306−1.ブラジルの印象



  ブラジルが新しい首都をブラジリアに移転したのは1960年の
ことだった。
何もないブラジル高原に、近代的な都市計画を実施してつくられた
都市が、40年たってどのように成長しているかという興味にひか
れて、建築家の友人の企画したサンパウロ、マセイオ、ブラジリア
を訪問する7泊11日の旅に参加してきた。

  ブラジルについての事前の知識は、石川達三の「蒼茫」と北杜夫
の「輝ける青き空の下で」という日系移民の辛酸な体験小説の読書
体験と、機内で読了した太田恒夫著「日本は降伏していない  ブラ
ジル日系人社会をゆるがせた十年抗争」(文芸春秋1995年)というブ
ラジル勝ち組についてのルポ。

  また日系移民とは関係ないが、ブラジル人教育学者パウロ・フレ
イレの「被抑圧者の教育学」、アウグスト・ボアールの「被抑圧者
の演劇」を学生時代に読んだほか、カレン・ヤマシタの幻想的な小
説「熱帯雨林の彼方に」の舞台もブラジルではなかったか。

1 にぎやかな統一地方選挙の光景

  サンパウロやマセイオでは、10月初旬に行われる地方首長と地
方議会議員の選挙運動が真っ盛りで、いたるところで顔写真と数字
の入ったポスターやにぎやかな音楽を流す選挙カーとお揃いのTシ
ャツを着た運動員が目についた。日曜日のマセイオでは、現職市長
が数百台の選挙カーを従えた大キャンペーンを行っている場面にも
出くわした。既得権益を持っている人達が応援しているのだという。

  首長候補は二桁、議員候補は五桁の数字が、それぞれ名前ととも
にポスターや選挙カーに掲示されており、最初はなんだかわからな
かったが、文盲の人はこの数字によって投票することができるのだ
という。ブラジルでは投票行為は国民の義務となっているそうで、
投票しないと罰金を払わなければならない。

  選挙には随分お金がかかるだろうと思って選挙資金の出所につい
て質問すると、公金流用でまかなっているというのがガイドさんの
説明だった。落選する候補者もいるのだから、全員が公金流用をし
ているわけではないだろうが、それにしても大変なお祭り騒ぎだっ
た。

2  近代合理主義+審美主義 = 迷宮と混沌

  ブラジリアの中心部は近代的で合理的に設計されているのだが、
すべて自家用車で移動することを前提に設計しているために、自家
用車を持たない人間が住むところや移動する手段が計画されていな
い。

  国有地を不法占拠してスラムが構成されると、そこになぜか電灯
だけは供給される。水も下水も道路もないが電線だけある街が、い
つのまにか正式な居住地として認められるという、後手後手なやり
方で周辺地域に都市が形成される。

  そこから中心部まではバスが運行される。いまだに地下鉄一本走
っておらず、庶民は時刻表すらないバスを朝晩あてもなく待つとい
う非効率な生活を余儀なくされている。きわめて混沌とした状態が
、どんどんと深刻になりながら40年も続いている。

  飛行機の形をしたブラジリア計画都市のコックピットにあたると
ころに、ブラジル議会がある。西側から見ると、お椀を伏せた形の
上院と、お椀を普通に置いた形の下院が、かまぼこ板を二枚立てた
ような幅の薄い28階建ての事務局棟をはさんである。

  議会はこの都市のほとんどの建物を設計した建築家オスカー・ニ
ーマイヤーの代表作品といわれている。国家の権力の中枢である議
会であり、それが左右対象形ではないことも代表作たる由縁だろう。

  40年たった今も、できた当初の趣を残してこのビルは美しい。
ニーマイヤーは芸術作品として、このビルを設計したのかもしれな
い。しかし40年の年月による成長や風化を感じさせないことは果
たしてそれでいいのだろうか。街自体や庶民の生活から遊離したま
ま40年が過ぎてしまったのではないか。

  議会棟の屋上に登るためにスロープがある。しかしここには手す
りがないので極めて危険である。そのためもあってか一般向けには
アクセスを禁止しているが、そのためにはスロープの上と下の部分
に可動式の鉄柱と鎖が置かれているだけだ。誰でも登ろうと思えば
登れる。屋上に行くと、下院の建物の日陰に座っている監視人が、
注意をして闖入者を阻止する。

  実は議会の前にある池も、3年ほど前に、国民が議会棟に近づけ
ないようにするための追加措置として政府がニーマイヤーに設計を
依頼して新たに加えられたものだという。

  開放的であるようでいて、実は閉鎖的。実用的であるようでいて
、実は実用に向かない。これは合理主義を目指しながら、同時に芸
術性を求めたための混乱であり、そもそも設計思想の中に庶民のこ
とが考慮されていなかったためだと思った。

  議会棟の中を歩くと、いくつもの地下通路があり、壮大な迷宮を
構成していた。たとえば、廊下を歩いていくと正面が突き当たりと
なっており、そこから左右に階段が下りているのだが、右の階段と
左の階段ではたどり着く階が違っているとか。あるいは、廊下が何
本か平行して作られていて、それぞれ別の世界を構成しているとか。

  同じニーマイヤーの設計したドンボスコ教会は、正方形の床の四
面を青いガラスで取り囲んでおり、すっきりとして開放的な印象を
与える。しかしながら、ここには懺悔を行う机がいくつか置かれて
おり、また四隅には地下へとつながる階段がある。ここも近代や合
理性を訴えながら、不合理な教義や不透明な地下世界を合わせもっ
ている。

3

  結局帰国の際に思ったブラジルは、庶民大衆のための公共政策が
貧困な階級社会で、やや強すぎる表現をあえて取れば、ポルトガル
の植民地状態が今も続いているというものだった。

  わずか一週間程度で感じたことがどこまで的を得ているかわから
ないし、ブラジルの階級社会を打破するための方策についてもさっ
ぱり頭に浮かばない。でも、やはりブラジルの混沌や一見多様性に
見えるものは、植民地主義的な階級格差に根差しているのではない
かということは、きちんと報告しておきたいと思う。

  このような社会に渡っていった日系移民は、事情もわからないま
まに身分制度の最下層に押し込められ、言いようのない苦労をした
のではないか。現地でお目にかかった日系老人の顔に刻みこまれて
いる皺は、長い間感情を押し殺してきたことの結果ではないかと思
えた。

  彼らの皺だらけの顔と、サンパウロの現地の建築家たちの顔つき
やブラジリアの高級ディスコで踊っていた人たちの顔つき(建築家
もディスコの客もほとんどが白人だった)の、あまりの格差に私は
衝撃を受けたのである。

  サンパウロからロスアンゼルスに向かう帰国の飛行機の中で、ボ
リビアから日本に出稼ぎに向かう日系二世のご夫婦と隣り合わせた
。奥さんの目から見た日本の生活は、「働いて、食べて、寝るだけ
」でつまらないという。現代日本人の顔は、苦労しなさすぎ、心を
使わなさすぎ、思考しなさすぎて、のっぺりとした味わいも思いや
りもないものになっている。苦労が多すぎるのも問題だが、物質的
な豊かさにのみ心を奪われて、人間としての成長を忘れてしまった
社会も困りものだ。まず私たちがめざすべきは、現代日本人の心の
問題かもしれない。
(2000.09.25 得丸久文)

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