を信じて、コミュニケーションをするのか、とい
うことが問われるのです。
得丸久文(思想道場 鷹揚の会、立山止観の会)

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