303−2.ヨーロッパと日本の博物館



                              鈴鹿国際大学教授   久保憲一

 旅先で私はよくその地の博物館を訪れる。なぜなら、その土地の
歴史・伝統・風土・民族性などが一目瞭然、判断できるからである。

 そこで、16年も昔になるが、私には忘れられない一つの思い出
がある。新婚三ヶ月目の私共夫婦はドイツ・ローテンブルク市のあ
る博物館にフラリと入った。ところが、そこには魔女や十字軍遠征
中の不貞妻、また不信心者等を罰する、ありとあらゆる拷問の道具
が所狭しと陳列されていた。たまたまこうした場所に新妻を導いた
私は、妊娠間もなかったということもあり、思い起こしてはいまだ
に彼女の顰蹙を買っている始末である。

 そう言えば、明治の文豪・夏目漱石も博物館に模様替えした倫敦
塔を訪れ「倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである。過
去という怪しき物をおおえる戸張が自ずと裂けてがん中の幽光を
二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流
れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂い来れりとも見るべきは
倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の
中に取り残されたるは倫敦塔である。」と記している。そしてこの
ようなおぞましい場所には二度と行くまいと決心したと言っている。

 このように、ヨーロッパの博物館や城の展示物には刑罰・拷問の
類の残酷なものが極めて多い。蓑や脱穀機などの農機具、寝具や食
器などの生活用具、また武具にしてもせいぜい刀剣・甲冑類などが
並べられている程度であろう、とわが国の博物館を予想していた私
は、余りに異なる趣のヨーロッパの博物館を見て西欧社会の本性を
改めて認識せざるを得なかった。

 またヨーロッパでは、とりわけ異端者(魔女など)や異邦人には苛
酷である。あたかも家畜を処分するごとく彼らを「抹殺」してしま
う。わが国ならばせいぜい「村八分」といったところであろう。余
りの「二分」すなわち冠婚葬祭に限っては、今まで通りのつき合い
を留める。やむなく殺戮した政敵でさえ慰め「鎮魂」するというわ
が国のそれは、西洋に比べ、なんと穏健で「人情味」豊かなことか。

 そういえば、ややもすると展示量にのみ感動して見がちであるが
、大英帝国博物館にはインド・アフリカ・中国などの遺物が膨大に
所蔵、展示されている。つまり此処では大英帝国の旧植民地や自治
領からの戦利品、略奪品が誇らしげに並べ立てられているわけであ
る。彼らと同じ有色人種の私としてはなんとも心の痛む場所であった。

 ところで、日本社会の寛容性と言えば、次の場合にも見いだされ
よう。
 例えば、わが国では昔から共同社会の「和」の保持のため、争い
を招き易いという理由から「論争」を極力避ける傾向にある。どの
ように正当な主張と見られようと、その理屈を最後まで押し通さな
い風潮である。日本社会では「論理的一貫性」や「論理整合性」は
二の次。あくまで「和」の次に過ぎない。論敵を完膚無きまで叩き
のめすようなことはしない(すなわち「抹殺」しない)。必ず敵に逃
げ場を用意する。わが祖先たちは論争で論敵に「しこり」や「遺恨
」が残ることを嫌ったわけである。これも日本的「寛容性」「人情
味」の発露と言うべきであろうか。

 しかし、ことの善し悪しは別として、わが国の寛容性の風潮も人
情味のそれも欧米化の進捗とともに次第に薄れつつあることも間違
いない。

インターネットタイムズ
http://www.internet-times.co.jp/
より
           水廼舎 こと 久保憲一

電子メール アドレス : mizunoya@mx3.mesh.ne.jp


コラム目次に戻る
トップページに戻る