301−3.保守と右翼の相違



★★★重大な記述を発掘しました。
 月刊誌「正論」2000年2月号 渡部昇一論文「”平等主義”
が日本を衰亡させる マルクスとの闘いはまだ終わっていない」 
P64

 ここでは、1930年代の日本の共産主義勢力の状況を語ってい
る。では、本文を引用する。
 
 P64
 さらに、共産主義イデオロギーへの危機感が日本に何を産み落と
したかを考察する必要がある。皇室廃止論(いわゆるコミンテルン
による32年テーゼ・図越解説)に対して危機感を抱いたのが右翼
なのだが、それがいかにわかりにくい構造の中に存在していたかを
知っておかねばならない。誤解を恐れずにいえば、右翼と左翼は天
皇を座標軸にして一見対照に位置しているように見えながら、実体
においては当時の右翼が掲げたスローガンというものは共産主義と
同次元だったのである。それは大川周明にしろ井上日召にしろ、彼
らの言動や綱領を見ればそうとしか解釈できない。
 昭和の初期、政治家や財閥の腐敗堕落に対して軍の革新派将校た
ちが口にした言葉に「昭和維新」というのがあった。俗に「昭和維
新の歌」と呼ばれる歌ができ、「権門上(かみ)におごれども国を
憂える誠なし。財閥富を誇れども社稷(しゃしょく・天地の神と五
穀の神・解説図越)を思ふ心なし」とか、「混濁の世に我立てば義
憤に燃えて血潮湧く」とか、青年将校たちは高唱しては国家改造の
思いをたぎらせていた。それがやがて5・15事件(1932年)
を起こし、2・26事件(1936年)を起こす。
注意深く観察するならば、これは革命幻想なのであって、共産主義
と行動原理において差異がないことに気づくであろう。言葉を換え
れば、これは共産主義に呼び起こされた危機感から生じた別種の共
産主義、つまり天皇を担ぐ共産主義ととられてもいいのである。
 ヒトラーの行動を見ると分かりやすい。彼も共産党に対抗するた
めにナチス党をつくった。第一目的は共産党を葬ることだった。ま
たムソリーニもなぜイタリア戦闘ファッショ団をつくったのか。こ
れも共産党と戦うためだった。要するにある種の内ゲバのためだっ
たのである。ナチス党の正式名称が「国家社会主義ドイツ労働者党」
であることや、ファッショ団が「国家ファシスト党」へと発展して
いったことは、共産主義の性格、伸長の過程ときわめて似ている。
 中略
 その意味で近衛文麿が昭和20年2月に昭和天皇に奉った上奏文
は、実に貴重な歴史の証言である。彼はおおよそこう述べている。
「国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件、具備せられゆく観
これあり。(中略)英米に対する敵愾心昂揚の反面たる親ソ気分、
軍部内一味の革新運動、これに便乗する新閣僚の運動、これを背後
より操つりつつある左翼分子の暗躍である。(中略)軍部内一味の
革新論の狙いは、必ずしも共産革命にあらずとするも、これを取り
巻く一部官僚及び民間有志(★これを右翼というも可、左翼という
も可なり、いわゆる右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は
、意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵しおり、無
知単純なる軍人これに踊らされたり(後略、★渡部)」。
 中略 P66へ
・・・昭和13年以降、シナ事変を始めた翌年あたりから次から次
へと統制令が出されている。要するにマルクスのいうような、生産
手段を国家が所有し、私有権を廃止したうえで相続権を廃止すると
いうような方向性のもとに行われたのである。実際にはそこまで行
かなかったものの、統制経済に端を発した国家管理(国家総動員法
)の影響が戦後いまにいたるまで悪しき尾を引いている。

★私見
 つまり、左翼も右翼も革命幻想を持っており、両者とも行動原理
において差異がない。従って、左翼も右翼も日本の歴史と伝統から
産み出される「歴史の英知」を所持していない。唯一、この過去・
現在・未来へと受け継がれていく「歴史の英知」を包含しているの
は、「保守(思想)」のみである。
 よって、保守と右翼は、明らかに一線を画するのである。
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 保守と右翼の違いについて
 
 先日、私は「保守思想の本義」論文(2000年9月13日国際戦略コラ
ムno.287-3保守とは何か)を発表しました。実は、私自身、この論
文の中で「保守と右翼」の明確な違いをつかみかねています。西部
氏著作物の記述でも、そこの部分はまだ発掘(?)していません。
西部氏がそれに言及したかどうかは定かではありません。
 そこで、私は、文献にあたることにしました。まだ読んでいませ
んが3冊集めました。

 松本健一 『右翼・ナショナリズム伝説』
 鈴木邦男 一水会(新右翼)
        『僕が右翼になった理由・私が左翼になったワケ』
        『これが新しい日本の右翼だ』

 今のところ「保守と右翼」の違いに対する私見は、

保守は、健全なナショナリズム(国家主義・民族主義?)。

右翼は、偏狭なナショナリズム。

保守は、日本文化(天皇など)を他文化(ハンチントンの8大文明で
も結構)よりも上(右翼)とも下(左翼)とも見ない。

右翼は、ショーヴィニズム(仏語)=(石版画および戯曲に出てくる
、ナポレオン1世を崇拝したフランス兵の名ショーヴィンによる)
偏狭な民族主義。排外的な愛国主義。

保守は、自虐史観(左翼)でも自尊史観(右翼)でもない。

保守の健全なナショナリズムは、国民全員が持つべきもの。

右翼の偏狭なナショナリズムは、国民全員が持っては困る。

右翼のショーヴィニズムは、イスラム原理主義のような、原理主義に
通じるのだろう(推測)。

これらの保守思想の概念は、まさしく「精神のバランシング・バー
(平衡棒)」である。ただし、私の論文「保守思想の本義」で誤植
がありました。「平衡」を「平行」と間違えていました。

平行=同一平面上の2直線がどこまで延長しても交わらないこと
平衡=天秤(てんびん)の両皿にのせた物体と錘(おもり)との重
さが相等しく、さおが水平の位置をとること。つりあいがとれること。
この両者は、全く意味が異なります。

参照
★2000年9月13日
 国際戦略コラムno.287-3保守とは何か
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/1209133.htm

★保守の構造:
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kako/hosyu.htm


図越(づごし)

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